わりと最近のEspecially the Lies
|
| Bashir: | You know, I still have a lot of questions to ask you about your past. |
Garak: | I've given you all the answers I'm capable of. |
| Bashir: | You've given me answers, all right. But they were all different. What I want to know is, out of all the stories you've told me which ones were true and which ones weren't. |
| Garak: | My dear Doctor, they're all true. |
Bashir: | Even the lies? |
| Garak: | Especially the lies. |
■09-06-29
へー、5月の9日にどこかの大学で
こんな公開講座やってたそうです。気がつかなかったな。「山の辺の大学」とあるから、きっと天理大でしょう。うーあー行きたかったな。まあ、そのうち論文か本にまとめてくださるそうなので、それを楽しみに待ちましょう。
そして、日付が書いてないのでいつのことかわからないのですが、ベン・ジョンソン脚本、小アルフォンソ・フェラボスコとロバート・ジョンソン作曲のマスク、"Oberon, the Faery Prince" のDVDがケースウエスタン・リザーブ大から
出ていたのね。今までずっと"fairy"で探していたから引っかからなかったのか。しかしこれ、ネット書店とかには出てないんですねぇ。直接、メールで問い合わせるしかないのか。英作文しなきゃ買えないんだ……。むぐ。
日本語読書スイッチが切れました。いったん原稿ループにはまると、本って読めなくなるんですよね。もともと、他人のしゃべり方がよくうつる方なので、テンポのベースラインが変わってリズムが乱れるのが怖いんです。翻訳作業中の気分って、何というか、代理母とか、ハリガネムシ入りのカマキリとか、何かに寄生されてるみたいな感じがします。
おかげで、「1日2冊期の国」と「3〜4週間ゼロ冊期の国」を参勤交代のように往復して生きてます。
ほかにも、ネタを求めて原書をまとめ読みしだすと、しばらく和書が読めません。送料を倹約したくてまとめ買いするからまとめ読みになってしまうんですが、これまたいったん始まると(和書の新刊については)ふっとロープから手を離すように浦島ポケットに落ちてしまいます。
けっこう話題になったのに穴が空いたように知らない・買ってない・積ん読にさえなってない、なんて本は、ある時期に集中してるんかもしれません。原稿ループにはまってたとか、洋書ループにはまってたとか、DVDボックスを一気見してたとか。私はふだん外へ出かけない生活をしているので、買った本・積んである本・読んだ本について語り合うリア友はいないんですが、もしコンスタントに顔を合わせる仲の人がいたら、私は(その人から見て)「話に乗れる人」になったり「乗れない人」になったりと、人格交替をくり返すことになりそうです。そして、合コンみたいな場で(いや既婚だし合コン行かないけどさ)新しく知り合った人とお互いを探り合う会話をしたなら、そのとき先方がココロミに話題にのぼせてみた本が、私がどっちの国に滞在しているときに出たものであったかによって、私は「ベストセラーさえ知らない人」になったり「そんなものまでチェックしてる人」になったりしないでしょうか。ルーレットみたいで面白いですけどね。
浦島ポケット体質だと雑誌がよくとびとびになるし、シリーズ物を買うのにも不便です。だって気がつかないんですもん。次の巻も次の次の巻も次の次の次の巻もたまたま浦島期にばかり出る可能性だってないとはいえないでしょ?「そういえば自分はそういうシリーズを愛していた」と思い出すのは、ある巻が私の読み漁り期中に出たとき。そこで初めて本棚の前に立ち、最後に買ったのは何巻だったかを調べることになるわけです。
不便だけならいいけど、ちょっと悲しくなるのは、シリーズが完結したことを遅れて知ったとき。海外出張中に(日本の)著名人の訃報に気づかなかったりするとこんな気持ちになるのでしょうか(って、ずっと日本に住んでいても著名人の訃報は年末にまとめて仕入れる私が言うても説得力はニアリーゼロ)。
■09-06-25
18日、文楽鑑賞教室。貸切にするほどの規模がない団体さん複数を入れた残りの席を個人客にバラ売りしてあったもの。相子大夫が清丈(ほんとは「丈」は右肩にテンがついてるみたいだ)をいじり、簑紫郎がお客さん代表をいじる。千歳大夫が体育会系の大熱演で、私は本来ああいうの好みじゃないんだけど、「伝統芸能=静かなもの」という中高生にありがちな先入観をカウンターするには適任なのかもなあ、なんてことを思いました。就寝前、ひさびさに薬飲み忘れ。アイタタタ(ただし気づいたのは翌々日)。
19日、梅に赤紫蘇を入れる。絞るのに力がいるってこともありますが、それ以前に、茎をちぎるのがめんどくさくてウッキー。やはり次回は梅2キロにしよう。ふたたび薬飲み忘れ(やはり気づいたのは翌日)。
