WESTSIDE!

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23456HIT:よしりょうさん 23000HIT:あゆみさん 22222HIT:おおさかさん 20000HIT:あじゃさん 19400HIT:ももたろうさん 14444HIT:朔羅さん 14000HIT:nolakoさん 13000HIT:桃。さん 12900HIT:なぉさん 10000HIT:Peccさん 7777HIT:かつおさん 7000HIT:みーむーめーもさん 6700HIT:みっちゃんさん 6000HIT:ゆゆ&もえかさん 5000HIT:名大生さん 3333HIT:zukiさん 3300HIT:RASCALさん 2800HIT:NAVIさん 2600HIT:うめさん 2500HIT:たなかさん 2222HIT:たにやんさん 2200HIT:Masashiさん 2000HIT:asshiさん 1700HIT:Odoさん 1600HIT:おぎさん 1500HIT:きょうちゃんさん 1000HIT:ごんたさん おめでとうございます!!

 

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 ここでは私のお気に入りのアーティストを一部紹介します。ABC順です。 文中のアルバム名で、私が持っているものは青で、そのなかで気に入ってるものは黄色の文字で書いてあります。また、アーティスト名に下線があるものは、公式サイトにリンクされています。ウェッサーイ!!

 やっと更新する気になりました。ちょっとずつ変えていきますので…。これだけのEMINEM人気なのに、作ったのが昔過ぎて、EMINEMについて一言も触れてないのはさすがにまずいかな、と(笑)でもNO LIMITソルジャー達はSNOOP以外載せませんよ。載せても首領、MASTER Pまでかな?WESTのニュースクール組や、CMW系は検討中ですが、一枚も持ってない人やグループは載せません。あくまで私がN.W.A中心ではじまってますのでご了承を。

2002/1/11 ちょこちょこっと更新。2001年に出たアルバムを少し付け加えました。

ABOVE THE LAW

 もともとはN.W.A近辺にいたグループ。いい曲もちょこちょこあるのに、それ以上にクズ曲も多いため、そこまで好きではないはずなのに、このグループのアルバムはなぜかミニアルバムを含め5枚―「LIVIN' LIKE HUSTLERS」(1990)ミニアルバム「VOCALLY PIMPIN'」(1991)「BLACK MAFIA LIFE」(1993)「UNCLE SAM'S CURSE」(1994)「TIME WILL REVEAL」(1996)持っている。メンバーは初めはTOTAL K-OSS、GO MACK、KM.G、COLD 187UM4人だったが、2ndアルバム(ミニアルバムは除く)のリリース後に、GO MACKが脱退している。最新アルバムは「LEGENDS」(1998)。

D12

 EMINEMと彼のデトロイト時代のダチ達のグループ。メンバーはEMINEM、PROOF、KON ARTIS、BIZARRE、KUNIVA、SWIFTY。「DEVILS NIGHT」(2001)で本格デビュー。EMINEM人気に支えられ、一気にスターダムにのし上がった。2001年には来日し、フジロックフィスティバルにも参加。

DAZ DILLINGER(DAT NIGGA DAZ)

 SNOOPの従兄弟。本名DELMAR AMAUD。DREを除けば、過去のDEATH ROWレーベルではメインプロデューサーであったと言える。SNOOP、KURUPT、NATE、2PAC等、数多くの楽曲をプロデュ―スしてきた。名曲も多い。KURUPTと共にTHA DOGG POUND、改めD.P.G.としてもアルバムを出しているが、ソロでも2枚アルバムを出している―「RETALIATION,REVENGE AND GET BACK」(1998)「R.A.W」(2000)最近はJTと活動を共にし、二人の名義で2枚立て続けにアルバムをリリースした―「GAME FOR SALE」(2001)「LONG BEACH 2 FILLMOE」(2001)

DJ QUIK

 本名DAVID BLAKE。1970年生まれ。悪名高いL.A.のコンプトン出身。元GANGメンバーだった。ステージ名のQUIK(クイック)が本来の綴りでないのは、「C」が「CLIPS」(L.A.の2大GANGグループのひとつ=青いほう)を意味するため。もはやWEST SIDEのベテランの1人で、デビューアルバム「QUIK IS THE NAME(1991)から「WAY 2 FONKY」(1992)、「SAFE+SOUND」(1995)、「RHYTHM-AL-ISM」(1998)、「BALANCE & OPTIONS」(2000)、「HEAT MISERS」(2000)と6枚のアルバムをリリースしている。私が持っているのは1枚だけだが、音もラップの仕方も結構好きである。メロディアスで気持ちいい。怒られるかもしれないが、「聞き流し系」と命名したい(笑)

