「空き教室はひとつもない」 「少子化の時代」といわれるようになって久しい。たいていの町では子どもの数が減り、小中学校の教室が余るようになった。私の住む埼玉県吹上町もその例にもれず、小学校四校、中学校二校の児童数は、周辺に住宅の建ち始めた農村部の一小学校だけがいくぶん増加気味なほかは、減少傾向にある。 吹上町は、人口約二万八千。町の真ん中に高崎線の吹上駅があり、上野や池袋まで一時間の距離だ。ベッドタウンというにはやや東京から遠いが、もともとこの町の住民でない、いわゆる新住民が半数を占めている。中でも、昭和五十年代に建てられた約千世帯の団地には、当時子育て世代だった人がいっせいに引っ越してきたため、町はその地域に小学校を新設した。しかし、団地住民は年齢構成が似通っていることから、子どもたちはいっせいに成長し、独立し、残っているのは高齢者世帯ばかり、という状況になってきている。ピーク時には各学年四クラスあったその大芦小学校も、平成十五年度には全学年一クラスになる予定だ。 最盛期が四クラスかける六学年で二十四クラス。来年からは一クラスかける六学年で六クラス。さて、ここで問題です。この小学校では、教室はどれだけ余るでしょうか。 単純に考えれば、二十四ひく六で、答えは十八。しかし、徐々に教室が余ってくる中で、これまで町教育委員会では、学校にランチルームを作ったり、展示室を作ったり、それはそれは涙ぐましいほどの努力をして、教室を余らせないようにしてきた。なぜなら、教室が余っていると、空き教室を学校以外の用途に活用しなければならなくなるから。 「いいじゃないの。学校は住民みんなの財産なんだから、有効に使ったほうがいいに決まってるでしょう。テレビの金八先生の中学校でも老人の施設が入ってるし・・・」 というのは、一般市民の感覚。教育委員会の感覚は一般人とかなりずれている。何せ教育委員五人のうち三人が元校長先生で、平均年齢も高い。課長さん方も、なるべく面倒なことは避け、つつがなく定年を迎えたい、という体質。他の市町村ではどんどん学校の空き教室を転用しているというのに、「管理上の問題が発生する」「児童の気が散る」「交通量が増えるおそれがある」「不特定多数の人が出入りするのは危険」などの理由をつけて、これまで空き教室の開放に手をつけずにきた。 「空き教室」といっても、世間が言うものと文部省の定義では、少し異なる。文部省初等中等教育局施設助成課のホームページから抜粋してみると、次のようになる。
普通教室というのは、「○年○組の教室」という教室だから、子どもの数が減り、クラスが減れば当然余裕教室は増えてくる。文部省の調査では、平成五年から十二年の間に発生した余裕教室の九割以上が、さまざまな形で活用されており、転用事例集も配布されている。 また、公立小中学校は市区町村が国の補助金を使って設置し、その自治体の財産になっている。通常、国からの補助金で建てたハコモノは、本来の用途以外に使用すると、その補助金を返さなければならないのだが、学校についてはこの規制も緩和されている。したがって、余裕教室をどのように使うかは、それぞれの市町村に任されているのだ。逆に、空き教室を転用して余計な仕事を増やしたくない自治体は、「余裕教室はない」ことにする傾向がある。 わが吹上町も、長いこと「余裕教室はあるが、空き教室はひとつもない」と言い続けてきた。 七年間も「研究し」続けている教育委員会 吹上町で、空き教室のことが最初に取り上げられたのは、一九九三年(平成五年)七月の町議会。「空き教室の利用について」という一般質問に対し、町教育委員会は「研究を進めている」と答弁している。会議録をもとに、やりとりの内容をまとめてみた。(以下、議事録部分はすべて打越による要約)
議会の答弁というものは、イエス、ノーをはっきりさせず、「前向きに考えていく」「調査・研究していく」「今後検討していきたい」など、あいまいに逃げるのが常套手段だが、それにしても「研究を進めている」という答弁があったことは事実だ。ここから、いったいどのように研究したのだろう。 翌年以降も何人かの議員から、「高齢者福祉に」「生涯学習に」「地域のふれあいの場に」「文化活動を目的とした高齢者の施設として開放してはどうか」など、さまざまな実例まで挙げて「空き教室の利用を進めるべきではないか」と、再三町議会で一般質問があったのだが、教育委員会は「学校の教育活動がゆとりをもって実施できるよう児童生徒の学習活動の転用に努力し、その後社会教育施設を考える」という答弁を続けている。その努力している転用の内容は「児童会室、会議室、生活科室、図工作品の展示室、環境教育における教材室、木工室、多目的ホール、理科作品展示室、第二音楽室等に活用」というもの。そして「学校教育目的外に利用できる教室はない」と言い張った。その理由は、たとえば「将来、児童数が増えるかもしれない」「総合的な学習の時間に使う部屋を確保したい」「補助教員による小人数クラス編成ができたときのために」などなど。要は「面倒なことはやりたくない」ということなのは、誰が見ても明らかだ。
