温泉評論

温泉の今日的危機について     その3
「風呂に白い浮遊物が漂っているから、ここは温泉じゃない」「掃除をしていないせいだ」。昭和60年前後の秘湯ブームの頃、秘湯の宿や山の湯治湯の経営者から、「都市から来たお客さんにこんなことを言われて困っている」という声があちこちであがった。
なるほど、有名な温泉地の近代的なホテルや町場の公共温泉の風呂には、白い浮遊物=つまり「湯の花(湯華)」が漂っていることはまずない。
濾過・循環風呂が大半だから、髪の毛一本残さずにものの見事に濾過し、透明にしてしまうのである。
 かって日本人は、湯の花を有難がったものだ。特別温泉好きでなくも、身体に効く成分の濃い温泉として、高く評価したものなのだ。
むしろ透明な温泉こそ「温泉じゃない。川水を沸かしたものか」と疑われたのである。
 有馬温泉のような赤錆色の温泉も最近見かける機会が減っている。
温泉の数は、年々増えているにもかかわらず、赤錆色の鉄泉は反比例的に激減しているのだ。「手ぬぐいを汚す」と不評な為、濾過しているからなのだ。もちろん濾過した以上は風呂は循環である。殺菌の為、大量に混入された塩素によって、温泉が化学変化を起こす為、「温泉分析書」に掲示されている成分内容とは異質の温泉になっている可能性が大きいのである。
 われわれ日本人の多くは、もう温泉のプロとは言えなくなってしまっているので、温泉の知識を高めなければ、まともにやっている山間の「正統派の温泉」(正しい温泉と言ってもいい)を、われわれの無知のせいで殺しかねないところまで来ている。
湯の花が大量に生じやすい硫化水素泉、硫黄泉、鉄泉などの「にごり湯」は温泉として見なされない日が、遠からず来るのではないかとさえ思える。
本来、こうした温泉こそが「効く」温泉なのである。
温泉の今日的危機について  その2
 明治時代に東京に「東京温泉」「目黒温泉」など、温泉の名を冠した銭湯が続々と登場した。現在も東京駅に東京温泉があるが、日本人にとって温泉とはお湯がふんだんに満たされた風呂、というのがイメージとしてあったようだ。
というのは、少なくとも江戸初期までは、風呂は現在の蒸し風呂を指していたからだ。
 私たちの知っているお湯が浴槽に満たされた風呂のことは、「湯」と呼ばれていた。その後、湯気で湯殿を蒸す蒸し風呂と浴槽の底にお湯を少し入れた風呂
(半蒸し風呂)、そして現代の銭湯に近いものへと変遷して行った。
明治時代に入って、銭湯に温泉という名称を付けたのは、温泉風呂のようにお湯が浴槽から溢れていますよ、と客を呼び集めるための戦略であった。
日本人にとって温泉はそのようなものであった。つまり循環風呂で湯口から大量に温泉が出ているように見せかけているのは、日本人の温泉に対する思い・イメージを最大限に利用しているのである。
 ではホンモノの温泉の良心的経営者は、なぜ風呂の湯口から温泉を少ししか出さないのか? 何も温泉をケチっているわけではない。温泉には恵まれているのである。
むしろホンモノの温泉を私たち利用者に低起用したいと陰で努力している姿の現れなのである。温泉は単に温かい水ではない。水道水を沸かした家庭風呂と
温泉の決定的な違いは、温泉に含まれている成分であることは、遺伝子的に温泉のプロである日本人は知っているはずである。それは少なくとも昭和初期までは、温泉場は、病気を治す所であったからだ。
 そうした薬湯の効果を最大限に引き出すには、地表に湧いたばかりの新鮮な温泉をそのままの状態で入浴客に提供する必要がある。
日本人の入浴には、ふつう42度前後が適温とされている。では、湧出温度が仮に60度あればどうしたらよいのだろう? 確かに水を加え、42度前後まで湯温を落とせば簡単だ。が、温泉に含まれている成分が薄まり、薬効は著しく低下する。温泉の本質を熟知した良心的経営者は、温泉の効能を失わせないように、水を加えずに浴用適温にしようと努力している。
方法はいくつかあるが、そのひとつが湯量を調節することである。
浴槽の湯口から出る湯の量を絞ることによって、浴槽全体の温度を下げるのである。湯口からたとえ60度の温泉が出ても、量が少なければ浴槽の湯温はさめやすい。温度の低下が著しくなる冬の期間は、湯口から出る湯の量を増やすことによって、気温差の上下をカバーするのである。
 濾過・循環風呂での勢いよく出る温泉の姿が、目に焼きついてしまっている都会人は、このような正統派の温泉の努力を知らずに、「ここは温泉じゃない」と暴言を吐くのである。
経営者にしてみれば、まさに泣きっ面に蜂であろう。自分たちが汗水流して稼いだ税金で建てられた公共温泉が、営々と築いてきた山の温泉宿の経営を圧迫しているどころか、日本人の温泉常識に対しても、根底から揺さぶりをかけているのであるから。
そのような施設は別の枠組み、例えば、「温泉風銭湯」などとしなければ、世界に固有の日本の“温泉文化”は根こそぎにされかねない。そんなところまで来ている。
温泉の今日的危機について  その1
日本人は温泉好きの民族だといわれている。平成13年3月に終了したNHK・BS2の番組「二十一世紀に残したい日本の風景」で視聴者から寄せられた投票結果にも、日本人にとっての温泉の位置付けがはっきりと反映されている。
一位 富士山(静岡県・山梨県)  37,592票
二位 別府の湯けむり(大分県)  33,381票
三位 函館の夜景(北海道)    15,247票
四位 飛騨高山(岐阜県)      13,218票
五位 虹の松原(佐賀県)       9,737票