20日、首から上が高温による作動不良。ことしクーラー初稼働。
21日、文楽若手会。弁当はオットが結婚式でもらってきたバウムクーヘン。夜はベランダで焼きビーフン(セロリ、黄パプリカ、エリンギ、豚コマ。あ、にがうり入れるの忘れた)。
22日、湿疹が本格化。最初は左耳と頭部のつなぎ目が切れ、次が右手。夏だなあ。涼しくなるのを待ってから銀行とかいろいろ。銀行へいく途中、府道の植え込みで仔猫の声が。鼻のまわりだけグレーの白でシャム混じりっぽい。夜になって暴風雨。あの猫助かったかしら。ベランダに雨が吹き込むことはなさそうだったので、鍋を持ち出して塩豚鍋。夜中、2時間ほど千里中央がマイブームになる。「千里ニュータウンって今どんなふうになってるんだろう?」と思うと少し甘酸っぱいキブンに(住んだことはないけどね)。
23日、ずっと前に不動産屋のサイトから消えたはずの、某区某町4丁目のおんぼろ3階建が、なぜかページに復活しているのを発見。売れたんじゃなかったんですか。買い主さんローン不調ですか。いや、私は買わないけど! キャベツと鶏モモのワイン酢煮。
24日、もらいもののサクランボが届き、サクランボまつり。なぜか復活していた某区某町4丁目のおんぼろ3階建、もういっぺん図面を観賞しようと思ったらなくなってた。こんなことなら保存しておけばよかった。おもしろい図面だったのに。夜はチコリと塩豚のスパゲティ。
■09-06-21
真珠湾攻撃に至る経過について、いくつか細かい点を調べる必要が出てきたんだけど、ほんの少しのことだしネットですませようと思ったら……あれまー。真珠湾攻撃ってけっこう陰謀説の素材になってたんですね。スタンダードじゃない主張を伝えることを目的としているとおぼしきページの多いこと多いこと。まあ、非スタンダードな主張の方が、「これを世に広めるために少しでも自分が努力せねば」という思いに人を駆りたてやすいという構図は納得いきますが。
内容を読む前に、どういう性質のサイトの中のページなのかを知るため、上の階層へ戻ったり目次を見たり、なんかもうめんどくさくなってきちゃいました。これが、本気でしっかり知りたかったのなら、まともなサイトをいくつか見つけることによって得られる実り(=ゆっくり読める)も大きいことだし、まだがんばれたかもしれないんですが、「いや、その、ココとココだけ急いでチェックしたいんですけど〜」というときには、ふるい分けのコストが相対的に大きく感じられるみたい。
というわけで、やっぱりこういうときは紙と活字が楽。レファレンスカウンターへおじゃまするのが一番よかろう。
関係ないけど、キンメル将軍のファーストネームって、「ハズバンド」っていうんですね。変わった名前だなあ。
■09-06-17
何度も改訂されているビジネス書の、ひとつ前のバージョンが必要になりました。著者が引用していたのがそれだったので。こういうとき、ネットの古書店ってほんとにありがたいですね。原書も邦訳も、ちゃんと「何年版」で買えちゃうし!
まちがって買った――というより、新品で買おうとしたらそれしかなかった――最新版と並べてみました。最新版は間にちょこちょこと新しい章がはさまってるんですね。最初の方はそれほど変わらないけど、後ろの方になるほどページ数のずれが広がっていく感じ。
とりあえず、今は目次をくらべるだけでやめにしましたが、以前、引用されていた文が新版には見当たらないという箇所があったんですよね。だから、本文の表現も微妙に改められているところがあるのでしょう。
うれしいな。これで注の確認が圧倒的に楽になります。ふっふっふっ。
■09-06-15
「お母さんのケチ」とか「ノリコちゃんの馬鹿」とかいうときの「の」って、何の「の」なんでしょうか? 同じ用例ってほかに何があるんでしょうね?
その前に「○○の××」をよーく観察してみます。
「○○」には、目の前にいる相手の名前をはじめ、「先生」「お母さん」など、二人称的に使われる三人称も入りますが、「あなた」「君」「お前」といった二人称の代名詞は入らないようです。相手が目の前にいても、ちょっと脇向いて三人称的に言ってる感じがします。かといって、完全に陰口として三人称で言うというのもなさそうで、「カズヒコのばーか」というはやし言葉は、形式的には誰に言ってるのであれ、カズヒコ君に聞こえるように言うものですよね。本人に言わないときがあるとしたら落書きくらいでしょうか。「田中のスケベ」とか。おもしろいことに一人称の代名詞は使えてしまいますね。まあ自分にむかってケチだのイジワルだの言うのは変ですから後半部分は限られますが、「俺の馬鹿」とか「私のドジ」なら続けられます。
「××」に入るのは、形容動詞的な内容を含むけど名詞じゃないとだめみたい。「××な人」を一語で表せる名詞ですね。「アホ(馬鹿)」「イケズ(いじわる)」「助兵衛(エッチ)」「ケチ」「嘘つき」、あと何だろう?「よくばり」「食いしんぼ」は入りますね。「ドジ」もOK。もともとそれほど致命的ではない罵倒語でなくてはいけないようです。「嘘つき」くらいが最上級か。