DR.DRE

 彼の部屋を作りました MENUを参照してください。

EAZY-E

 本名ERIC WRIGHT。元N.W.Aリーダー兼RUTHLESS RECORDS社長。L.A.はCOMPTON出身。1995年エイズで死去。享年31歳。ヤバイ仕事で稼いだ金でRUTHLESSを立ち上げ、N.W.Aを世に送り出した張本人である。N.W.Aとして2枚アルバムを出した後、ICE CUBEは彼と金銭問題でもめてN.W.Aを脱退。DR.DREも3枚目を出した後に同じく彼ともめて脱退した。その後彼はソロ作等で彼らをDISしまくるというという性格の悪さを見せている(笑)。とにかく話題に事欠かない人であった。アルバムはベスト、ミニを含めると5枚「EAZY-DUZ-IT」(1988)、ミニアルバム「5150 HOME 4 THA SICK」(1992)、ミニアルバム「IT'S ON(DR.DRE)187UM…」(1993)(DREをDISしまくりはこのアルバム。題名でも知れる)、ベストアルバム「ETERNAL E」(1995)、「STR8 OFF THA STREETZ OF…」(1998再販)。私が持っているのはDREプロデュースの、1stアルバムだけであるが、これは隠れたN.W.Aの作品と言ってもいいような、N.W.Aのメンバー総出演のおすすめ作品である。

EMINEM

 本名MARSHALL BRUCE MATHERS III。ミズーリ州カンサスシティー出身。1973年生まれ。今最も熱い白人ラッパーである。12歳でデトロイトに移り、高校の時からラップをはじめた。1999年にDR.DREと出会い、AFTER MATHと契約。そしてTHE SLIM SHADY LP」(1999)でメジャーデビューを果たす。過激なライムと(これはここで紹介している人はたいていそうだが、母親にさえ訴えられているのはこの人くらいか?)、独特のラッピン、SLIM SHADYというもう1人の自分になってラッピンするという面白さ、そして何よりもDR.DREの作り出す最高のサウンドとの相性のよさで、爆発的な世界的ヒットを生み出した。翌年には早くも「THE MARSHALL MATHERS LP」(2000)をリリースし、こちらもヒット。スターの地位を不動のものとした。

ICE CUBE

 元N.W.A。本名O'SHEA JACKSON。1969年L.A.サウスセントラル生まれ。この人はICE-Tのステージを見てラッパーになろうと思ったらしい。N.W.Aの中心的ラッパーだったが、金銭面でリーダーのEAZY-Eや、マネージャーともめて脱退。その後PUBLIC ENEMYのメンバーに助けられ、ソロアルバム「AMERIKKKA'S MOST WANTED」(1990)を製作、大成功を収める。その後も精力的に活動を続け、毎年アルバムをリリース。WESTの顔とも言えるまでとなった―ミニアルバム「KILL AT WILL」(1990)「DEATH CERTIFICATE」(1991)「THE PREDATOR」(1992)「LETHAL INJECTION」(1993)。ただ、4THアルバム、「LETHAL INJECTION」を出してから、映画にのめりこんだのか、ソロアーティストとしては著しく評価が落ちていく。その後はリミックスアルバム「BOOTLEGS & B-SIDES」(1994)をリリース後、1996年にW.C.とMACK 10とのユニットである、WESTSIDE CONECTIONを結成。グループとしての活動を行っている。ソロとしては競演集「FEATURING ICE CUBE」(1997)でお茶を濁しておいてから(濁しすぎ?)、ついに活動を再開。「WAR&PEACE VOL.1 THE WAR DISK」(1999)「WAR&PEACE VOL.2 THE PEACE DISK」(2000)をリリースした。この「WAR&PEACE」は本来2枚組だったのだが、2枚に分けて発売されることになった。「THE WAR DISK」は厳しい出来で、もう駄目かと思ったが、「THE PEACE DISK」はなかなかいい出来である。映画好きCUBE、やっと完全復活か?