一位の富士山と二位の別府の湯けむりが、三位以下を圧倒的に引き離している。別府の湯けむりに象徴される温泉に、古き良き時代の日本を投影しているのかも知れない。あるいは「癒し」の時代に、温泉に対する期待感が込められているのかも知れない。
かつて温泉は病を癒す場であった。しかし医学がこれだけ高度に発達した現代では、病気を治す目的で温泉場へ行く人はまれである。だがわれわれは、現代医学によって完全には癒されないものがあることも知っている。薬だけでは「安らぎ」は得られないのである。この不透明な時代に、心身の安らぎや癒しをわれわれは温泉に求めるのである。
温泉は、日本人にとって有史以来、癒しや安らぎを求める人々の駆け込み寺的な役割を果たしてきたとも言える。
このように我々は、温泉に全幅の信頼を寄せてきた。温泉は、永遠の万能薬として揺るぎない地位を得てきたのである。そして我々は、温泉のなんたるかを省みることなく今日に至っている。
しかし、それで本当にいいのであろうか?経済を最優先にやってきた戦後の日本社会にとって、温泉は聖域だったのだろうか?。
例えば別府温泉の湯けむりは、実は温泉の湯けむりではなく、水蒸気なのである。別府は恵まれた地熱地帯であるが、温泉掘削をしすぎたせいで水脈が得られず、温泉水の代わりに蒸気が噴出しているのである。
別府では、こうした水蒸気に水道の水をあてて温泉を製造しているところが多い。これは正確には「お湯」と称すべきであろう。我々の常識では、「温泉」とは温かい泉、つまり地中から湧き出してくる温水であるからだ。

わが国の「温泉法」(1948年制定)では、温泉とは次のように定義されている。
(温泉法)第二条〔温泉・温泉源の意義〕
この法律で「温泉」とは、地中から湧出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く)で、別表に掲げる温度または物質を有するものをいう。
(温泉法別表)
1.温度(温泉源から採取される時の温度)25度以上
2.物質(下に記載されているもののうちいずれか一つ)
〔物質名〕
溶存物質(ガス性のものを除く)               総量  1000r以上
遊離炭酸(CO2)                              250r以上
リチウムイオン                                 1r以上
ストロンチウムイオン                          10r以上
バリウムイオン                                  5r以上
フェロ又はフェリイオン                           10r以上
第一マンガンイオン                              10r以上
水素イオン                                   1r以上
臭素イオン                                    5r以上
沃素イオン                                   1r以上
フッ素イオン                                  2r以上
ヒドロひ酸イオン                              1.3r以上
メタ亜ひ酸                                   1r以上
総硫黄                                     1r以上
メタほう酸                                   5r以上
メタけい酸                                  50r以上
重炭酸ソーダ                               340r以上
ラドン                        20×百億分の1キュリー単位以上
ラジウム塩                            百億分の1r以上

・温泉法では、水蒸気その他のガスを温泉と称するとしているが、これに水を当ててできた温水を温泉と称するとは書かれていない。

<ご参考>
温泉としての本来の水蒸気を利用した例として、鉄輪温泉の蒸気吸入(呼吸器疾患に特効がある)や玉川温泉の岩盤浴(末期がんなどに特効があると言われている)などがある。

むろん、別府の温泉すべてが蒸気で製造されたものではないが、別府市内だけで、全国の総源泉数の10%を超える約2,850本がある。その10%が蒸気で製造された温泉だとしても、山中、山代、片山津、和倉など有名温泉地を抱える石川県の総源泉数に匹敵するのである。
ちなみに環境省発表の「都道府県別温泉利用状況」(平成12年3月末現在)によると、「水蒸気・ガス」による源泉数上位の県は以下のとおりである。

1.大分県   410本
2.鹿児島県  251本
3.宮城県   156本
4.秋田県    76本
5.熊本県    27本
6.岩手県    25本
7.福島県    25本
8.神奈川県   22本

大分県がいかに突出しているかが分かる。しかもその大半は別府である。
つまりこれらは、我々の頭の中に擦り込まれてきた「温泉に対する常識」と相当に乖離したところに、現代の温泉があることの一端である。
東北北部にある全国ブランドの秘湯が、川水に蒸気を当てて製造された温泉であることを知る人は、旅行作家でもほとんどいないに違いない。
だがこうしたことは現代の温泉が抱える病理のほんの一部に過ぎない。
今後、我々が温泉に対していかに無知であったかを認識することからスタートして、わが国固有の文化である真の「温泉文化」を正しく継承し、正しい温泉利用法、ひいては真の「癒し」が得られる温泉浴を探って行くことと致したい。

                                     次回に続く



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