どうも、「○○の××」には、はやし言葉や落書きのような形式に当てはめることで、生々しさを弱める機能があるようです。からかわれる、はやし立てられるという状況は(特に発言者が複数なら)困りますが、代わりに、厳密に観察した評価ではない感じが加わります。決まり文句っぽくなるんですね。だから、よく考えて作文した感のある言葉は使えません。使用頻度の高い、ありふれた語、スッと口から出てくる言葉じゃないと。
スッと口から出てくるかどうか、といえば、強調の接頭語はどうでしょう。「どアホ」はOKですね。「どケチ」もまあアリかな。「ど助兵衛」「どエッチ」になるとやや苦しくボーダーライン上でしょうか。使用頻度がいまいちなので、考えてつけた感が出てしまうのかもしれません。ところで、「アホ」は「ど」で強調できますが、「馬鹿」はどうするんでしょう。「大ばか者」だと「者」がついちゃって、名詞にしかならない名詞、あたかも形容動詞のように扱うことのできない名詞だからだめなのか。「怒りんぼ」「いばりんぼ」の「坊」は使えるのに「者」はダメなのねぇ。
「形容動詞化できる名詞」で「それほど深刻じゃない悪口」で、「簡単に口から出そうな言葉」というほかに、もう一つ条件がありました。「デブ」や「ハゲ」などは使えないってことです。外見だからいけないのか? 内面と違って誰が見てもわかることなので、仮想の第三者に新情報を暴露する形をとれないからなのか? それとも、外見は変化が遅く、新発見感がないからいけないのか? ただ、外見でも「ブス」は大丈夫そう。外見のことを言っているようで単なる悪口であり、「いじわる」や「ケチ」と置き換え可能だからでしょうか。
でも、「パパのエッチ」や「ママのケチ」に新発見の驚きとか新情報の暴露はありませんよねぇ。「がーん、パパってば、けっこうエッチだったんだ……」「うちのママってさあ、ああ見えてケチなとこあるんだよ」という意味には使えません。それなのに、スッと口から出てくるアドリブ感は必要。意外性はなく、定型文なのに、アドリブ感? 違う。何か変だ。そうだ、アドリブ感じゃなくて臨場感と言い換えてみたらどうでしょう?
定型文なのに臨場感が必要、となると、思い浮かぶのは間投詞です。おお、これかも。「ママのケチ!」「パパのエッチ!」は、文のようであって間投詞に近いよね。間投詞なら、「情報は新発見ではない、新奇な内容は伝達しない」「でも感情はとっさに出てくる」が両立します。「前々からママはときどきケチなときもあると思ってたけど、今のその判断は特にケチだ(だから私は不満だ)」「パパはもとからときどきエッチなこと言うけど、今、またしてもエッチなダジャレを言った(おかげで私まで恥ずかしい)」というように、「の」のあとの「××」は相手の永続的な性質を云々しているわけじゃなく、直前の具体的な言動についての評価(と、自分の反応)を、あたかも相手の永続的な性質を形容するかのような用語を借りて表現してたのじゃないかな。"You are naughty." じゃなく、"Oh, you are being naughty again! " という感じでしょうか。"being bitchy again!"、"being bossy again!"、うんうん、なかなかいけそうです。
しかしこうなると問題は、集団によるからかいのはやし言葉や、秘密の落書きなどが例外として孤立してしまうこと。「イワンのばか」や「田中のブス」は、直前に直接のきっかけを想定してない気がするんですよねぇ。
そして、文の機能や用法、意味をあれこれ考えたのはいいけれど、かんじんの格助詞の「の」については一歩も前へ進んでませーん。「パパったらエッチね」「ここな軟弱者!」「この裏切り者めが!」など、似たような表現を探してもみましたが、形式的、文法的にはあんまり共通点がなさそうです。「○○ったら××」「○○ってば××」などは、後ろに「ね」「よ」「なんだから」がつくだけじゃなく、「○○」には二人称の代名詞も入れば、「××」の範囲だってぐっと広がります。「ひどい人ね」「自分勝手な方なのね」とも言えちゃうし、なんなら「本当に」くらいつけることもできちゃいます。最終的に用言としてまとまってくれればなんでもありといっていいんじゃないかと。
それに比べると「ここな××」「この××」はまだ自由度が低く、長い表現はできません。まず「○○」がないし、「××」は複合語でもいいから名詞1個じゃないとダメなようです。そして「○○の××」のときのような形容動詞の語幹じゃダメで、はっきりと名詞らしい名詞じゃないといけません。さっきはダメだった「大ばか者」がここでは復活します。その代わり、名詞らしい名詞で悪口でさえあればいいので、単語レベルでの選択肢は広いですね。オリジナリティーの高いレア語もOK。「ブッダのぽむぽむ地蔵」は言えませんが、「この、ぽむぽむ地蔵!」は言えちゃいます。さっきも使えた「怒りんぼ」「いばりんぼ」はOKです。そして、「人殺し!」「極悪人!」など、深刻な罵倒語も入れられるし、国籍名や民族名などの蔑称も入れられますね。
そして、「の」については、相変わらず、なーんにもわかっちゃいません。あきらめて仕事に戻ります。ああ、私ってば怠け者。こんなことにハマって時間をとられて、私のドジドジドジー。
■09-06-11
「
やぎの目」で、看板が緑白青だとそれだけでファミマっぽく見える