しかし、ずっとこの調子で逃げてきた教育委員会が、平成十二年度に入って突然「余裕教室の活用」に乗り出すことを決めた。「一歩前進」と喜んだのはつかの間。この決定は「町の都合」によって「空き教室を転用」させるのが目的だったことがほどなく判明する。 検討委員会が始まった 余裕教室を転用するために、町教育委員会が初めに作ったのが「余裕教室活用検討委員会」というもので、メンバーは、校長先生、PTA、町内会長、文化財保護委員、役場職員などから選出された十数人。もちろん公募などはなく、全員教育委員会が選任した人たちだ。 平成十二年七月二十四日の第一回の会議で顔合わせし、九月二十七日の第二回では、町内六小中学校の将来の生徒数見込み、余裕教室の状況、活用の予定が報告された。大芦小学校も含めてすべての学校で、現在空いている教室も「作品展示室」「国際交流室」「福祉教室」などにしたり、総合的な学習の時間に使用したりするため、活用できる余裕教室はないとの報告。 ただただ黙って座って報告を聞いているだけの会議で、しかも「活用できる余裕教室はない」と結論まで出ているのでは、この会議はいったい何のためにやるのだろう。町民の中から選任された委員の心の中に、はてなマークが浮かび、「本当に活用できる教室はないんですか」「たとえ一教室でも町民に開放するべきでは」という声があがった。 「待ってました」とばかりに、そこで会議の流れが変わり、大芦小学校だけは結論を考え直すことになり、それ以外の学校は報告どおり、学校目的以外に使わないことで承認ということになった。 このやりとりが、その後の会議に対する不信の始まりだった。 突然「活用OK」となった大芦小学校 平成十二年十二月十五日の第三回余裕教室活用検討委員会。会議の冒頭に、大芦小学校が三つの教室を空けるので、活用して良いということになった。大芦小学校の教室が空いていることは誰の目にも明らかだったから、当然といえば当然なのだが、それならなぜ前回余裕教室が活用できると言えなかったのだろう。校長と教育委員会との間に、溝が見えていた。 ともあれ、この日に初めて、ようやく活用方法の検討が始まったのだ。 当時、町教育委員会に要望があるものとして、
があげられた。中でも保育所分園については、エンゼルプランで一時保育をする計画があるのに場所がない状況、少子化対策特例交付金を元にした基金が約二千万円あること等が女性児童課長から報告され、町としてはぜひとも保育所を作りたいとの希望が伝えられた。と同時に、文化財保護委員からは、郷土資料館はそれほどの逼迫した要望ではないこと、福祉課長からは、デイサービスセンターはとりあえず間に合っている状況などが報告され、流れは一気に保育所分園設置の方向へ。 そこで一人の委員から、この会議の方法がおかしいという声があがった。つまり、教育委員会からもらった資料によれば「吹上町全体の余裕教室をどのように活用するのか」を話し合うことが会議の目的であるはずなのに、これでは始めから「大芦小学校に保育所分園を作ることの是非」を話し合う会議だったのではないかという疑問だ。委員のメンバーを改めて見れば、校長会会長以外に大芦小学校長、PTA連絡協議会の会長以外に大芦小学校PTA役員。町内会長連絡会の会長以外に大芦地区の町内会長。たしかに大芦小がターゲットだったことはミエミエだ。 教育委員会の出した資料「吹上町余裕教室活用検討委員会設置要綱」は、次のようなもので、住民から選ばれた委員は、これにそって会議は進められると説明されていたのだ。
