ちょっと三国志



  蒋宛(しょうえん)・・・えんの字はおうへんが要りますが、PCに入っていないので敢えて宛使っています。あしからず。
 孔明は、早くより蒋宛をかっていた。蒋宛が小さな街の長をしていたとき、かなり評判が悪かったが、その素質を見ぬき、劉備に「蒋宛」は、国政を担当してはじめてその能力が開花します。と進言した。その後、蜀の国政に関わり孔明を助けていた。当然、魏延と楊儀の不仲も知っており、孔明亡き後の事もうれいていた。孔明が五丈原(ごじようげん)でなくなる前、劉禅の使いとしてきていた「李福」に「自分亡き後は、蒋宛、費い(ひい)に自分の後を継いでもらってほしい」と遺言した、と言う話があるが、ストーリーとしては面白いから後から付け加えられたものらしい。ただ、孔明が、劉禅にこの二名を推薦したのは事実らしい。孔明亡き後、群臣達は慌てふためいて混乱していたが、蒋宛の慌てず落ち着いた態度を見て、落ち着きを取り戻したと言われている。魏延の反乱の時も、魏延、楊儀両名よりお互いが反乱を起こしたとお互いに攻める文を、劉禅に奏上した時、慌てる重臣たちに、冷静に、両名の性格を考え、楊儀を指示し、「孔明殿のことだから、これぐらいの事は予想されていて、楊儀殿に何らかの指示を出されているでしょう」と判断し、落ち着かせた。予想通り、魏延の謀反に対して、馬岱に指示を出してあり、結果、魏延の首は切り落とされていた。その後、孔明亡き後の蜀の人選で、蒋宛に出世を負けた楊儀が、「魏に下ろうか」といっているのを聞いた劉禅が、楊儀を処刑しょうとするのをとめ、官位を剥脱し平民に落とすよう進言した。こうして、新たなる内乱の目をつみ、以後、蒋宛のもと内政を重点に、姜維の「魏」への侵攻をとめ蜀の国を守っていった。孔明の先見の目が、孔明亡き後の蜀の国の滅亡を遅らせることになった。