SNOOP'S ROOM

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23456HIT:よしりょうさん 23000HIT:あゆみさん 22222HIT:おおさかさん 20000HIT:あじゃさん 19400HIT:ももたろうさん 14444HIT:朔羅さん 14000HIT:nolakoさん 13000HIT:桃。さん 12900HIT:なぉさん 10000HIT:Peccさん 7777HIT:かつおさん 7000HIT:みーむーめーもさん 6700HIT:みっちゃんさん 6000HIT:ゆゆ&もえかさん 5000HIT:名大生さん 3333HIT:zukiさん 3300HIT:RASCALさん 2800HIT:NAVIさん 2600HIT:うめさん 2500HIT:たなかさん 2222HIT:たにやんさん 2200HIT:Masashiさん 2000HIT:asshiさん 1700HIT:Odoさん 1600HIT:おぎさん 1500HIT:きょうちゃんさん 1000HIT:ごんたさん おめでとうございます!!

 

 彼は私の最も好きなアーティストの1人です。ここでは彼のバイオグラフィーを紹介します。

 SNOOP DOGGY DOGG改めSNOOP DOGGは1971年、カリフォルニア州ロングビーチ、イーストサイド21ストリートに3人兄弟の次男として生まれる。のち、ノースロングビーチへ。本名CORDAVAR VARNADO。母親からよくSNOOPY、またはSNOOPとあだ名されて育った。それがステージネームの由来らしい。

 ポリテクニック高校在学中にラップグループのようなものを初めて結成していたようだが、卒業後はコカインの不法所持などで監獄へ入ったり出たりを繰り返していた。そのうち「213」というグループをWARREN G、NATE DOGGと共に結成する。1990年、WARRENの紹介でWARRENの兄であるDR.DREと知り合う。その頃のDREといえば、N.W.Aの一員として、またMICHEL'LEやTHE D.O.Cのプロデューサーとして大成功を収めていた頃であったが、デモテープを聞いてすぐにSNOOPとの共演を約束した。そして出来上がったのが映画「DEEP COVER」のテーマ曲「DEEP COVER」である。この曲はラップチャート1位を獲得、SNOOPはシーンに登場したとたん、いきなりスターダムにのし上がった。

 DREはこの後、N.W.Aを離れ、DEATH ROW RECORDSを設立するが、SNOOPはその一員として迎えられ、さらにDREの自宅に自分このアルバムは用の部屋をもらうという厚遇を受ける。そして、DEEP COVERから2年後、DREの1stソロアルバム「THE CHRONIC」が発売されるが、そのほとんどの曲でSNOOPはメインラッパーの座を務めており、このアルバムは大ヒットとなった。さらに翌1993年、SNOOPは、DREのプロデュースで、デビューアルバムをリリースする。「DOGGY STYLE」である。こちらも、デビューアルバムでありながら、いきなり初登場1位というHIPHOPチャート史上前代未聞の快挙を成し遂げた。未だこの作品を愛してやまない人は多いと思われる。

 しかし、同じ年にスヌープはたまたま殺人事件の現場に居合わせたため、殺人容疑で起訴される。もちろん彼殺人を犯してはいないのであるが、世間では大スキャンダルとして見られた。

 だが、DREもSNOOPも、それでめげることなく、1995年には、「DOGGY STYLE」の中の曲名と同じ名前のミニムービー、「MURDER WAS THE CASE」を発表。サントラも多いにヒットした。余談だが、このミニムービーは日本語字幕版も発売されている。前半はSNOOPのインタビューや、ライブの様子などが多いため、ファンには見ごたえがある。

doggpound5.jpg (23191 バイト)左からSNOOP、DRE、DAZ、KURUPT

 裁判も無事無罪で終わり、次回作に期待が集まる中、DEATH ROWに移籍してきた1人のビッグスターがいた。2PACである。2PACは、ある事件がもとで服役中だったが、DRE以外のもう1人のDEATH ROWの経営者であるSUGE KNIGHTが、莫大な保釈金を立てかえる代わりに、彼をDEATH ROWへ移籍させた。このことについて、DREは反対だったと言われている。SNOOPは彼と親しく付き合った。DREは彼のアルバムのうち何曲かを自らからプロデュースしたが、この頃からSUGEとの仲が悪化し、結局DEATH ROWを離れることとなった。これは名コンビが解消されたことを意味した。

 確かに、DREは売れてからというもの、自らプロデュースをすることが少なくなっていたが(DAZに任せて、自分はミックスだけしていた)、DREが抜けたことはDEATH ROWにとって、大きな痛手だった。そして、1997年にはDEATH ROWは2PACをも失うこととなる。(注)

 SNOOPは、その後1996年に、ICE CUBE等のプロデュースで名をあげていたD.J.POOHの力を借りつつ、3年ぶりとなる2ndアルバム「THE DOGGFATHER」をリリースするが、やはりDRE抜きというのがひびき、前作ほどのヒットは生めなかった。

 1998年に入ってSNOOPはMASTER Pで有名なNO LIMITへ移籍した。前々から移籍を望んでいただけに、彼にとってはほっとしたのではないだろうか(DEATH ROWにいると身の危険を感じる、と言っていた)。1998年8月にはMASTER Pの全面協力で3rdアルバム「DA GAME TO BE SOLD, NOT TO BE TOLD」をリリース。その後もNO LIMIT所属のアーティストのアルバムに多数参加していたが、翌1999年に4thアルバム「TOP DOGG」を発表した。この作品では久々にDREとの競演がなされているなど、NO LIMIT色が前作より薄れており、それがSNOOPにとってはよい方向に働いているように思われる。

 SNOOPもこの頃にはNO LIMITを離れたいと思っていたようだが、契約の問題でできなかった。その後、THE EASTSIDAZという3人組としての活動なども精力的に行い、さらに早くも2000年にはおそらくNO LIMITからの最後のアルバムとなる「THE LAST MEAL」を発表。

 2001年の主演映画「THE WASH」のサントラが示す通り、最近DREとの仕事も増えてきており、新生N.W.A.のメンバーとしての活動も行っている。これからがますます楽しみである。

(注)ラスベガスでSUGEと一緒にBMWに乗っていた2PACは、突然銃弾を浴び、亡くなった。SUGEは無事だった(とはいっても今は牢屋の中だが)。犯人は未だ不明である。2PACと犬猿の仲だったBIGGYも時を前後して同じく凶弾に倒れているので、HIPHOPの東西抗争の一端ではないかとの見方や、ギャング抗争に巻き込まれたなど、その理由についても憶測が飛びかった。ただ、その後未発表の曲があまりにも多く世に出るので、「2PACは生きているのではないか?」などとの噂まで出る始末である。

関連リンク(IN U.S.A.)

Snoops Dogg house

 近況報告はここが充実。最新ネタをゲットだ!!

BigSnoopDogg.com

 彼の公式サイトです。SNOOPグッズも買えます。英語がわかればですが…。

No Limits' Snoop Dogg Site

 NO LIMITのサイト内にあるSNOOPのページ。   

 1996年2ndリリース後に大阪に来たとき、初めてライブに行きました。場所は大阪のベイサイドジェニーです。メッチャカッコよかったので、1998年12月に来日した際も同じ場所で行われたライブに行きました。うーんやっぱSNOOPはかっこいいですなあ。でも盛り上がるのはやっぱり1stの曲なんです。早く1stを超える作品を作ってもらいたいものです。

最終更新日 04/07/22 09:47
Author:Yuji"U-ZI"Yamaguchi
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