という話をやってました。カラースキームの力ってすごいな。日ごろからあまり色に注目しない人だとそうでもないのかもしれないけど、私は特に色に引きずられる方なので、この感じはわかりすぎるくらいわかります。形を処理するのが苦手なせいなのか、それともせっかちすぎて形まで見てる暇がないのか(色は一瞬で処理できますもんね〜)。
「色しか見てない」と何が起きるか。
たとえばですね、小学館文庫と講談社文庫が全部、アタマの中でまぜこぜになってました。さっき、このエントリを書くために文庫棚の前に立って、背を観察してて気づいたのです。どっちも白とぐんじょう色のツートンカラーなんですもの。よく見たら、切り替え部分が斜めなのが講談社、平らなのが小学館。今日まで知らなかった……。今まで何だと思ってたのか。両方をひとまとめにして新カテゴリーを作っていたようです。
そして。
先日、出先で「最近、扶桑社の本って何を読んだっけ?」と思い出そうとしたのに、全然出てこない、ということがありました。おっかしーなー、扶桑社のブログはときどき見てて、気になったやつに後でリアル書店で出会ったら買ってるはずなんだけど〜と思いながら家へ帰り、机の上や布団のまわりなどの地層を見てたら。
謎が解けました。私の中では、「扶桑社=イタリアントリコロール」だったのです。つまり、背が白地で、題字が赤、そして下の方になにかグリーンの部分があると、扶桑社だと認識されるしくみになっていたのね。そう、
最近買った本はオビが傷んでないから下のグリーンの部分が見えず、三色がそろわなかったんだー! 手元にあった「匿名投稿」のオビをひっぺがしたら、たしかに見覚えのある三色になりましたよ。
赤白緑て、ピザ屋の看板ですかい(いや、マダガスカルやアルジェリアだってこの三色なんですが)。たぶん、元はといえばアン・ライスとジャネット・イヴァノヴィッチによって刷り込まれたのだろうと思います。アン・ライスにはニューオーリンズばかりじゃなくイタリアが舞台になってる話もありますし、イヴァノヴィッチのステファニーは半分イタリア系で、ピザやパスタがいっぱい出てくるし。あ、そうか、ステフのあと半分はハンガリー系だから、ハンガリー色でもいいのか。というより、上から順に赤、白、緑なら、イタリアよりハンガリーの方がふさわしいのかも。
匿名投稿の感想は……そのうち書くかも。書かないかも。というか、私が感想を持ったのは主に結末に関してなので、書けば必ずネタバレになりそうでねぇ。でも、これまたイタリア人やらイタリア系やらが何人も出てきて、エンジェルヘアなんて細麺も出てくるんですよねぇ。またしてもトリコロールのイメージが強化されちゃったような。
■09-06-09
また日記放置してました。書いてた時期にくらべて今の方が忙しいとか、実働時間が長いとかいうわけじゃないんですが、日記を書くモードに頭を切り替えないと書けないみたい。
おとといは『スター・トレック』行ってきたし、今日は梅を漬けました。相変わらず、乾物を使いきろう作戦は続いています。これをやりだすと和食が、それも、茶色っぽい煮物が多くなりがち。ちょっと飽きた。
■09-05-25
ちょっとスケジュール的に作業の順序が入れ替わることに。しばらく翻訳を中断して短い書き物をしてたけど、そっちが後でよくなったので、このあいだから翻訳に戻りました。
自転車は……相変わらず乗り回してます。自転車に興味があるというわけではなくて、鉄道の路線図から解放される感じが面白いようです。たとえば谷町線の平野→JR大和路線の平野→千日前線の南巽なんて、電車でだといったん市内中心部に戻らないといけないけど、ほんとは近いんですよね。御堂筋線と阪和線の長居から、南海高野線を横切り、阪堺線を横切り、南海本線を横切り、四ツ橋線とニュートラムの乗り換え口へ着く、なんてことだってできちゃいます。当たり前のことですけど、地図には鉄道路線図に載ってない道路がいっぱい載っていまして、そういうところを選んで実際に走ってみると、バス停って実はたくさんあったんだなあということに気がつきます。
ずっとそんなことしてたので、線路に沿って走るというのはもったいない(?)気がしてやってなかったんですが、先日はちょっとだけ阪和線のガード下を走ってみました。長池公園は長居公園よりも賑わってました(狭いから人口密度が高くなるってだけのことでしょうけど)。桃ヶ池公園に至っては、さらに賑わってました。子供が減ってるってドコの話? 子供が外で身体を動かして遊ばないってのも、ドコの話? という感じ。ちょっと大きい子(といっても4年生かそこら)が小さい子を監督してるし、2年生くらいの子は就学前の子の守りしてるし、大人は犬の糞をちゃんと片づけてるし、道はどこもかしこも掃除が行き届いてるし、植木は新芽出してるし。マメに暮らしている(暮らせている)人がやたらと目につくのでした。
こうしてすれ違う人たちには、海外ミステリもヒストリカルロマンスもパラノーマルロマンスも、純文やSFはなおさら手にとらない人が多いんだろうけど、それでも人々の暮らしはちゃんと回っています。本を(特に、翻訳書を)作ったり売ったり買ったり読んだりっていうのは、もともと狭ーい世界なんだってことを思い出さずにはいられません。いや、アタマでは知ってるつもりなんですが、「ずっと家に閉じこもって、たまに出る先は中央図書館かジュンク堂」なんて生活をしてると忘れそうになるの。今はネットに読書感想ブログなんかも多いしね。