「大芦小にターゲットを絞って、すでに予算見込みまで出しておいて、会議で『どうですか』ときくのは、卑怯なやり方だ」と憤るPTA側。ところが町職員側はそもそも意識が違う。財政担当課長は「大芦小学校に保育所を作るという計画をどう進めるか話し合う」つもりだったし、女性児童課長は「保育所のために大芦小学校の教室を空けてもらえる」つもりだった。つまりこの会議を「国からもらった少子化対策特例交付金を、保育所分室に使うための手続きとしての会議」と思っていた役場職員たちは、この日に至るまでのやりとりを、むしろイライラしながら聞いていたのだった。 そもそもの発端は少子化対策特例交付金 ここで、少子化対策特例交付金について少し説明しておきたい。この交付金は、平成十一年九月に全国の市町村に交付されたもので、保育所の待機児童数などによって金額が決まった。吹上町では三千三十四万三千円が交付され、平成十三年度までに使うことが条件とされた。平成十一年当時の予算承認の議会では、私はその使いみちについて「町民からアイデアを募ること」あるいは「当事者である若い母親の声を聴いて使いみちを決めること」を提案すべく質問に立ったが、「あくまで役場の中で話し合って決めていく」という答えに終わった。 当時、私は自分の発行したファックス通信で、次のように書いている。
このお金はいったん基金(貯金)にし、平成十二年度に、二つの私立幼稚園への補助に五百万円、学童保育室の改修に二百四十一万五千円が使われた。 少子化対策特例交付金は、もしも平成十三年度いっぱいに使いきらなかった場合は、国に返還しなければならない。したがって町としては、余裕教室活用検討委員会で保育所分園が決まらなければ、平成十三年度予算を立てることもできない、という事情があった。 その点を説明されると、PTA側は「きちんとした手続きなしに使うくらいなら、そんな補助金、国に返せばいいじゃないですか。」と言い、これには担当者は顔を真っ赤にして「この厳しい財政事情の折に、せっかくの補助金を『返せばいい』とは、あまりにも無責任じゃありませんか。」と応酬。会議はますます険悪ムードになったのだった。 余裕教室の有効利用は大切だが、空いた教室を何に使うかについては、町当局の考えでなく町民の考えを聴くべきで、検討委員会はそのための組織だったはずではないだろうか。少子化対策特例交付金の使いみちは役場で決めるのだと言い張った結果が、この会議につながっているように見える。 初めから結果が決まっているものを、いかにも「町民の声を聴きました」というポーズを作るために会議を開くことは、それまでにも多くあった。というより、ほとんどがそうだった。エンゼルプランしかり、水道料金の値上げしかり、プラスチックの分別方法しかり。知らないうちに知らないところで「町民の声」を聴いたことになって物事が決まっていく。 町民は生活者であり、納税者であり、有権者である。もっと知らせ、呼びかけ、参加を促すべきだし、町民の側でも「自分の町」という意識で、一緒にまちづくりをしていくことが必要だと思う。 最後の会議 さて、結論を先送りして第三回の会議は終わり、次に二月九日に四回目の会議が行なわれた。この日は大芦小PTAを中心に六人が傍聴した。 「どうしても大芦小学校の空き教室に町立保育所の分園を作りたい」 という町に対し、 「小学生の教育環境を守りたい」 という学校側。それぞれの主張を比べることはもちろんだが、その前に判断材料がなければ話は進まない。 一人の委員が 「前回、保育所との話が出たが、口頭でなく文書で提案してもらわないと、委員として判断できない。」 と言うと、女性児童課長は、 「まだ教室を使えるかどうかわかっていない段階なので、具体的な提案文書は作っていない。」 また別の委員が 「県下での余裕教室活用の先進事例を知りたい。」 と言うと、 「県下の例は調べていないが、似た例として世田谷区に中学校に民間の幼稚園を入れているという例があり、うまくいっているとのことだ。」 「小学校に保育所という例はないのか」 「群馬県中里村に例があると新聞に出ていた」 と、担当課でありながら調査もろくにしていない状況。この中里村の例を調べてみると、小学校は全校児童二十五人ほどで複式学級、保育所は三年保育で児童数九人だという。はたして吹上町の参考になるだろうか? さらに学校側の 「具体的にどんな保育所を作りたいのか」 との問いに、 「空き教室が使えるとなったら、細かいことまで考えるつもりだ」 と町の担当者は答える。 「空き教室の利用を承認する」のが先か、「利用方法を想定する」のが先か、で委員の意見も分かれ、どうどうめぐり。 でも、ちょっと待ってほしい。問題は保育所が学校に与える影響のはずだ。学校側は、 「保育園児と低学年児の動線がぶつかる心配、お迎えの車による交通事故の心配など不安がある。同じ棟でなければ良いのだが、大芦小は一棟になっているので難しいのでは。」 