ICE-T

 西海岸の大御所ラッパー。本名TRACY MARROW。1958年ニューアーク生まれだが、L.A.に移住。この地域の元祖ラッパーである。1983年頃にはもう活動していたようだが、メジャーデビューは1987年「RHYME PAYS」(1987)。過激な歌詞で頭角を現し、さらに引き続き「POWER」(1988)、「ICE BERG:FREEDOM  OF SPEECH」(1989)とリリース。この分野好きなら誰もが目にする例のステッカーを最初に貼り付けられたのはこの人である。ギャングとのつながりも噂され、FBIにも目をつけられたりしていたようだ。余談だが、私がまだブラックミーハ―でR&B(BOBBY BROWNとか)を聞いていた頃、この人の声をQUINCY JONESのアルバムで聞き、それが元でラップの世界に足を踏み入れた。ちょうどその頃に出ていたアルバム「O.G.:ORIGINAL GANGSTER」(1991)は私がはじめて触れるGな世界だった。その次のアルバム「HOME INVASION」(1993)では母親殺しの歌詞が問題になったり、ラッパーなのにメタルバンドBODY COUNTを結成し、その1stアルバムでCOP KILLERという曲が、題名からしても分かるが、発売してまもなく歌詞に問題があるということで差し替えになったり(差し替え前の持ってます!)と話題には事欠かない人であった。あった、と過去形なのは、その後の「RETURN OF TE REAL」(1996)「THE 7TH DEADLY SIN」(1999)はさしたる話題を残していないからだ。この人は声はめちゃいいのだが…音がちょっと。歌詞で話題にならないとつらいのかもしれない。また、この人も(ICEという名前は俳優向きなのか?)俳優業を盛んに行っているのでチェックすると面白いだろう。有名なところでは「JM」とか…。

KURUPT(KURUPT THA KING PIN、YOUNG GOTTI)

 本名RICARDO BROWN。1972年フィラデルフィア生まれ。DAZ DILLINGERと共にTHA DOGG POUNDとしてDR.DRE率いるDEATH ROWレーベルの一角をになった後、「KURUPTION!」(1998)でソロデビュー。このアルバムはEASTとWESTに分けられた2枚組で、どちらの音とも相性のよい自分のスタイルをアピールした。次作「THA STREETZ IZ A MUTHA」(1999)でもますますスキルに磨きがかかり、「SPACE BOOQIE:SMOKE ODDESSEY」(2001)で最高潮に。派手さはないが、今も着実に成長を続ける実力派である。

MACK 10

 本名D.ROLISON。1971年カリフォルニア州イングルウッド出身。ICE CUBEに実力を見出され「MACK 10」(1995)でデビュー。翌年には ICE CUBE、W.C.と3人でWEST SIDE CONNECTIONとしての活動も始める。ソロとしてもさらに翌年「BASED ON A TRUE STORY」(1997)でその素質を存分に発揮する。その後も3枚のアルバムをリリース―「RECIPE」(1998)、「HOO BANGIN':MIX TAPE」(1999)、「THE PAPER ROUTE」(2000)しているが、この人、影では「ステージギャングスタ」ラッパーと蔑まれている。昨年TLCのT-BOZと結婚し、南部のCash Moneyレーベルに移籍。「BANG OR BALL」(2001)をリリースした。もちろんT-BOZも参加している 

M.C.HAMMER(HAMMER)

 本名STANLEY KIRK BURRELL。1962年カリフォルニア州オークランド生まれ。私くらいの年の人で(今年26です)知らない人はいないだろう。3枚持っていたが、2枚売った(笑)。全アルバムタイトルには触れないが、さすがに全世界で、1000万枚セールスを記録した2nd「PLEASE HAMMER DON'T HURT'EM」(1990)は手放してはいない。なんだかんだ言っても、さすがにこれはよく出来たアルバムである。ネタ元が変わっていて面白い(プリンスまであります)。ただ、この後すさまじいバッシングにあい、彼がバッシングしていたギャングスタっぽくイメチェンを試みるも失敗(意外とSNOOP等元DEATH ROW組とはつながりがあるようだ)。最近自己破産の噂も聞いたが、チョット哀れなこの人ではある。

