新刊案内


   隔離という病い(中公文庫版)

「遙かかなたからの声を聞け」
 1997年に講談社メチエの一冊として刊行、長らく入手不能だった『隔離という病い』を中公文庫から出すことになりました。本文内容は殆ど手を入れていませんがSARS禍を跨いだ感染症法の変化や、らい予防法廃止後の動きに言及した一章「その後のこと」が付け加わっているのと、香山リカさんの、著者にとってはとても嬉しい解説が巻末に載っています。
 胎児標本の「発見」で再び注目を浴びるハンセン病医療史。「これは過去の記録ではない」という帯コピーは、この報告が明らかになる前に書かれていますが、「ハンセン病問題」は確かにまだまだ終わっていません。たとえばこの「標本」発見の報に触れて先日、こんな文章を新聞に書きました(一部を抜粋しています)。
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 既に広く知られているが、ハンセン病療養所内では妊娠・出産が禁じられていた。
療養所に暮らす病んだ親に子供を育てる余力はない。養子縁組で貰われていっても療養所生まれと知られれば迫害を受ける。そんな不幸な境遇になる子供は初めから存在しない方がいい。それが療養所側の説明だった。
 もちろんこれは本末転倒である。子供を普通に育てられる暮らしを患者から奪ったのも、病気を過剰に恐怖させて世間のハンセン病者への差別偏見を助長されたのも誤った隔離政策のせいだった。そんな元凶を改めずに患者の子は不幸になると決めつけて断種や堕胎を課した罪は重い。
 だが、過去を断罪するだけでは済まされまい。たとえば最近では出生前診断が進歩したが、異常が事前に察知された場合に「親に障害児を育てる力がない」「障害児自身も差別や迫害を受ける」という理由から「不幸になる子供は生まれない方がいい」と中絶されることが多い。その論理はかつて療養所で採用されていたものと同じなのだ。そこにハンセン病隔離政策の誤りが広く知られるに至った今でもその問題の本質が理解されていないもどかしさを感じる。
 療養所に務めていたのは、ハンセン病撲滅の国策を遂行する熱意こそ人並外れていたものの、それ以外はごく平凡な医師たちだった。今回「発見」された標本も、おそらくは未来の医学への貢献を医学者たしく期待しつつ残したものだろう。しかし、そんな標本が訴える声なき声に耳を傾けるべきだ。隔離政策が酷薄なものになったのは未感染者の生命を重視する裏返しに既感染者の生命を軽視した結果だった。生命に軽重をつける優生主義的発想こそ危険。それが平凡な医師に既感染者の子供の命を絶つ冷血な選択までさせてしまったのではないか。
 たとえば先の出生前診断の件でも、障害者が生き易い社会が実現していない以上親と子が共に不幸になるのを防ぐために障害を持つ胎児を中絶する選択もやむをえないとする「現実的」な意見に一理あるのは認める。しかし一つの生命が選ばれ、一つの生命が犠牲にされる背景に、共にかけがえがなく、比較不能ななずの生命にどこかで軽重をつける発想が紛れ込んでいないか。それに注意深くあることの重要性こそハンセン病史の誤りから学ぶべきなのだ。
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『隔離という病い』で指摘していた問題こそまさにここに書かれたことであり、おそらくその問題はこれからも長く私たちの歴史にからみ、つきまとう影のようなものになってゆくのでしょう。ハンセン病は過去のものではない。現代にまで尾を引く特殊近代的なものでもない。もっと長い時間スパンの中で、遙か彼方の遠近法の消失点を意識しながら省みられるべきものだ。そんな著者の考えと響き合う形で、この文庫本にはひとつの仕掛けが盛り込まれています。初版本を手に入れた人のみが発見できる仕掛け。それは写植オペレータのパソコンの中に隠れていた小人のいたずらという偶然の結果なのですが、著者のぼくは『隔離という病い』を書いていたときの無意識が澱のように積み重なって「かたち」になって結実したもの、あたかも必然が導いたものであるかのような不思議な符合をそこに感じてもいます。さてなんでしょう(思わせぶりですみません!)。それは読んでのお楽しみ!
 配本は25日から 838円+税金