近鉄河堀口駅近くのマンションの前で軽四を停めて、後ろから大きな買い物袋を下ろしてる若い男女を見かけたけど、コーナンの袋とニトリの袋が両方あって、その日に2軒買い回ったのがわかったり。長居公園通の湯里あたりでは、ジャスコのシールのついた寝ゴザを前カゴに立てた自転車とすれ違ったり(瓜破のイオンの帰りと思われる)、天津すだれをぶら下げて歩いている人がいたり、皆さん夏じたくなのね。お買い物には魔力があるなあ。たとえそれが必需品であっても。私の最近のヒットはコーナンで買った
溝チリトーレ
という、アパート・マンションのベランダの溝そうじに特化した小さい箒。本にくらべると、こういう物って安いなあと痛感します。
さあ、これから暑くなることだし、いつまでこうして出歩けるんでしょう。
今川沿いなんかは多少涼しいかもしれませんが、木のあるところには蚊がいるという罠が。まあ、それはそれでいいのか。自転車という乗り物の最大の欠点は、乗りながら原稿も書けなければゲラも直せなければ睡眠もとれないことだし。
■09-05-23
2008年に米国で出版された書籍、オンデマンド出版等のタイトル数が従来型のタイトル数を上回る(5月20日のCAPより)。
「
本願寺展−開かれる世界遺産の扉」が31日までなんですが、行けるのかどうか。うーん。なにしろお西さんは焼けてないだけに、古いもの・いいものがたくさんあるようなんですよね〜。今後、石川県立歴史博物館で9月19日(土)〜11月3日(火)、道立近代美術館で4月17日(土)〜5月23日(月)とのことなので、チャンスがまったくないわけじゃないんですが、東別院の展示は名古屋だけなのよね。はー、未練が残る。
コーヒー豆がなくなったので補充。ついでに卵も。そしたら、コーヒーを買った店では卵がMSしかありませんでした。量が少ないくらい別に気にいいやと思ったんですけど、Lのときと同じゆで時間だと固ゆでになってしまうのね。ゆで時間を何種類も覚えずにすませるためにはいつも同じ大きさを買う方が楽だと学びました。でもこういうのって、ハタから見たら、こだわりと区別がつきにくいような。健常者もときにはやること、というより、非熟練のバイトを大量に使う外食チェーンの調達部がやっていることと同じなのになあ。コックさんなら素材に多少のばらつきがあろうとカンで吸収できるんでしょうけど、その陰には長い修業の年月と、廃棄された練習用食材という投資があるはず。私はそんな投資をする気はないんだから、せめて仕入れの規格化で埋め合わせようっと。
戸棚の乾物と缶詰とレトルトを減らそう月間。もともと、毎年、梅雨の前にはなるべく乾物を使いきるように心がけてはいるんですが、今年は対象を缶詰とレトルトにまで拡大。ゆくゆくは保存食品収納庫をひとつ廃棄したいという野望(おおげさ)に向けて。――って、食糧を備蓄しようとかいう世間のトレンドに逆行してるかしら?
そろそろ『
誰も寝てはならぬ
』の
11
が出ているはず。早よう見たいもんじゃのう。
■09-05-20
また間あいちゃった。サボると時間がとれるので味をしめてしまうのか。
この間、何あったっけ? DNPと出版大手三社のブックオフ株取得なんてニュースもあったけど、あまりに話が大きくつかみどころがないせいか、逆に印象に残らず。
16日はジュンク堂で
日本YA作家クラブ発足記念トークセッション(
金原瑞人
はまだ露出が多い印象があるけど、
梨屋アリエ
と
令丈ヒロ子
と
石崎洋司
を一度に生で見られるとはえらく効率のいい話で、まさに地方在住者のためにあるようなイベントじゃなかろうか)。せっかく東京いくんだし、15日は新大久保のルーテル教会で
ヘンデルの室内楽。
いつもは東京行くときはちょっと長めに泊まり、いろんな人に知らせてなるべく効率的にごはん食べたりお茶飲んだりするけど、先月それやって帰った直後にお腹を壊したこともあって、今回は東京でもお客の一人として参加する以外は閉じこもり生活。それだけじゃなく、前後のイベントをたくさん申し込むこともせず、美術館へ行くこともなく。いや、別にインフルエンザ気分に乗せられてるわけじゃないのよ。
帰ってからは、注文してあった無印のパルプボードボックス(
これね)を2つ、組み立てて本棚に。ただし、既存のダボ穴に可動棚を入れても私の思いどおりの棚間隔にはできないため、組み立て前の板の段階で希望の高さに木ネジを途中まで入れ、飛び出したネジの頭に棚板を乗せてみました。ドリルでオリジナルダボ穴を開けるのはちょっと自信がないし、こっちの方がハードルが低そうな気がして。そんなわけで、完成したのはいいんですが、本棚からはみ出して床や机に積まれていた本を全部入れたら、まったく隙間がなくなりました。これから買う本は入らないということらしいです。はー。
洋裁のようなこともちょっとだけしたぞ。シャツを脱がなくても首筋から抜ける背中の汗とりを作りました。といっても、布を裁って縫ったわけではなく、ランニング型のタンクトップの両サイドをはさみでちょきちょき切り離して作ったんですが。
原稿中のため、本読み記録はヒミツ。原稿の中で使ってる本は書くとネタバレになるし、そうでない本はサボりがバレるし。
