ちょっと三国志

関平(かんぺい)

 関平は、関羽の一行が関定という名士の家に立ち寄った時に、その風貌等に惚れた関羽が、関定より関平を養子に貰った事より、三国志の舞台に登場する。関羽には、その後、関索(かんさく)、関興(かんこう)の二人の実子がいるが、関平とともに戦場に出たことは余り聴かない。関平は、養子になってからは、義父関羽より武芸の稽古をつけてもらい、めきめきとその力をあらわした。赤壁の戦いをはじめ主要な戦いには大活躍した。特に、襄陽の攻防では敵の大将を討ち取るなどの手柄を立てた。関羽が、他の武将が「蜀」攻略に出かけた時荊州に残った時も一緒に残り、荊州を守った。しかし、建安24年(219年)12月、呉の攻撃により敗れ、麦城に関羽と共に逃れたが、攻撃も、守りもできない城ゆえ、城から逃げ出す時に関羽と共に捉えられ、処刑された。本当に、短い登場でしかなかった関平だが、これはあくまでも「演義」の話であり、「正史」ではわずかしか登場していない。