地震

地震と建物-
 

四川大地震を機に、その後の

地震災害地・山古志と柏崎を再訪

 

 2008年5月12日午後3時ごろ(日本時間)中国四川省でM8の巨大地震が発生、それを機に山古志と柏崎のその後が気になったので思い切って出かけ、現地の知人にもお会いし復興の様子を聞きました。
 
中国の地震は、その被害の甚大さに驚愕しました。当初、中国側から発表される死者数や負傷者数は、映像から見る被害の大きさから考えるとあまりにも少数でした。

 この時点での地震の規模は、そう大きいものではないように思ってしまいます。
  1995
117日午前5時ごろ阪神淡路大震災、地震規模: M. 震度7 は、TVの映像で煙が立ち上り、その後炎が見る見る広がっていく様子が映し
出されていました。
  
 

 昨年7月16日午前10時ごろ新潟県中越沖地震(柏崎)M 6.8 震度6強と、平成16(2004)1023日午後5時ごろ新潟県中越地震(山古志)M 6.8震度7の場合でも、時間がたつに従って被害が大きくなってゆきます。

中国の被害は、未曾有の地震でその被害も想像を絶するものとなってきています。とすると日本でも大都市・東京などで地震が起こった場合いったいどうなってしまうのでしょう。対岸の火事ではすまされません。

   (参考:関東大震災 M7.9 震度7)写真:阪神淡路大震災時のマンションとビル

 

 

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地震と建物-

新潟県中越地震と山古志(村)

平成16 (2004)1023日午後5時頃、新潟県中越地震は、M 6.8震度7直下型地震で、小千谷市川口市長岡市 などでは大きな被害に見舞われました。直後、柏崎に向かう途中、車窓から見るこの付近の風景は、山々の斜面が崩れ落ち、赤い地肌を表し、痛々しい状況を呈していました。
 堀の内付近で関越自動車道を下り、震源地に近い山間部の山古志村(現在長岡市 に合併)に向かって、うねうねとした山道を登る。途中、二股の道に出会ったが、メーンの道は交通止めになっていて、わき道を登って行くと地震で大きく崩れた山肌をコンクリートで固め、土留め工事をした下を通る。
 更に行くと、地震発生後、崩れた山が川を堰き止め、そこに水が流れ込んで大きな湖となり、決壊した土石流が家屋を押し流した映像を見たが、それらの川には真新しいダムが建設がされていました。

 

この先はどうなっているのかと思いつつ山裾を登ると集落に出た。TVなどの写真で農家が大きく傾いた様子を見たが、そんな古い家屋が補修され再建されているのかと見渡したが、目の前にある家々は雪除け用コンクリートの高基礎の上に2階建ての新しい家に建替えられていました。
 山古志の集落は、褶曲山脈の山谷の起伏の激しい地帯に点々と広がっていました。産業は、錦鯉の養殖と棚田が盛んに行われていることで有名です。また、闘牛の牛が、地震のために孤立したことから、ヘリコプターで救助されたというニュースが当時流されました。多くの村民は長岡市 などで長期の避難生活をした後、地形が大きく崩れた土地に戻り、道路・土留め・河川・ダムの土木、建築、養殖池、棚田などの幾多の工事を行い、今、新しい生活を始めたようです。
 写真は、土留め、新築、道路工事が真新しい。 遠くの山に山崩れの跡

                 
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新潟県中越沖地震と柏崎その後

 
 関越自動車道から北陸自動車道に入り20分ほどすると柏崎のシンボル・米山(標高992.6m),この日は快晴のこともあり目の前にクッキリと現れました。
 市街に入ると、街並みの中のところどころに空き地がいやに目立ちます。昨年来たときは、車の中から街を見ると所々傾いた家があり、その中には1階が潰れ2階が道路にはみ出している家もあってショックを受けました。
 今はもう、そうした光景も見当たらなく、全壊、半壊した建物などはすっかり解体され、石やコンクリートの破片も除けられ雑草が生い茂り、そこは寂しい空き地になっていました。
 駐車をするために市役所に車を置き、街の中心本町通りを歩くと、交差点の角にあったお店が消え去っていて、その場所が空いたことから街の造りが欠け落ちてしまっています。

 

足元の歩道を見ると歩道タイルがところどころ新しく張り替えられています。反対側の歩道では、地面が沈み込んだためマンホールが出っ張ってしまい補修工事を行なっていました。
 また、商店街の中のお店も戸が閉まり、街行く人も数少なく静かです。よく見るとシャッターに貸し店舗の張り紙が出ています。こうしたお店がところどころ見受けられました。
 日本には、この街のように市民が高齢化し、しかも少子化の小中都市が数多くありますが、一度災害が起こると再建は容易ではない事態になってしまいそうです。  