M.C.REN

 元N.W.A。本名LORENZO PATTERSON。アルバムは4枚―「KIZZ MY BLACK AZZ」(1992)「SHOCK OF THE HOUR」(1993)、「THE VILLAIN IN BLACK」(1996)「RUTELESS FOR LIFE」(1999)。4thアルバムにはCUBEや、SNOOPもゲストで出ているが、それでもN.W.A.解散以来、不振を極めた。その後新生N.W.Aに参加。今後に期待したい。

NATE DOGG

 本名NATHANIEL DAWAYNE HALEL.A.出身。歌うようにラップする、というスタイルの元祖。同じスタイルをとるDOMINOは彼の真似だという話である。昔から、SNOOP DOGG、WARREN Gと213というグループとして行動を共にし、WARRENの紹介でDEATH ROWレーベルに所属。その独特なスタイルでDEATH ROWでの存在を強烈にアピールしつづけた。多くのアルバムに参加しているが、ソロ作はDEATH ROW内のごたごたのせいで、できあがっているものの、出せずじまい。よってレーベルを変え、やっと2枚組でリリースできた―2枚組「G-FUNK CLASSICS VOL.1&2」(1998)。もちろん、SNOOP、WARRENも参加している。

N.W.A

 西海岸の伝説的グループ。グループ名はNIGGERS WITH ATTITUDEの略で、プロレス団体と引っ掛けている。中心メンバーは、EAZY-E、ICE-CUBE、DR.DRE、M.C.REN、D.J.YELLA。まずDREとYELLAのグループのライブをEAZYが見ていて知り合い、さらに CUBEを加えグループとなった。そしてEAZYが立ち上げたRUTHLESSレコードから「N.W.A. AND THE POSSE」(1987)でメジャーデビューする。翌年「STRAIGHT OUTTA COMPTON」(1988)で、下品で暴力的だとの批判を受けたり、FBIからライブ中止勧告を受けたりしながらも、熱烈な支持を受けるグループとなる。しかしこの後CUBEが金銭面でもめて(EAZYが着服しているとの疑惑)脱退。メインラッパーを失い窮地に立たされるも、サウンドのかなめであったDREがふんばり、ミニアルバム「100 MILES AND RUNNIN'」(1990)「NIGGAZ FOR LIFE」(1991)(必聴です!)とリリース。グループとして確固たる地位を築いた。そんな中、またも金銭面からDR.DREが脱退。そのおかげでこのグループは空中分解してしまった。もう少しEAZYが大人だったら解散ということにはならず、CUBEとDREという巨頭をかかえるグループとしてさらに輝かしい歴史を刻んだかもしれない。しかしそのEAZYも、1995年にエイズで他界している。もう一度オリジナルメンバーで再結成して欲しかったと思っているのは私だけではないはずだ。それくらい最高のグループだった。ベストアルバムやトリビュートアルバムも出ている。最近、MC REN、DR.DRE、ICE CUBEにSNOOP DOGGを加え、再結成された。アルバムが楽しみである。

NAUGHTY BY NATURE

 彼らはニュージャージーのイーストオレンジ出身、ということで東海岸組だが、大好きなグループの1つである。メンバーは、TREACH、VINNIE、KAY GEEの3人。アルバムは4枚「NAUGHTY BY NATURE」(1991)「19 NAUGHTY V」(1993)「POVERTY'S PARADISE」(1995)「NINETEEN NAUHTY NINE NATURE'S FURY」(1999)出しているが、すべて持っている。私は夏に聞く頻度が一番高い。TREACHのラッピンは最高。

SCARFACE

 GETO BOYSのオリジナルメンバー。昔はD.J.アクシェン(つづり誰か教えて下さい)と名乗っていた。私は彼のアルバムは2枚しか持っていない('93 THE DIARY(^O^)、'97 THE UNTOUCHABLE)が、彼のことは結構好きである。

SNOOP DOGGY DOGG(SNOOP DOGG)

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SOOPAFLY

 本名PRIEST BROOKS。DAZとともに行動し、プロデューサーとしてずっと脇役に徹してきたようだが、やっとDAT WHOOPTY WOOP」(2001)でデビュー。