あとは……、キャベツがやっと買えたってことかな。今年は何かキャベツが高くないですかー? 新キャベツも寒玉も公平に高いので何となく手が出なかったんですが、ようやくアンチョビとキャベツのスパゲティが作れました。夫が安売りのアンチョビをサーディンとまちがえて買ってきたもので、今はアンチョビの在庫が豊富でね〜。
やっぱりまとめて書くと時間かかりますね。くたびれたー。
■09-05-12
3日以降今日までの、そのほかのこと。書き忘れも含むので前回のエントリと時期は一部かぶります。
『本屋のほんね』
6日付で、文教堂が古本買取りを始めていたという報告にびっくり。
日本生理人類学会の
大会は場所が札幌なので、夏でも行けるいいチャンスだと思ってたけど、遠いし時間かかるし素人が聴いてもよくわからない話が多いかもしれないし、行かないと決めました。去年の秋、日野ではおもしろい話がたくさん聞けて楽しかったんですけどね。それより仕事しようよ、ってことで。
この間の読書は梨屋アリエの『夏の階段』(
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楽天)が当たりでした。ピュアフル文庫の『夏休み。』(
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楽天)を読んだ方はタイトルから予想がつくかと思いますが、ピュアフル文庫のアンソロジーに入ってた短編4本が入ってます。別々のアンソロジーで発表済の4作に書き下ろしの中編を1本足した連作集という形です。たとえ4作全部をアンソロジーで既読の方であっても絶対おすすめ。単に書き下ろしがいいからってことだけじゃなく、少しずつ内容の重なり合う旧4作も一気に続けて読むことで見えてくるものもあるから。ところでこれ、中3の卒業式から高1の9月初頭までに設定されている話なんだけど、読者の年齢の分布ってどうなってるのかなあ……。同年代? それとも中学生くらいが「高校」という未知の世界に憧れて読むの? いいオトナが青春を懐かしんで読むの? 読者の組成のパーセンテージが気になってしょうがないんですが。――なーんて言ってたら、10日に文庫(
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楽天)で発売ですか! 文庫発売日の数日前に単行本を買ってしまった私って。だああああ。文庫には文庫版あとがきや解説もつくだろうに。
まあ、気をとり直して。そのほか、最近の当たりは木内昇『茗荷谷の猫』(
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楽天)、坂木司『切れない糸』(
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楽天)、吉田篤弘『小さな男*静かな声』(
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楽天)、A・ベネット『やんごとなき読者』(
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楽天)、S・バーンズ『ぼくはものぐさバードウォッチャー』(
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楽天)など。『ものぐさ』は、あっちへ行っちゃったディープなバードウォッチャーみたいにならなくたって、身近な鳥にちょっと関心を持つと日常が立体的になるし人生変わりますよという本なので、対比のために(?)、行っちゃったバードウォッチャー(「バーダー」というらしい)の話も読みたくなってくるんですよね。そんなわけで旧居のクロゼットに置いてきた『ザ・ビッグイヤー』(
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楽天)をとりに行って再読。ビッグイヤー読み返してからの方が、ものぐさもおもしろくなります。逆も真でまさに相乗効果。現在進行中なのは『ユダヤ警官同盟』で、まだ上(
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楽天)しか読んでないけど好調。これの下巻(
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楽天)、7日時点で貢林に中古が1900円で出ていて「ハァ?」と思っちゃいましたよ。だって私、その日に某ターミナル地下街の小型書店で買ったばかりだったのに。翌8日には新品が定価で載ってましたけど。
そんなせいもあってか、「理想の本棚のサイズを考える季」が、またもや熱病のごとく。どうやら私は、最少の空間で最大の量を、なんて思うとかえって失敗するタイプのようです。「このサイズの本が多いからこの幅を多くしよう」なんてなまじ考えはじめると、理想の棚板配置追求に引っかかっていつまでも収納に進めそうにない。だから、たとえば
この漫画に描かれている可動棚たっぷりの棚よりも、本当は固定棚、それも大小2種類くらい(プラス、文庫とCD専用)しかない大ざっぱなのがいいはず。――って、今は新しい本棚を置く場所なんてないんですけどね。万が一、将来ひと山当てて御殿が建つようなことになったら買いかえようっと。
