小さな訪問者 Part 2
「ねぇ、クラヴィス。こっちに来て…」
館の庭から続く森の端から呼ぶ声を聞いて、クラヴィスは先を歩いていたひとに追いつくべく、そちらへと急いだ。
「どうした?」
声の聞こえた辺りへ行ってみると、最愛のひとが地面に座り込んでいた。
「クラヴィス、この子…、新しく占いの館に来た子かしら?」
くせのない豊かな金の髪をなびかせて、アンジェリークが振り返る。その膝の先には、火龍の子どもが平和そうな顔で昼寝を楽しんでいた。
「…そのようだな」
「この子がそうなの。うふふ、初めて見たわ」
「………」
不意に黙り込んだクラヴィスの手に、白い手が重ねられた。
「今、何を考えてるか当ててみせましょうか」
若葉色の瞳が、悪戯っぽく輝いている。だが、それに答えるそぶりのないクラヴィスに嘆息しながら言を継いだ。
「…あなたがそんな風に考えてちゃだめよ。私がそうしたほうがいいと思うから、今は外出を控えてるだけ。あなたの所為じゃないの」
しっかりと手を握りかえしてくる様子に安堵したように、アンジェリークは笑みを返した。
そして再び昼寝中の龍の子どもへと視線を巡らせる。
「ちょっとやんちゃそうだけど、かわいい子になるわね、きっと」
にこにこと母性本能全開で話しているアンジェリークに、クラヴィスは苦笑気味に告げた。
「…アンジェリーク、その子どもはどちらかと言えば逞しく成長したいようだぞ」
「え………?」
ぽかんとこちらを見返す表情に、クラヴィスの苦笑はさらに深くなる。
「性別は男…だそうだ」
「うそでしょう? こんなにかわいいのに」
「……それは、認めなくもないがな」
くすくすと笑いながら、クラヴィスは傍らのひとの肩を抱き、その耳元に囁いた。
「宇宙の次は、子どもを育ててみたくなったか?」
「やだ、もう…」
頬を紅く染めて俯いてしまったアンジェリークは、照れ隠しにクラヴィスの肩を小突いた。もっとも、それがふたりの間をどうするわけでもなく、微笑ましい恋人たちの図となるのは、自明の理である。
「………はにゃ?」
目をこすって、突然龍の子どもが目を覚ました。
「あら、起こしてしまったわね」
ふんわりと微笑んで、アンジェリークが子どもの頭をなでる。
寝起きで状況がまったく掴めていない龍の子どもは、見知らぬ金髪の女性の傍らに見知った顔を見つけて、顔を輝かせた。
「クラヴィスさま! こんにちは!」
常のごとく、子ども然として素直な挨拶である。
「昼寝か?」
「ううん。マルセルさまたちとかくれんぼしてたの。でも、メル寝ちゃったみたい…」
えへへと照れ隠しに笑って、クラヴィスの傍らの女性へと目を向ける。きょとんと見上げる仕種が、強烈にかわいらしい。
「ねぇクラヴィスさま、この人誰?」
「……私の妻だ」
珍しく照れた様子のクラヴィスをさらにきょとんとした顔で見上げ、だが、次の瞬間にメルは素っ頓狂な声を上げた。
「クラヴィスさまの奥さん〜っ?!」
「…驚いちゃってるみたいよ」
「…守護聖とて、人の子なのだがな」
ふたりは顔を見合わせて苦笑を交わした。そして、まだ混乱覚めやらぬ龍の子どもに、アンジェリークが声をかける。
「こんにちは、メル」
「あっ、こんにちは、メルです…あれ、どうしてメルの名前知ってるの?」
「うふふ、だってあなたがお名前を教えてくれたんですもの」
「あ…」
そう、この龍の子どもは、自分のことを「僕」でも「私」でもなく名前で呼ぶ。
再び照れ隠しの笑みを浮かべるメルを微笑ましく見やって、アンジェリークは自分の名を名乗った。
「私はアンジェリーク。よろしくね」
「はい…、あ、アンジェと同じ名前だぁ」
龍の子どもは微笑んで、今聖地で試験中の栗毛の女王候補の名を出した。アンジェリークはそれに意味ありげに微笑み返して、だが何も言わなかった。
「…っくしゅっ!」
突然くしゃみをした龍の子どもの頬に手をやって、アンジェリークは傍らを見上げた。