THA D.O.C

 若き日は、N.W.Aと行動を共にし、将来を嘱望された天才ラッパーであったが、交通事故に遭い、のどを負傷。復帰は無理だと思われたが、痛々しいまでのだみ声で復活した。アルバムは、事故前1枚―「NO ONE CAN DO IT BETTER」(1989)と、事故後1枚「HELTER SKELTER」(1996)。事故後のアルバムは、サウンド的には嫌いじゃないが、やはり失った声というものは大きいようで、聞いていて痛々しすぎる。 

THA DOGG POUND(D.P.G.)

 DAT NIGGA DAZ(DAZ DILLINGER)とKURUPT(THA KINGPIN、YOUNG GOTTI)の2人組。THA DOGG POUND名義でのアルバムは1枚―「DOGG FOOD」(1995)(ジャケはださいが必聴です!)だけだが、2人ともDEATH ROW名義のアルバムにはほとんど参加しており、同レーベルの中枢をになってきたといっても過言ではない。特にDAZはプロデュース業も盛んに行っている。KURUPTが他レーベルに移籍し、共にソロ活動がメインであるが、解散したわけではなく、ソロ作でもお互いにフィーチャーしつつ活動を続けており、DEATH ROWとの版権がらみでTHA DOGG POUND名義が使えなくなっている彼らは、D.P.G(DOGG POUND GANGSTAZの略)という名義で「DILLINGER & YOUNG GOTTI」(2001)をリリースした。これに対し、DEATH ROW側は、SNOOP、DREの時のように、未発表曲を集めてアルバムを作り、発売日前にぶつけてくるといういつもの手段を使っている。それだけ大物ということか。

THE DOVE SHACK

 WARENN Gの後押しによってシーンに出た3人組。メンバーはC NIGHT、BO ROC、2 SCOOPS。デビューアルバムの「THIS IS THE SHACK」(1995)の中の「SUMMERTIME IN THE LBC」(これはラップというよりも…歌物?)が映画「THE SHOW」のサントラに収録されていたので話題となったが、その後は鳴かず飛ばず。昨年2ndを出し、日本版で買った…手元に無いのでネットで資料(ネタ元が2ヶ所ありまして…)を集めようとしたが、なんと!1stしか載ってない!!ちょっとかわいそう?なグループである。

THA EASTSIDAZ
THE LADY OF RAGE

 DEATH ROW一派の女性ラッパー。他のメンバーのアルバムにも多数出演。自身のアルバムは1枚―「NECESSARY ROUGHNESS」(1997)。前々からアルバムリリース予定はあったのだが、後回しにされ、結局DR.DREがDEATH ROWを離れてからのリリースとなり、DREプロデュースの曲は含まれていない。プロデューサー陣は非常に豪華なアルバムであるが、やはりDREの抜けた穴は大きかったようだ。

TOO SHORT

 オークランドの親玉的ラッパー。超ベテランである。出身は実はL.A.。名前は背が低いことからだが、それでも170はあるらしい。アルバムは10枚以上出しているが、私が持っているのは1枚―「SHORT DOG'S IN THE HOUSE」(1990)だけである。一旦引退したが、最近また復帰した。日本では人気がないが、あちらではかなり人気があるようだ。そういった意味でも非常に西海岸らしい(笑)。

TWINS

 WARENN Gの子分的存在の双子のDUO。アルバムは1枚― 「CONVERSATION」(1995)で、ポップ(いい意味で)な音が気持ちいいWARRENプロデュースらしい仕上がりとなっている。

2PAC(MAKAVELI)