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耐震診断と
耐震構造

−地震時の建物等
についての責任

 

 街並みのところどころ、全壊や半壊などをした家が解体され、空き地となって歯抜けの状態になっていますが、建て替えのための工事が進められている所もありました。
 転ばぬ先の杖ではありませんが、地震により建物が大きな被害にならないように、自然災害に強い建物にしておく必要があります。
 現在の基準法では耐震基準は6〜7の震度でも倒壊しない強度で建築するように定められていますが、1981年以前の建物は、古い基準値ですので耐震性に問題があります。
               

 そのために耐震診断をし、自宅などの建物の強度を確認し問題があれば耐震補強の工事を行うことが安心です。耐震診断も簡易な方法から精密診断までいろいろな方法がありますが、建物の状態によって専門家や行政の窓口で耐震診断方法についても、また診断の費用についても各地の行政で助成金などの制度がありますので窓口で相

談するのもよいでしょう。
 また、リフォームをする際には、インテリアや住宅設備を新しくするだけでなく、耐震診断と耐震工事も優先的に考えましょう。言うまでもないことですが自分の家だけでなく、近隣の防災にも役立ちます。 

 柏崎市の「地震その後に・・・困った!」の冊子にはいろんな事例が説明されています。その中に、「家やお墓等工作物の倒壊によるトラブル」について、1.通常、瓦が落下し、塀や第三者に損害を与えた場合、原則としてその物の所有者などが損害を賠償する責任を負う。 2.震度6〜7程度の地震によって、建物や塀が倒れて、お隣などを損壊させても、原則的には損害を賠償する義務はありませんが、・・・・。 3.損害を賠償する義務が無い場合でも自分の所有物は撤去する義務があります。 4.地震の際に倒壊しなくても、その後、危険な状態を放置したため第三者に損害を与えた場合には、責任を負わなければならなくなる可能性もある。など、書いてありました。


 「明日の友 2007年170号に地震につよい住まいとは?」を書きましたのでご高覧ください。

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中越沖地震
- A
さんの話

 

 今 回は柏崎のAさんから地震が発生した、その時のことをお聞きした話です。
7月16日午前10時13分、部屋で仕事をしていたところ、ドーンドーンと2回位突き上げられ、そして凄い揺れが来て、一瞬何があったのか分からない状態でした。本棚は倒れ、出入口の戸が歪み室内に閉じ込められたとのこと、しかし、何とか体が通れるだけ戸をこじ開け出ることができました。そして、外に出て近所の状況を見聞きすると大変な事になっていることが少し理解出来、知人、友人の安否の確認に走り回りました、とのことです。


 

Aさん宅では木造の建物が床・建具の変形、壁の剥離、土間コンクリートの割れ、タンス、TV等の転倒、電子レンジ、クーラーの破損などがありました。また隣家の倒壊により2階トイレの排水管破裂による使用不可と、敷地内の水道管破損による漏水のため水の使用が出来なくなったそうです。そして、夜になり停電、水やガスもスットプしたため、ローソクを点け、卓上型のプロパンガスで簡単な食事を作ったとのことです。

 能登半島地震(2007年M6.7)は3月の午前10時前、春とはいえまだ寒い季節。中越地震は、秋10月の夕方5時、すぐに暗くなり冷え込んでくる季節。神戸淡路大災害では、1月の午前5時、その時外は真っ暗だったとのこと。そして中国四川大災害は5月の午後3時ごろ、当地は、暑さの始まる季節。
 地震は、時を選ばず起こり、季節、天候、日時によって地震発生時の状況判断、その後の活動に大きく影響します。
 明日はわが身、昨年10月1日より気象庁から緊急地震速報が、開始されていますが、これらの情報とともに地震対策用品と心の準備を怠らないようにしなければと思うこのごろです。
 この度、阪神・淡路大震災10年『現場からの警告 日本の危機管理は大丈夫か』を読みました。著者は、この地震での教訓は生かされているのだろうか・・・から始まり、地震発生時からの市長や市の職員たちの時系列の行動を克明に記述しています。
私は、その時どういう状況下でどう対処しているのでしょう・・・。 end

 
 写真は、避難所を出入りする人々、日本海の夕日 
 ※印、
時事通信記者・神谷秀之著、神戸新聞総合出版センター

 

6月2日から6月8日の7日間

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