「すっかり冷えちゃってるわ。お茶に招待してもいいでしょう?」
無言で頷くクラヴィスを確認して、彼の妻はメルの手を引いて立ち上がった。
「いらっしゃい。ちょっと遅いけれど、一緒にお茶にしましょう。お菓子もあるわ」
「わーい、ありがとう」
ある種微笑ましくもある光景を追いかける様に歩き出したクラヴィスの背中から、ばたばたとかけてくる足音が聞こえた。
「クラヴィス様〜!」
マルセルか…とあたりをつけて振り向くと、案の定幸せの青い鳥を引き連れた緑の守護聖がかけ寄ってくる所だった。その後ろにはゼフェルとランディの姿も見える。
「クラヴィス様、この辺りでメルを見かけませんでしたか? 声が聞こえたような気がしたんですけど」
息せき切ってそう訊ねる。どこから走ってきたのか、頬は赤く染まり、息が上がっている。
クラヴィスは、黙って視線を前の方に向けた。
「あー、メルったら、こんな所にいたの?!」
金髪の女性に手を引かれながら歩いていたメルが、やっと後ろを振り返った。
「メル、僕たち心配して探しに来たんだよ! もう……!」
人探しの労力に対する憤懣を伝えようとしたマルセルが、急に押し黙った。後から追いかけてきていたゼフェルやランディの足も、マルセルの背中でぴたりと止まる。
「あ……、じょ…」
女王陛下…と言おうとしたマルセルより早く、クラヴィスが口を開いていた。
「アンジェリーク、ふたりで先に行って支度を頼む。私はこの者たちと話しがあるのでな」
「ええ、クラヴィス。…そうそう、マルセル、ゼフェル、ランディ、あなたたちも一緒にいらしてね。お茶にしましょう」
「はっはいっ!」
呆然としながら、返事だけは忘れない年少組の守護聖であった。
「…陛下ではないぞ」
まるで姉妹か親子の体で館へと戻っていくアンジェリークとメルを見送って、クラヴィスは皮肉っぽくそう言った。
「そうだったんだよなぁ…」
黙ったままのマルセルをさて置いて、一応立ち直りの早いゼフェルが相づちを打つ。
「解っててもよー、なんだかびっくりするよな」
がりがりと頭を掻いて、ゼフェルが独りごちた。
前回の女王試験が終り、新女王としてアンジェリーク・リモージュが、新補佐官としてロザリア・デ・カタルヘナがその地位に就いた時、聖地がひっくり返るかと思うほどの事件が起きた。もっとも、当事者を取り巻く周囲の人間にとっての大事件なのであって、本人たちにはたいした事件ではなかったようなのだが…。ともあれ、その座を退いた女王は闇の守護聖の館に住まうこととなり、補佐官であったディアは地の守護聖の館に住まうこととなった。二人とほぼ同期で少しは事情に通じていたジュリアスや、女官たちに情報網を持っているオスカーはそれほど驚かなかったようだが、年少組の守護聖にはまさに寝耳に水だった。しかも、新女王に許しを得ていた元女王のアンジェリークは、即位式が終るや否や、他の守護聖たちが居並ぶ中でクラヴィスの腕の中に飛び込んだのだ。あれを衝撃的な婚約発表と言わずして何と言えよう。
「あんたも結構手ェ早いな」
「なんてこと言うんだゼフェル! クラヴィス様に失礼じゃないか!」
「そうだよゼフェル!」
ぼそりと呟いたゼフェルに、他の二人から非難が飛ぶ。だが、クラヴィスがそんなことを気にしていないのを見て取った本人は、全く気にしていない。
「いーじゃねぇかよ、ホントのことなんだし。なぁクラヴィス」
「……彼女がここにいるのだから、そういうことだろうな」
吐息に紛れるような笑みとともにそう言うクラヴィスを、三人は呆然と見ていた。
『この方(こいつ)、こういう顔もできるんだ(できんじゃねーか)…』
という心の声がユニゾンだったのは、言うまでもない。
「行くぞ…」
呆けた顔で突っ立っている三人をほとんど無視して、クラヴィスは長衣のすそを翻した。
「………アンジェリークが待ちくたびれている。早く来い」
途中で振り向いたクラヴィスの言葉に否やを言わせる雰囲気はなく、年少組は闇の館の客となった。