と言うのだから、 「こういう年齢の子どもだけが利用する保育所を作りたい」 「小学生の授業に差し障りのないよう、こんな工夫をする」 「送迎の自動車の対策はこうすることを考えている」 など、具体的に判断できる材料があれば、「学校に保育所を作ることが是か非か」を話し合うことができる。しかし、実際に話に出たのは、 「今、町ではこんなに保育所が不足している」 「国からの補助金で教室を改修する予算がある」 「保育所には一定の面積が必要だ」 「車のことは工夫次第でどうにでもなる。」 など、到底これだけでは判断できないことばかり。 さらに学校側の 「一案として、学童保育室の建物を保育所に利用して、学童保育室を空き教室に使うという方法はどうか。」 と言う提案に対しても、 「あの建物では面積が狭い。」 との返答で、譲る姿勢のかけらもない。また、 「保育所以外のニーズや提案についても、出し合っていくことが必要で、それを審議の記録として残すことも大切だ。」という意見もほとんど無視。 ある委員からは 「反対反対では何も進まない。この場で了解したら、それから具体的なことを想定していくのだ。」 という声もあったが、これでは「初めに結論ありき」で、何のために委員がいるのかわからない。 もっとも、委員会のメンバーを決めるとき、あらかじめ反対しそうな人を少数にしておき、明らかに町の思惑通り話を進めてくれる人を多く入れておけば、どんな場合でも 「町民のみなさんのご意見をお聞きして決めました」 という形が出来上がる。この調子でさまざまな審議会・委員会が骨抜きになっていることは、委員の顔ぶれがどこでも同じなのを見れば明らかだ。 とうとうしまいには、PTA側が 「このことの最終決定権は誰が持っているのですか?」 ときくと、教育長が 「………教育委員会としては場所の提供だけで、町長部局が工事するわけで、それには議会の議決が必要で……。」 としどろもどろになり、教育総務課長が 「最終的には町長ということになります。」と断言。 そこでPTA側は 「これで作ることが決定したら、必ず大芦小学校の保護者の前で責任をもって説明していただきたい。」 と言って、会議は終わった。 この日の会議は、正味一時間ほどで終了。二時間以上、もめにもめた第三回とは様子が違い、どこかに「どうせもう決まっていることなんだろう」という冷めた雰囲気も漂っていた。 空き教室をどのように活用していくべきかを考えるはずの会議が、「保育所は是か非か」だけで終わってしまったのはとても残念だ。そもそもミニデイサービスの具体例など、県内でも余裕教室活用の実例は多数あるはずなのに、そんな調査もしていないとは驚く。町民参加とは名ばかりで、委員会が単なる承認機関になっていることは、町全体の委員会・審議会(もしかしたら議会も?)に共通している。このしくみを根本から変えるには、職員に限らず一般町民にも意識改革が必要だと思う。粘り強く、働きかけを続けていかなければと思う。 委員会後の動き 全四回の余裕教室活用検討委員会が終わってから、私は改めて大芦小学校の保護者とじっくり話をした。彼らは「余裕教室に保育所を作ること」よりも、むしろそれを決める手法に怒りを感じていたように見受けられた。また得られる情報が、余裕教室活用検討委員であるPTA役員からのものだけで、教育委員会や町からは何の資料も出てこないことにも不満を持っているようだった。 一学年一、二クラスという小規模校なので、保護者同士が顔の見える関係だったことも校内の議論を盛んにさせたようだが、いかんせん情報が足りない中で、結論だけを押し付けられるという不満感がつのっていったようだ。 私は、この会議のあり方が間違っていたことを町に認めさせ、保護者への十分な説明を求めたいと思い、三月議会で一般質問に立った。この議会に提出された平成十三年度予算案では、保育所の工事請負費に二千五百万円が計上されていた。
三月議会のこの一般質問では、傍聴席いっぱいに大芦小PTA会員が並び、真剣に聞き入っていた。答弁の中で、会議の目的の四番目に「大芦小学校をどうするか審議すること」となっていたが、前述のように第一回の会議で配られた「要綱」には、そのようなことは書かれていないし、説明もなかった。町長の「予算の執行を凍結」という答弁に傍聴者は安堵の笑みも浮かべたが、最後の「教育委員会として反省すべき点はない」という答弁のときには、約三十人の「ええっ」という驚きと溜息の混じった声があがった。 この議会と前後して、大芦小PTAから教育委員会と町に対して要望書が提出された。その内容は次のようなもので、「校内への保育所分園設置」の是非を問う保護者アンケートの結果が添付されていた。
