甲子園物語

第5回は、広野貴俊選手(自彊)をテーマに書いていきます。

 1年生の春、自彊高校野球部に入部したのは広野選手一人だった。
 夏の大会後、三年生9人が引退し、その後、2人いた二年生も、部員が少ないという事を理由に、退部していった。そして、部員はとうとう広野選手1人になった。

 幾度となく辞めようと思った。辞める事は簡単だ。高い意識で臨まない限り、続けていく方が難しい。
 しかし、「春になって一年生が入部してくれれば、また野球が出来る」と、思いとどまった。小、中学校と、ずっと続けてきた野球を、簡単には辞めたくはなかった。辞めるわけにはいかなかった。
 野球部らしい活動は、ほとんど出来ない状態にあった。たまに、バッティングセンターに通う程度。
 他校の野球部が羨ましかった。半径5キロ以内に盈進、神辺旭がある。県内でも随一の実力校だ。

 2年の春、一年生が9人入部した。また野球が出来る。
 しかし、大会前になって怪我人が出て、第80回という記念大会に、辞退を決めた。広野選手ら部員自身で決めた事だった。

 最後の夏こそは・・・。
 抽選会では、2年振りの出場という事で、TV局のインタビューを受けた。
 2年振りに大会に出場出来る。もう、出場できる嬉しさがあふれていた。

 8月17日。
 呉二河球場で、自彊の主将である広野選手は、4回からマウンドに立ち、呉商相手に力投を続けていた。
 しかし7回につかまり、最後は自らの暴投でコールドでのサヨナラ負けが成立した。

チーム 合計
自  彊
呉  商 3X

 最後の夏。「まず1勝を」と試合に臨んだが、果たせなかった。
 大河 満監督は「彼のおかげで今、こうして野球部が存続している」とねぎらった。

 広野選手は、卒業後も大学で野球を続けるつもりだ。そして、こう言い残した。
「入学する予定の大学の野球部には、部員がたくさんいると聞いています。多くの仲間達と競争できるのが楽しみです」と。