 元DIGITAL UNDERGROUND。THUG LIFEのリーダー?。本名TUPAC AMARU SHAKUR。1971年ニューヨークはブルックリン生まれ。ボルチモアでアート系の学校に通ったのち、カリフォルニアに移住。DIGITAL UNDERGROUNDのラッパー兼ダンサーとしてシーンに登場した。1991年にDIGITAL UNDERGROUNDを抜け「2PACALYPSE NOW」(1991)でソロデビュー。同じ頃、映画「JUICE」でも好演を見せ、俳優としても大きな評価をうけた。さらに続く「STRICTLY 4 MY N.I.G.G.A.Z」(1993)をヒットさせ、ギャングラッパーとしての地位を確立した。そして3rdとなる「ME AGAINST THE WORLD」(1995)をリリース後、しばらくしてとある事件で獄中の身になる。そこへ登場したのがその頃絶頂のDEATH ROWレーベルの首領SUGE NIGHT。保釈金を代わりに払って2PACをDEATH ROWと契約させた。そしてDRE、SNOOP等の同レーベルの看板アーティスト達も交え、2枚組「ALL EYES ON ME」(1996)(必聴です!)をリリース。一大ヒットとなる。そのすぐのちにステージネームを尊敬するイタリアの思想家MAKAVELIと同じ名前に替え「THE DON KILLUMINATI-THE 7DAY THEORY」(1996)をもリリースするが、相変わらずごたごた続きで(移籍先がそういうレーベルだったからというのもあるが)それが昂じたのかラスベガスにて銃撃に遭い同年に他界。MAKAVERIと名を変え心機一転、という矢先の出来事であり、非常に悔やまれる。製作をあるおおかた終えていた自身5枚目となる「R U STILL DOWN?(REMEMBER ME)」(1997)は死後のリリースとなった。死後から最近に至るまで未発表曲があまりにリリースされるため、生きているんじゃないかという噂もある。ベスト(これはかなり買いらしいが…)やら未発表曲で作られたアルバムやらいろいろ出ているが、書ききれないので割愛させていただく。

WARREN G

 本名WARREN GRIFFIN III。DR.DREの実弟(片親が同じ)。初めは213というグループとして活動を共にしていたSNOOP、NATEと共にDEATH ROWに所属するが、DREとうまくいかなかった(?)ため独立。RAL傘下にG-FUNK MUSICを設立し、「REGULATE...G FUNK ERA」(1994)(必聴です!)をリリース。DREのつくるG-FUNKとは一線を画したややポップで、よりレイドバックしたサウンドを構築し、われこそは本家G-FUNKだとアピールした。その軽さゆえにHIPHOPファンからとかく槍玉に挙げられがちだが、私は彼の作る音は大好きである。続く「TAKE A LOOK OVER YOUR SHOULDER」(1997)ではやや音を変えていこうとしたようだが、大きく成功せず(G-FUNKの言葉も空しく響いた頃だった)、さらに続く「I WANT IT ALL」(1999)で1stよりに戻ったようである。

WILLIE D

 本名WILLIE DENNIS。元(?)GETO BOYSのメンバー。ということで南部組である。途中参加だが、まるでオリジナルメンバーかのような存在感があり、ソロデビュー作の「CONTROVERSY」(1989)でも「F___ RODNEY KING」というすさまじい題名の曲(L.A.暴動の引き金となった、警察による一般市民殴打事件の被害者、ロドニー・キング氏をバッシングする内容)で話題となった。「I'M GOIN' OUT LIKA SOLDIER」(1992)でも攻撃的な態度を続け、「PLAY WITCHA MAMA」(1994)では音楽的にもG-FUNKの影響を受けたよいものとなった。最新アルバムは「LOVED BY FEW,HATED BY MANY」(2001)。

XZIBIT
YELLA(D.J.YELLA)

 元WORLD CLASS WRECKIN' CRU。前N.W.A。本名ANTOINE CARRABY。古くからDREと交流のあった人である。自身のアルバムは1枚「ONE MO NIGGA TA GO-DADICATED TO THE MEMORY OF EAZY-E」(1996)。EAZYの死んだあとに追悼アルバム的に出しただけである。その後音沙汰無く、新生N.W.A.にも参加してない。

関連リンク(IN U.S.A.)

Yahoo! Entertainment:Music:Artists:By Genre:Rap and Hip

 Yahoo!U.S.A.のなかの1ページですが、さすが本場だけあって、かなりマニアックなアーティストのページへのリンクが豊富です。

Rapsheet.com -THE Hip-Hop spot!Hop

 Rapsheet、ご存知ですか?日本でもTOWER RECORDとかで買えます。RAP関係だけの新聞です。そこのページです。

 

最終更新日 04/07/22 09:47
Author:Yuji"U-ZI"Yamaguchi
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