添付されていた大芦小保護者へのアンケート回答では、校内に保育所の分園を作ることに反対の意見が八割以上だったが、「上の子は大芦小、下の子は富士見保育所に通っている」という保護者も少なくなく、PTAの中に保育所を敵視するような雰囲気ができたために気まずい思いをした人もいたようだった。 この要望書には「早急なご返答を」と書かれているが、待てど暮らせど、返答はなかったので、PTAではますます行政に対して苛立っていった。 「説明会」は何のため? 平成十三年四月二十七日、大芦小学校のPTA総会で、検討委員会での約束通り、教育委員会から余裕教室活用検討委員会の経過説明があった。が、内容は検討委員会の最終報告書をベースに説明しただけのもの。保護者にしてみれば、今後の進め方を説明してほしかったわけだが、教育委員会としては、とりあえず「保護者に対して説明しました」と形だけ残したかったらしい。つまり、内容については何の進展も無い状況だった。 しかも、この説明会を開くにあたり、教育委員会から「質疑応答無しの条件で説明会をしたい」との申し入れがあったため、保護者は聞きたかったことがほとんど聞けなかったという。説明に対して質問もできないような集会を開くことで、行政の説明責任が果たせるとでも思っているのだろうか。 町が本当に「現在の手狭になった保育所に押し込められている子どもたちのために、夏休み中に工事を行い、平成十四年度には保育所分園を開設したい」と考えていたのなら、あるいは「せっかくの補助金を最大限生かすために、何とか理解を得て年度内に工事を終わらせたい」と考えていたなら、このあと五月、六月、と話し合いを進めるなり、PTAからの要望書に返答するなりすべきだった。しかし実際は、七月になってからようやく、女性児童課長と保育所長が大芦小学校を訪れ、PTA運営委員との話し合いが実現したのだった。 課長が真っ先に口にしたのは「町長選が終わったのでこれで動きがとれます」ということだったという。確かに町長選挙はあったわけだが、別に余裕教室活用が争点だったわけではない。PTA役員にしてみれば「町民のことより内部のことが大事なのか」とむっとする言葉だ。そんな調子で始まった上に、例の「要望書」に対して、町ではこのときですら返答を持ってこなかったものだから、教室の使い方について具体的な説明があっても、お互いの認識がかみ合うわけがなかった。 行政側の印象としては、 「PTAの人たちは、初めから反対反対で話し合いにならない。こちらはまず、使わせてくださいということでお願いに行ったつもりだったのに、防音壁の厚みは何ミリかとか、お迎えの車は通学路に止まらないかとか、細かいことばかりきいてくる。保育所が来るのは迷惑だと言われたも同然だ。」 一方PTAの印象としては、 「もう何ヶ月も前に要望書を出しているのに、それに対する返事を持ってこないで、話し合いができるわけがない。私たちの要望がかなうのかどうかきいても、わかりました、というばかりで、やるとかできないとか、明確な返事が返って来ない。」 結局この日は、町側の「要望書の回答を文章で返答し、PTAと再度話し合いを進めていきたい」との発言に至ったが、ついに文書による回答はないまま、計画変更となるのだった。
そして秋 大芦小学校の空き教室三部屋に富士見保育所分室を作る計画は、平成十三年三月に凍結されたまま夏が過ぎ、コスモスの季節を迎え、とうとう富士見保育所の敷地内に無理やり一部屋増築することになった。というのも、分園でも増築でもいいからとにかく平成十三年度中に工事を終えないと、前述のように「少子化対策特例交付金」を国に返さなくてはならないためだ。 この増築により〇歳・一歳児クラスの面積基準が満たされ、ここ数年五歳児クラスの保育室としても使ってきた遊戯室を、十四年度からは遊戯室だけの部屋として使えるようになるし、ニーズの高かった一時保育も始められる。子どもたちが野菜を育てていた小さな畑がつぶされて自転車置場になったり、小さいクラスの子の遊ぶ空間が狭くなったり、やはり入所している子どもたちにしわ寄せがいってしまったが、不本意ながら女性児童課もホッとしただろう。 しかし、それでは大芦小学校の方はどうするのか。平成十二年度の三学期に、教室を使っていた児童をわざわざ他の教室に移動させて空っぽにした三教室は、いつでも工事が始められる状態だったのに。おまけにその三教室は、帳簿上のこととはいえ、教育委員会管轄の「教育財産」から、町長部局管轄の「一般財産」に変更される予定だったために、新年度から児童の掃除当番も入らずホコリまみれ。