クロゼットのハンガーバーの高さを下げて届きやすくしたり、電球を換えたり、なんだかんだと住環境のメンテは続く。しかし仮住まいなのにこうして(以下略)。
もっと前のもっと長くサボってた時期の話はどうしましょうかねぇ。半年もサボってて、「3月の札幌は黒い水たまりだらけで足元が最悪です」とか「ステラプレイスの旭屋が撤退した後には隣の大丸と同じ三省堂が入りました」とか「小川高義氏のサインもらってきました」とか「ウンブリケッリって手打ちうどんみたいです」とか「越前敏弥講演会を聴いてきました」とか「牛テールのリゾットがおいしかったです」とか「日本出版学会の出版経営研究部会『Amazon.co.jpと日本の出版市場』は遠いから行きませんでした」とか、それくらいしか思い出すことがないんですよ。進行中の仕事は顧客の企業秘密だし、進行してない仕事は私の企業秘密だし、それ以外は自転車で近所を走り回って脳内地図を作成していただけだし、通院記録なんかじじむさいだけだし、安い惣菜屋と居酒屋があるのをいいことに料理はあんまりしてないし。日々の読書はあまりリアルタイムで克明に記録すると編集者にサボリがバレる上、万が一いつか親バレしたときに叱られそうで怖いんですよねぇ。実家の母は(文庫であれば)たくさん買うことには寛容ですが、「文庫落ちを待てずに単行本で買う」のにはきびちいんだもん。まして「古典の訳者ちがい揃え」なんてネタを読まれたら叱られちゃいますぅ〜。
と、まあそういうわけで、日記をサボってたのは自転車にハマったら書けるようなことが起こらなくなり、ネタがなくなったのであって、別にネトゲにハマってたわけでもセカンドライフにはまってたわけでもありません(やったことないし)。それとさー、日記って習慣で書くものだから、少し書かないでいるとてきめんに億劫になるのよねー。毎日書いてるときはそんなに時間をかけてる意識はないんですが、書かないことによって使える時間はなかなかなものだなあと。
■09-05-09
またサボっちゃったんでまとめ書きになりました。なかなか日記を書く時間がとれなくて。よく考えたら月も変わってたので背景色も変えました。去年決めた基準だと5月になったんだから青にするところでしたが、「
バナナ女ショックを忘れるな!」ってことでバナナ色にしてみました。ほとんどの方には意味わかんないと思います、すみません。やや未来の自分自身を叱咤激励するための、個人的暗号です。
3日。ADHD関係のネット知人が大阪に来られた機会にミニオフ。ところがそんな日に、財布を持たずに出るという迎撃っぷり。なぜか商品券は持ってたのでデパ地下でお釣りを作り、1800円分の硬貨をポケットにじゃらつかせてすべりこみ。ADHDつながりのオフでよかったー。
顔を合わせるのは初めてでも、ネットでお互いを知って10年以上になることもあって、昔話が多くなりました。その昔、"
Driven To Distraction
"をどっかに売り込めないだろうかと何人かに相談してたら既に
司馬先生
が着手していることがわかり(その年の暮れに『へんてこな贈り物』(
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bk1、
楽天)として出たのがこれ)、そのご縁で司馬先生に紹介していただいた件とか。そうか、そういえば先生のご自宅へ遊びに押しかけたのもたぶん5月ごろだから、ちょうど11年になるのかー。移動の乗り物の中で読んでたのは、のちに河出から出る『シャドー・シンドローム』(
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、
bk1、
楽天)の
原書
だったっけ。まだハードカバーでしたね。今なら、旅行のお供に上製なんか持って出ませんが、若かったのね。今ほど疲労の検出に上達していなくて、体力を過信していたせいもあるんでしょうけど。
帰り、皆さんと別れてから、人の少ない大阪の町をやたらと歩き回る。
阿波座ジャンクションを下から見上げたり、
松島橋から木津川をながめたり。キヨシのお墓になってしまった
大阪厚生年金会館〜新町北公園は避けて通り、別の道を。
オフ会で昔話をしたもので、皆さんと別れてからも続きでいろいろ思い出してしまったな。司馬先生とはADHDの話もしたはずだけど、今も覚えてるのは書籍の話をしたこと。未訳の原書で共通のものをいろいろ読んでいるので、「あの本のあの部分が」「あの本のあのエピソードが」という話ができて欲求不満が解消されたから印象に残っているのでしょう。本読みどうしで既読本語りができる機会に飢えていたのだな。洋書の上に特定ジャンルとなると相手が限られてきちゃうしね。私はバークリーの"
ADHD And the Nature of Self-Control
" がすごいすごいと興奮していたのを覚えてますよ(これも当時はハードカバーだった。
青い方
ね)。分厚いしツウ向けだし、もっと薄くて易しい本が何冊か出てからじゃないとどっこも手を上げないだろうと思い、どこかに売り込むことは考えていなかったけれども。結局、
バークリー
は"
Taking Charge
"が後になって邦訳されたのね(『バークレー先生のADHDのすべて』→