「さぁ、どうぞ」
闇の守護聖の館の庭にあるテラスには、お茶の支度がすっかり整っていた。
アンジェリークの隣に陣取ったメルはかごに盛られたパイに手を伸ばし、すっかりご機嫌の様子だ。それとは対照的に、年少組の三人はやや緊張した面持ちでその向かいに座っている。それぞれに好みの飲み物を出され、甘いものの苦手なゼフェルのためと見えるサンドウィッチまで出されている。
「メル、こっちのも食べてみてね」
「わぁ、おいしそう。いっただっきまーす」
「遠慮なんてしないでね。マルセル、お菓子はお口にあうかしら?」
「はい、とってもおいしいです」
「ランディ、コーヒーのおかわりはどう?」
「…お願いします」
「ゼフェル、果物も切ってあるわ」
「…じゃぁ、ひとつくれよ」
かいがいしくお子様たちに世話を焼くアンジェリークを、少し離れた所から眺めているのは、館の主であるクラヴィス。
元々客が多いとは言い難い闇の館である。ましてや住人が一人増えた頃から、気を使ってか客足は一層少なくなった。自然とこういったお茶会も少なくなる。しょうがないとは言え、クラヴィスとしてはアンジェリークに、たまには気晴らしの時間を持たせてやりたかったのは、事実である。
だが、なかなかそういう時間を持てずにいただけに、今日のお茶会は渡りに船だったと言える。恐縮気味の少年たちには、少しばかり有り難くも迷惑でもあったかもしれないが。
ともあれ、最初はぎこちなかった三人だが、メルのお陰かしばらくすると場も和やかになり、時間はあっという間に過ぎていった。
久しぶりの賑やかな時間に、アンジェリークの表情も晴れやかである。そんな様子を見るにつけ、クラヴィスは安堵のため息をついていた。
「……あれ、メルったらまた寝ちゃってる」
お茶会も終わりに近づいたころ、柔らかいクッションにもたれるようにして眠り込んでいるメルがいた。
「あら、本当。はしゃぎ疲れちゃったのかしら」
楽しそうに微笑んで、アンジェリークは掛け布がわりに自分のストールをそっと掛けてやった。
「お昼前から、ずっとあちこち駆け回ってたみたいです。午後からはマルセルやゼフェルと一緒に森の中走りまわってて…、疲れるはずですよね」
「エルンストのやつも結構人使い荒いよな」
「ゼフェル、それじゃ誤解を招くんじゃ…」
ランディとゼフェルがいつものじゃれあいに突入するのをよそに、ひとりマルセルがアンジェリークに向き直った。
「……あの、えっと…」
「なに? マルセル」
幸せそうな顔で眠っているメルの頭をそっとなでて、言い辛そうにしているマルセルに水を向ける。それにふわりと笑みを添えることも忘れていない。
「あの、クラヴィス様も、えっと…その…」
「アンジェリークでいいのよ」
自分の方を見て言い淀んでいる緑の守護聖に、そっと助け船をだしてやる。だが、マルセルの方は少々複雑そうだった。
「……あの…」
「っざってーな。ようは礼が言いたいんだろうが」
「ゼフェル! お前いつも言われてるだろ、そういう言い方は………!」
ふっつりとランディの言葉が途切れる。
その様子を見ていたアンジェリークが、くすくすと忍び笑いを漏らしているのに気がついたからだ。
「……ディアから聞いていた通りね」
何を聞いていたんだろう…と心配になりつつある年少組をよそに、アンジェリークは楽しそうに笑っていた。
「もっと、自由にお話ししたかったわ、前もね。だから、これから時々お話ししにきてくれるかしら?」
「はいっ!」
元気良く、少々感動的に返事をしたのは、マルセルとランディ。その横で、ゼフェルが小さく、しかも照れくさそうに「おう」と答えた。
それを端から眺めていたクラヴィスは、少々笑いを誘われたらしく、珍しく優しい表情をしていた。
少年たちを見送ってテラスに戻ると、テーブルは既に片づけられていた。藤の椅子に置かれたクッションにもたれかかって、メルは相変わらず幸せそうな顔で眠っている。少年たちは眠ってしまったメルも一緒に連れて帰ると言ったのだが、クラヴィスは自分が送るからいいと言って、断ったのである。
