045 雑用




「すみません、大将……」
 エースは潤んだ目で俺を見上げた。
 ブーツも脱げないくらいに腫れあがっていたエースの足は、トウタ医師の手当で少しは腫れも引いたようだ。
「これからは気をつけますんで……その……」
「……いいさ、気にするな」
 俺はその腕を元気づけるように軽く叩き、そして弛みがちな頬を必死に引き締めた。
「大将……、今日は何だか優しいんですね、おれ、おれ……」
 だらしない表情を浮かべたエースは、放っておくと何を言い出すか分かったものじゃない、俺は早々に退散することにした。
「まあ、ゆっくり養生していろ」
 それだけ言い置いて、俺はエースの部屋を後にした。
 昨日、偵察に出ていた連中は、晩になってからエースを担いで戻ってきた。重傷でも負ったかと思いきや、途中、道で転んで足首を捻挫したのだと言う。しかも自覚のないまま歩き続けたばかりに、引き上げの頃には一歩も歩けないくらいに悪化していたらしい。こんなのが自分の部下だと思うと俺は余りにも情けなかった。
 だが。捻挫したエースは当分思うように歩けない。戦闘も訓練もなし。ということはその間、俺の生活は安泰なのだ。何の不安もなく、安らかに眠れるのだ。
 俺はささやかな祝杯を上げに足取りも軽く酒場へと向かった。

 先の潰れたペンを睨み付けていた俺は、無意識に辺りを見回して、それから溜息をついた。新しいのはどこだ? またそこいら中をひっくり返して探すか? そもそも新品が残っているのかどうかも分からない。暫く躊躇ってから、俺は諦めて腰を上げると、不承不承に部屋を出た。
 廊下を歩きながら腹の中でひとりごちる。またあいつに聞かなければならない、昨日からこんなことの繰り返しだ。探し物が見つからない、連絡する相手がどこにいるのか分からない、見積もりの今の相場が分からない、誰が知っているのかも分からない……。お陰で仕事がさっぱり進みやしない。まったく、こ詰まらない雑用をしてくれる誰かがいないという、たったそれだけのことで……。
 俺はエースの部屋を乱暴に殴りつけて、そのまま返事も聞かずに扉を押し開けた。すると部屋に居たのはエースだけでなくて、看護婦のミオが目を丸くして俺を見ていた。手当をしに来ていたらしい。驚かせてしまったようだがこっちは急用なのだ、勘弁して貰おう。
「おい、エース……」
 言いかけた俺は、ふと口を噤んだ。二人の距離が妙に近すぎるような気がしたのだ。そしてにこにこと、やけに機嫌の良いエースの顔。畜生、俺が一人で苦労している時にこいつは……。理不尽さに俺は怒りがふつふつと湧き上がるのを感じた。
「何ですかい、大将? 今度は一体何をお探しで……」
 ぬけぬけとした言い草に、俺の堪忍袋の緒が切れた。俺が寝台に近寄ると、看護婦は慌てて場所を空ける。構わず俺は腕を伸ばしてエースの胸倉を掴まえた。
「わ、わわ、何すんですか大将〜〜」
 暴れるエースを、俺は力ずくで担ぎ上げた。くそ、重いじゃないかこいつ。
「あっ、ゲドさん! いけません、エースさんはまだ安静が必要で……」
 俺の剣幕に押されつつも、看護婦は必死に抗議した。見どころのある女だ、流石に野戦地巡りをしていただけのことはある。
「心配ない、俺が面倒を見てやる!」
「でもでも、あのっ先生が……」
「構わん、気にするな」
 情けない悲鳴を上げるエースを担いだまま、俺は自室に向かった。扉を潜る際、框にエースの頭をぶつけたのはかなり意図的なものだったが、気付かぬ振りをしておいた。それから隅っこに適当な長椅子があったので、足で蹴って机まで近づける。その上に勢いをつけてエースを放り出した。
「てっ……! ひでえ、大将ったらあんまりじゃ……」
「うるさい、大した怪我でもないのに甘えるな」
「うう、おれが一体何を……、ゆっくり養生しろって言ったじゃないですか」
「うるさいと言ってるんだ!」
 恨み言を並べるエースを一喝して、俺は潰れたペンを奴の目の前に突き出した。
「どこだ、代わりは……?」
「あ、ええと、一番上の引き出しに入ってる筈で……、そういう細かいもんは大抵そこに入ってますんで」
 俺は一声唸って、机の引き出しを覗いた。中には筆記具の類が一式揃っている。くそ、当たり前だ、そういうことは早く言えって言うんだ。
「ありましたかい?」
 俺はもう一度唸って、書きかけの書類に取りかかった。