保護者から学校に「これからどうなるんですか」と問い合わせがあっても、どこにもその答えはなかった。 やがて十月になり、町から配布された「議会だより」を見て複雑な心境になった保護者も多かったようだ。そこには九月議会での大芦小学区域の議員の一般質問が載っていたのだが、「大芦小空き教室三部屋は今月まで町とPTAが話し合いを重ねてもまとまらず保育所側は園庭と南側の遊水池を活用する方向で結論を出したと伺いました」と書かれていたのだ。 たしかにPTAが、保育所がくることに反対したのは事実。だから 「行政の計画に反対しても無駄。どうせ町は保護者の声なんかどうでも、きっと保育所を作っちゃうんだろう」と思っていた人は、 「ちゃんと私たちの声を聴いて、計画を断念してくれた」 と評価した。しかし、同じPTA会員でも、 「話し合いを重ねてなんかいないはず。私たちは保育所がイヤなんじゃなくて、どんな風に作りたいかをもっと詳しく聞きたかっただけなのに」 「途中経過がきちんとしていなかったからモメたのに、これじゃ、私たちが悪者みたい」 と不本意に思う人も少なくなかった。
「PTAからの反対・・・」という言葉は行政側の方から見た言葉であって、PTA側からみれば必ずしも状況を正確に表していないと思われるが、それにしてもなぜPTAの理解が得られなかったのか、その理由を行政の職員はわかっているのだろうか。あるいは、わかろうと努力しているだろうか。 理由のひとつめには「出来レース」つまり初めから結論の決まっていたような「余裕教室活用検討委員会」の進められ方への不信感。ふたつめには四月のPTA総会に説明にきた教育委員会が、質問も受け付けなかったことに対する不信感。さらにその後、町に提出した要望書に対してとうとう何の回答もなかったことに対する不信感…。ほかにもあるかもしれない。いずれにしても、行政と住民がまるでかみ合っていなかったことが原因だ。 町は「保育所を作らせてもらえることになったら、詳細な設計を立てる」と言い、PTAは「詳細な計画がわからなければ、賛成できない」と言う具合。 大芦小学校の教室が余っているのは誰の目にも明らかだ。しかし、 「PTAと話し合っても無駄、反対を押し切って作ればしこりが残る。そうなったら、保育士や子ども達にもしわ寄せが行く。それならいっそ、あきらめよう。」 というのが町の結論。なんとも後味の悪い結末。そして、なんてもったいないことか・・・。 ある意味では、町民と行政がともに一つの問題について考え、方向を作っていく絶好のチャンスだった。もっと話し合っていれば、と悔やまれる。 また別の視点から見れば、行政の側に、反対する人を説得できるほどの熱意や裏付けがなかったとも言える。また、教育委員会と女性児童課の縦割りのせいで、話がスムーズにいかなかった点も問題だ。 「なぜ四月から六月まで動かなかったのか」という問いに、担当課長は「町長選があったから」と答えたが、誰が町長になろうと、行政には継続性が必要のはず。町職員の意欲のなさと、どちらをむいて仕事をしているのかも、これで浮き彫りになった。 ボランティアサポートセンター設置へ ところで、先ほどの平成十三年九月議会の一般質問は「大芦小学校の空き教室は、保育所にするのはあきらめて、町民活動のための施設に転用してはどうか」というもので、その前の七月議会にも「ボランティアグループの活動を支援するため、備品や資料を置く場所を確保できないか」という質問があった。これらを受けて、あれよあれよという間に三教室はボランティアサポートセンターに使われることに決まった。正式には十二月六日に、教育委員会から学校側に文書が出されている。その内容は、次のようなものだった。また、その翌日の七日に開会された町議会の全員協議会(傍聴不可で議事録もない会議)で議員にも報告されている。
ボランティアサポートセンターが悪いとは言わない。しかし、あれだけ白熱した議論を繰り広げてきた「余裕教室活用検討委員会」の時に、ボランティア施設の提案など一言も出ていなかったのだ。第一案がダメなら、普通は第二案に移るだろう。それが、突然の思いつき。降ってわいた話。しかも「設置するものである」「報告いたしますが」と有無を言わせぬ構え。いったいなぜ? そのカギは、補助金にあった。平成十三年度内に使える、埼玉県の「支え合い地域づくり助成金」に飛びついたワケ。この助成金は「先駆的・独創的な健康福祉施策」が条件で、高齢者の生きがいづくりや子育て支援事業などとともに、地域福祉推進事業としてボランティアサポートセンターも例示されている。これなら議会で提案した議員の顔も立つというものだ。 