庭に配された池のほとりに立っているクラヴィスの横に立ち、アンジェリークはその腕に抱きついた。
「ありがとう、楽しかったわ」
「………そうか」
衣服越しに伝わってくる暖かさを逃さぬとばかりに、クラヴィスは最愛のひとを腕の中に抱きこんだ。
「アンジェリーク、これからあの子どもを送ってゆくが、一緒に来るか?」
「…ええ、行くわ」
思わず、アンジェリークの頬に笑みが上る。黙しやすく、ある意味不器用ですらあるクラヴィスのこういった気遣いが嬉しかった。
現在、女王試験中である聖地は、普段以上に人の出入りが激しく、また前回の試験から半年ほどしか経っていないこともあって、アンジェリークを知る者も多い。ただの「闇の守護聖の想い人」として聖地に在るには、少々混乱を招きやすくなる。そう考えて誰に言われた訳でもないのに外出を控えている彼女を、クラヴィスは過保護なほどに気遣っていた。故に、こうして目立たぬように外出に誘ったりするのである。
「ならば、出掛ける支度を…」
「ええ、今すぐ」
解かれた腕からするりと抜け出して、アンジェリークは館内へと駆けて行った。
「……支度は、整ったか?」
テラスから続く廊下を、夕空の残照を背負って歩いてきたクラヴィスは、玄関口で待っていたアンジェリークにそう声をかけた。
すっかり眠り込んでしまっている龍の子どもは、安心しきったように体重を預けて、クラヴィスに抱きかかえられている。その様が和やかで微笑ましくて、それを見ていると自然と笑顔になってしまうアンジェリークだった。
「……?」
答えもせずにくすくすと笑みをこぼしている自分を訝しむように見ている視線に気づいて、彼女はまだ笑みの残る口調で言った。
「ごめんなさい、あんまり似合ってるから。…いいお父さんになるわよ」
「………」
一層怪訝そうな顔をするクラヴィスをさらに面白そうに眺めて、アンジェリークは玄関の扉を開いた。
外には既に馬車が支度を終えていた。両手の塞がっているクラヴィスを導くように一歩先を歩き、馬車へと乗り込む。それに黙って従うクラヴィスの肩口辺りで、龍の子どもは相変わらず健やかな寝息をたてていた。
「すっかり星空になってしまったわ」
占いの館の裏手で、アンジェリークは空を見上げていた。
次第に藍を深めていく空には、星がその存在を主張しはじめている。
少し遅れて出てきたクラヴィスを見遣り、ほっと安心したように微笑みかける。すると上にある夜空と同じ色の瞳が、応えるように微笑みかけた。
「起きなかったわね」
「ああ」
クラヴィスは、短く答える。
闇の守護聖の館から馬車に揺られている間ずっと、メルはクラヴィスに抱えられて眠っていた。それは、占いの館にある自分の部屋に着いても変わらなかったらしい。
「やっぱり、子どもは正直だわ」
二,三歩歩きかけて呟かれた言葉に、クラヴィスは怪訝そうに傍らを見た。
「……うふふ、解らない? そうよね、あなたったら自分のことにはひどく無関心なんだもの」
これが最初ではないらしい。何度か聞かされた小言を聞くようなそぶりで、クラヴィスはその顔に苦笑を刷いた。
「あなた絶対損よ、その性格。……私は、一人占めできてるみたいで嬉しいけど」
小さく囁かれた後半に、思わず笑みが浮かんでしまうのは、平和な証拠。
「でも、案外あなたがほかの守護聖方に好かれてること、知っておいた方がいいのは、本当よ」
その一言に少々顔を引き攣らせたクラヴィスを面白そうに見遣って、アンジェリークは夜の散歩を続けたのであった。
次の日、世話係からクラヴィスに抱かれてここまで連れてこられたことを知ったメルの口から、聖地にちょっとした噂話が流れるのだが、それはまた別のお話…。
end
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