 それから日暮れまで、俺は横にエースを置いたまま仕事を続けた。何かあったらちょっと聞くだけでいい。癪に障ることに、それだけで不思議と仕事ははかどった。
 エースはその間、鼻歌を口ずさみつつ、俺のすることを眺めていた。実際、何か聞こうと目を上げると必ず奴の目とぶつかるのだった。そして、奴はそれだけで別に飽きもしないらしかった。
 日が暮れてから俺は飯にしようと、仕事に区切りをつけて立ち上がった。相も変わらずエースは鼻歌を歌いながら俺を眺めていた。そうだ、こいつをどうしよう。本当ならミオか誰かが飯を運んでやるんだろうが……。
「おい、晩飯、一緒に行くか?」
「え? 下までですかい? ああっと借りた松葉杖はおれの部屋にあるんですが……」
「背負って行ってやってもいいぞ」
「じょっ、冗談でしょ、そんなのみっともなくていけませんて!」
「みっともない目に遭ったのはお前のせいだろう」
「そりゃそうですけど、でも大将のおんぶで城ん中歩き回るなんて、そんなのみんなに見られたら格好悪くて笑われちまうじゃないですか絶対ヤですったら〜〜!」
 どうやら本気で焦っていると見えたので、俺は少し良い気分になった。ここらで勘弁してやるとしようか。
「いいさ、持って来てやる。何が喰いたいんだ?」
 扉へ向かいながら、俺は肩越しに声を掛けた。

 部屋で二人して飯を喰った後、俺は埋め合わせに少しばかりエースの世話を焼いてやった。食器を返すついでにミオに聞いて、湿布を替えて着替えを手伝ってやった。杖も持ってきたし、手足も拭いてやった。こんなところをクイーンやジョーカーに見られたら、何と言われるだろうか。
「すいませんね、大将。こんな雑用させちゃって……」
「仕方がない、お前が怪我を治さないことには仕事が進まないんだ。早く治せ」
「大将……」
 これだけのことで、この三十男は泣きそうな声を上げるのだ。俺はつくづく呆れた。
「さて、ここで寝るか、俺のベッドを使うか? まだ部屋に帰す訳にはいかないからな」
「へへ、そりゃあ大将とご一緒させて頂ければ!」
 今度はやけに嬉しそうな声を出すので、俺はちょっと考えた。ご一緒は却下だ、今夜は俺が長椅子で寝ることにしよう。てことは、毛布を借りて来た方がいいだろうな。
 重たいエースを担ぐのはもうご免だったので、杖をついて勝手にベッドへ行けと命じておいて、俺は毛布を探しに部屋を出た。エースのところから持ってくれば早いか。
 無人と思って断りなしに足を踏み入れたエースの部屋には先客がいた。間の悪いことにトウタ医師だった。患者を勝手に動かしたとか何とか言われるだろう、やれやれ……。
「ああ、ゲドさん、エースさんはまだそちらですか? 具合を見にきたんですが?」
「…………大したことはない、手が暇だと言うんで少し書類を手伝わせただけだ」
「ええ、ミオさんから聞きました。湿布も替えて下さったそうですね。でもやっぱりもう一度診た方がいいでしょう。私には責任がありますから」
 正論だ。こういう前向きな理屈には流石に逆らえない。
「……そうだな、頼む。……俺の管理不行き届きで済まん」
「管理不行き届き?」
 駄目もとで下手に出た俺に、トウタ医師は不思議そうな顔を向けた。
「ああ、あの馬鹿がヘマをやったせいで要らぬ面倒を掛けた」
 ややあって、トウタ医師は合点が入ったように笑った。
「ヘマって、……あなたにもそう言ったんですか? おかしな人ですね……」
「何の話だ?」
「あの怪我は本当は転んだせいじゃないらしいですよ。小競り合いの時に無理して連れを庇ったとかで……、お陰でその連れの人は軽い怪我で済んだんですよ」
 連れだって部屋に向かって歩きながら、医師はもう一度、変わった人ですね、と言った。俺はただ、頷くしかなかった。
「ああ、馬鹿な男でな……」

 戸締まりをして灯りを消して、俺がようやくベッドに滑り込むと、エースは待ち構えていたようにもぞもぞとすり寄って来た。
「……ねえ大将、おれのもう一本の足が具合が悪いんですけど、診てくれませんか?」
 半ば予期していたことではあったが……やっぱり。
「医者を呼ぶぞ」
「や、ちょっと大将にさすって貰えばすぐ元気になると思うんで……えへへ」
「あの看護婦にも頼んでみたのか?」
「みたんですけど、ね、ミオさんたらああ見えても強者なんですぜ、ちょっとやそっとじゃ動じやしねえ。流石に野戦病院慣れしてるっていうかなんつうか……あっその、何でも……」
 俺がおもむろに傍らの松葉杖を取り上げると、途端に隣は静かになった。吐息をついて、俺は杖を握ったまま目を閉じた。
 馬鹿な男だ。あと何日こいつの為に俺は雑用をしなければならないのやら。
 そしてそいつの面倒を見るのは、多分それに輪を掛けた馬鹿なんだろうさ……。


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