保育所以外の提案が無視されたことによって、余裕教室活用検討委員会というものが、保育所の分園を作りたいための組織だった、ということが、これで一層明らかになった。 また、少子化対策といい福祉といい、行政の政策は「初めにニーズありき」ではなく、「初めに補助金ありき」だということもよくわかった。 もちろん、苦しい財政状況で少しでも「何か」をしようとしているのはわかる。「こんな補助金がある」といわれれば、もらえるものならもらいたい。そうすると補助金の条件に沿ったものを作ることになる。財政が苦しいのだから、できるだけ町単独事業はしないで、国や県の補助金のもらえる事業をする。毎年その繰り返し。地方自治とは程遠い現実。しかしその補助金だって、町民が納めた税金であることには変わりないのだ。まず「ニーズありき」の形を作らなければならない。 現在の町にとって何が必要で、次にどんなことが必要なのか。五年後、十年後にどんな姿になろうとしているのか、長期のビジョンが示されていないまま、自転車操業のように補助金をあてにして事業を進める。こんなことを続けていては、本当に町民のニーズにあった政策を練り上げることはできない。 お金がない、お金がない、というのは簡単だ。しかし、どこの自治体も苦しい財政状況である今、どれだけ知恵を出せるか、どれだけ住民を巻き込めるかで、住民サービスに大きな差がつくのだ。住民の満足度は、必ずしも「大きな建物」「きれいな道路」「たくさんの補助・給付金」といった物理的なことだけではなく、「便利さ」「気持ち良さ」「安心感」「充実感」など、数値では測れないものによってアップする。だからこそ、職員だけでなく、住民の知恵を集めて、地方分権の時代にふさわしいまちづくりをしていかなければならない。 今回の「余裕教室」騒動で、大芦小学校のPTAに関わった人をはじめ、住民の間で行政に関心を持つ人が増えたとすれば、それだけは今回の功績だったと言えるかもしれない。しかし、大芦小の保護者にボランティアサポートセンター設置のお知らせが配られたのは、女性模擬議会で助役が答弁した平成十四年二月八日の後、二月十四日のことだった。「これで決まりだ。もはや反対はできまい」という印象。懲りない役場であると思う。
こんな風にすれば良かった! 少子化対策特別交付金をもらった時点で、町民に対してのアイデア募集をしていれば、「保育所の分園設置」以外のお金の使い方も可能性があったわけだが、とりあえず、今回の「余裕教室活用検討委員会」について、こんな風にすれば良かったのではないかと思うことを書いてみる。 まず、各学校の余裕教室の数、現在の活用状況、今後の児童数の見通しなど、事務的なものは教育委員会において予め把握して、町が活用できる余裕教室を絞っておく。今回の検討委員会のうち、第一回と第二回はほとんどこれらの報告で終わっており、この二回は無駄だったと言っても過言ではない。検討委員会といいながら「検討」したのは第三回からだったからだ。 次に、広報で「余裕教室の活用について、アイデア募集」を行う。多くの町民に、気軽にたくさんのアイデアを出してもらえるよう、来庁、手紙、はがき、ファックス、メールはもちろんのこと、電話での受付も可とする。余裕教室活用について、町教育委員会が把握していた六つのニーズは、いずれも行政の声に過ぎない。もしかしたら、もっと町民にとって必要な活用方法があるかもしれない。この方法を取っていれば、この時点で「ボランティアサポートセンター」という声も出てきたに違いない。行政が良かれと思って行うことが、必ずしも町民にとっても良いとは限らないことを認識すべきだ。 そこまでしてから、初めて「活用検討委員会」を開く。予め、活用できるのが大芦小学校とわかっているなら当然地域の人がメンバーに加わるが、委員の公募も行う。行政のニーズと町民からのアイデアを公平な目で判断し、文字通り「検討」していく会議にする。いくつかに絞りこめたら、途中経過を町民に知らせ、さらに意見を募り、判断する。 活用方法を決定したら、PTAに対する説明は、教育委員会とともに活用検討委員会の会長が丁寧に行い、もちろん質問も受ける。保護者の不安が解消されるよう、工事の計画などもできるだけ早い段階で報告し、質問や意見にはすばやく対応する。 こういった方法が民主的だと思うが、どうだろう。こんな風にすれば、多くの町民が「まちづくりに参加した」実感を得られるし、該当小学校の保護者の理解も進むし、行政もかえって仕事が楽になると思うのだが。 