ちょっと三国志
呂布(りょふ)
呂布は、多分後漢末から三国時代にかけて、一番の武力に長けていた武将だったと思う。秦の最後、劉邦のライバルだった、項羽もかなり武力に長けていたが、同等だったのでないだろうか。ただ、大きな違いは、項羽は、裏切りをしなかったのに対して、呂布は、三国志の中で登場している期間は短かったけど、その大半は、裏切りの人生だった。そのため、項羽の周りには人が集まり(といっても、項羽も結構きついところがあり、人望では劉邦の方が上だった)呂布の周りの武将は、裏切るか、逃げていった。呂布の部下の中でも、張遼が離れて行ったのは大きい。(張遼は、その後曹操の下に行き、魏にとって必要な武将となる)
まず、第一の裏切りは、義父の丁原への裏切り。悪徳「董卓」が自分のみの危険を感じ、軍師「李儒」の進言により、愛馬「赤兎馬」を手土産に、呂布を寝返らせ、義父を殺害させる。この後、呂布は董卓を義父と仰ぐようになる。
董卓は首都を長安に変えたり、先帝の墓を暴き、金銀を奪取したり、国民には悪政を強いたりとすき放題していた。それを危惧した、王允は、美女「貂蝉」を使っての「連環の計」によって、貂蝉の取り合いを董卓と呂布にさせ、最後、呂布によって董卓を殺害させた。これにより、呂布は2度目の裏切りを犯す。
その後、董卓の部下の反撃にあい、首都長安より脱出。袁尚を頼って放浪の旅に出が、各地で問題を起こし、最後劉備の下に転げ込んでくる。その時、関羽や張飛は受け入れを大反対するが、劉備は受け入れてしまう。しかし、劉備が城を空けている間に、城をのっとってしまう。劉備は、そのまま、のっとられた城に呂布を駐屯させる。その後、袁尚の、曹操の攻撃に合、城にろう城するが、部下の声よりも、妻子の声に耳を傾けたり、命令をころころ変えたりしたため、最後、部下の「宋憲」によって捕らえられ、曹操、劉備の前に出される。曹操を前にして、「俺の武力を買わないか」と延命を嘆願するが、この時、曹操は、劉備に敢えて意見を聞く。それに対して、劉備は、「この男が、丁原、董卓という2人の義父を殺した事わお忘れか」と答え、それにより、呂布は処刑された。この時、一緒にいた張遼は関羽らの進言により助けられた。
裏切りにより、三国志に登場した呂布は、こうして、部下の裏切りにより、自らの命をなくした。
呂布の行動はあまりにも身勝手な行動だが、それは、いつ作られたのだろうか。MR趙雲がかつてに考えて見ると、裏切って人より前に進んだ人物はたくさんいるが、中国史上、短期間の間にここまで裏切って、前に進んだ人物も珍しい。それゆえ、呂布の行動を決定付けたものを予想して見ると、幼児期にかなりの虐待に近い目にあっていたのではないだろうか。それに、元来持っていた性格が合わさつて、それゆえ、人を信じる事ができなくなり、簡単に人を裏切れたのではないだろうか。人は、幼児期にどのような経験、体験をしたかによって、その後の人生が変わると言われているが、その際たるものではなかつただろうか。これは、あくまでも、MR趙雲の予想だが、違った体験、経験をしていれば、もしかして、武力、人望を備えた武人になっていたのかもしれない。 ただ、悪いけど、MR趙雲は、この人物はあまり好きになれないな。(ファンの方いたらすみません)
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