つまるところ「前例通り、県の指導通り、補助金の条件通り、という行政手法」から、「町民の声にしたがう行政運営」へ転換すること、これが私の提言だ。 完成したボランティアサポートセンター 二〇〇二年五月、大芦小学校の空き教室に作られた「ボランティアサポートセンター」は、ひっそりとオープンした。入口は、学校の駐車場入口より南側に新たに作られ、門扉もフェンスもつけられた。砂利敷(車椅子には不向き)の駐車場から玄関に入ってすぐの部屋は、床と壁が張り替えられ、空調機もついて、流し、机、椅子、ファックス付電話、コピー機、印刷機などが置かれた。しかしその隣には、まったく手付かずの空き教室が二つあり、教室の向かい側にある準備室は教育委員会の荷物が置かれたままだった。学校との境目には仕切りができ、児童が出入りできないようにドアがしっかり閉まっている。トイレは車椅子でも入れるように改修された。 オープンの日から、月曜日から土曜日(休日を除く)の九時から四時まで、ローテーション勤務の非常勤職員が常駐しているが、「センター長」という役職の人もいなければ、社会福祉協議会が運営を委託されているという形でもない。 職員の勤務内容は、
となっている。しかし、それにしては、五月末にボランティア団体が荷物を置く場所を決めるために集まったとき、モノを置くはずのスペースが不用品だらけ、ホコリだらけで、掃除しなくてはならない状態だった。また、ボランティア団体が荷物の量について相談をしても、しっかり答えることもできず、搬入搬出を手伝うこともない。今後、コーディネーター研修も予定しているとの事だが、まずは、センター運営の担い手が誰なのかをはっきりさせなければならないと思う。 というのも、職員の胸には、町役場の職員と同じ形式の名札がついているが、実際に彼らのお給料の支払い元は社会福祉協議会。町が県の補助金を使って設置はしたものの、二〇〇二年度当初には運営予算はまだついておらず、会議机もなければ椅子もなく、六月議会で補正予算が通るまで、厳密に言うとトイレットペーパーさえ町予算では買えない状態だったのだ。 ボランティア団体は、ここに荷物を置くこともできるし、ここで会合を開くこともできるのだが、いかんせん「使える」状態ではないため、六月になっても七月になっても、一日じゅう誰一人として訪れることのない日が、利用のある日よりも多い。だから職員が、日がな一日読書をしていようが、お茶を飲みながらおしゃべりしていようが、「悪い」とも言えない。 ボランティアサポートセンターは各地にあるが、ボランティアが活動していくうちに自分たちの拠点が欲しくなって、行政に働きかけて場所を得る、というのが一般的な流れだ。しかし、吹上町は行政のつじつま合わせでできた感がある。補助金の期限に合わせてあわてて計画した「箱」だけに、利用者であるボランティア団体に「どんな施設がほしいのか」「どんな風に使いたいのか」「誰が運営していくべきか」を問うこともほとんどなかった。ここでもまた、行政が良かれと思ってやることと、町民の希望とがずれている。 補助金といえば「誰かが助けてくれる」お金のように聞こえるが、もとは私たちの納めた税金だ。「町のお金」も「国のお金」も「私たちのお金」なのだ。地方自治体は、しばしばそのことを忘れ、「もらえる補助金は何でももらおう」と考える。しかし、補助金の生きた使いかたができないのなら、無理にもらってくる必要はない。いやむしろ、国全体の厳しい財政状況を考えるならば、そんな風に無駄なものを作ってはならないはずだ。 吹上町にボランティアサポートセンターが不要だというわけではない。ただ、ものを作るには、それなりの準備が必要であり、どんなに急いでも準備のないまま作ってはいけないということを言いたいのだ。土台がグラグラしていては、建てられた家もすぐに倒れてしまう。 ともあれ、ボランティアサポートセンターが使える状態になるまでにはたいそう時間がかかりそうだが、できてしまったものは仕方ない。いや、仕方がないなどと言っては罰が当たるかもしれない。ボランティアにとってせっかくの拠点。どのくらいの数のボランティア団体が求めていたのかは定かでないが、生かすも殺すも利用方法しだいだ。これからは運営のルールを明確にし、町に「お願い」するのではなく、ボランティア自身がリーダーシップをとらなくてはならないだろう。なぜなら、「吹上町ボランティアサポートセンター」は、ボランティア団体の資料・資材置き場が欲しいという声に応えて設置された施設なのだから。
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