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、
bk1、
楽天)。
『へんてこ』つながりでもさらに連想。そういえば共著で出発した
ネッド・ハロウェル
と
ジョン・レイティ
はずいぶん遠くに住み分けるようになったんだなあと改めて気がついたり。前作が売れたという実績を積むに従って、それぞれの本来の関心の根っこを反映することが許されるようになったということなんでしょうか。
自分のことでも、当時の若さ(当社比)とか無知さ(これも当社比)とか意気込みとか、実らなかった企画とか(今思ったら実らなくて助かったと思うのも当然あり)、いろんなことを思い出してしまいました。「忘れてはいないけど思い出さないこと」ってたくさんあって、日ごろはそれで助かってもいるけど、あまりに目先のことを追いかけるばかりでも再検討や軌道修正の頻度が低くなってしまうので、たまにはこうしてシャッフルした方がいいのかしらね。キヨシローの訃報の翌日ということもあって、なんだか棚卸しの日々に。
4〜6日もずっと、仕事のかたわらファイリングとかゴミ出しとか模様替えとか。しかし仮住まいなのにこうして手を入れたりしてどーすんでしょうか私。使いやすさMAXになったころに退去することになるんじゃ。
あとは確か
6日か7日ごろに大阪高島で開かれている『
東本願寺の至宝展』へ。ちょうど、名古屋の博物館で西本願寺も似たような趣旨の
企画をやってますが、それに比べると身内が見ても(うちはお東なんです)かなり小規模です。東本願寺は何度も全焼していて、古い宝物はあまり残っていないからです。障壁画のメインも明治の再建のときのもの。応挙の襖など近世の障壁画も少しありますが、別院や別邸に残っていたものだとか。
そんなこともあって、楽しみどころは3点(棟方志功が好きな方には4点)かと思いました。明治の再建のときの障壁画、幕末の徳川方の史料、それと再建の資料です。
個人的に一番楽しかったのは地図や図面! 特に、幾度もの再建に焦点を当てたコーナーが図面の宝庫でおもしろいの。薄い紙をとび出す絵本みたいに切り張りした立体図面とか、琵琶湖疏水を利用した防火用噴水計画図とか。建築に興味や知識のある人だったらもっと楽しめたんじゃないかなあ。作業風景を描いた屏風絵もあり、山形の山中から用材を伐り出し、川に流して港まで運ぶ人々が描かれています。スミッコには炊き出しの鍋釜と食事中の人々が描かれていたり、水中作業中に足を滑らせて転ぶ男、それ見て驚く隣の男など、お約束でお笑いも入れないでは気がすまなかったのか、それともこれは作業の困難さと人々の犠牲を記録しようとしたのか。再建関係以外では、寺内町の区割り図、大規模な行事で全国から集まる門徒のための宿舎の案内図などに見入ってしまった。
明治の障壁画は、花鳥画の襖がたくさん出ていました。背景は金箔で、新しいだけにもちろん保存もよく、華やか。美術史には疎くてさっぱり知識がないんですが、素人目にも日本画らしいというか京都らしいというか。外国人観光客になった気分で(声には出さずに)インチキ英語でほめてみました。そうそう、明治なので桜はもうソメイヨシノ。
東本願寺は徳川家と仲がよかったため、歴史ファン(特に幕末ファン)には、家茂(いえもち)や慶喜関係の史料が楽しいんじゃないかなと。家茂上洛のときの旅程の記録や慶喜宿泊の書類なんてのもありました。私にはさっぱり読めないけど、ついてきた家来の名簿、客室の飾りつけ、献立などが書かれているそうで、想像が広がります。旅程表の方が、漢数字が読める分だけちょっとわかったような気分になりやすかったかな。近衛忠煕が安政の大獄で一時出家したときの坊主姿を徳川慶喜が描いたというマンガ風のイラストがかわいくて、これが今回の展覧会のマスコットシンボルとして各種のグッズに使われていました。
大阪は11日(月)で終わりますが、
新聞によると、のちに京都にも回るそうです(13〜25)。名古屋の方にも何とか日を見つけて行きたくなりました。初期の史料や美術品は主にあっちにあるし、見ごたえあったという評判も聞いているので。それに、今回が800円ならば名古屋の1200円は圧倒的に割安よね。しかし1回ですむかなあ。来年の札幌のときにもう一度行くか。
■09-05-02
仕事以外でいろいろ放置していたこと(雑用とか家事とか探し物とか諸手続きとか)がもう限界だという感じになってきて、大掃除。オットが里帰りで2晩留守なのでチャンスとばかり、布団も浴槽で踏み洗い。マットレスを風に当て、スキャナや裁断機のワゴンも動かして下に掃除機をかけ、ぞうきんがけ。
探し物から始まって掃除、ごみ出しへと発展したんだけど、探していた対象ブツは心当たりとは全然べつのところから見つかりました。裁断機のワゴンの下段で見た記憶があるのに、ないから下を探すことになったのにね。まあおかげで清潔になったからよしとしますか。
ごみの回収までまだ日もあるのに、この45L半透明袋2つもどうするんだと思っていたら、清志郎の訃報が。なんでこんなときにオットが留守なんだ、抱き合って泣きたかったのに。屈葬。よけいにあれもこれも捨てたくなったり、あちこち磨きたくなったり。夜中に掃除機かけるわけにもいかず、ひたすらハタキかけとぞうきんがけ。
最初は洗うつもりじゃなかった布団まで、浴槽で踏み洗い。浴室の排水口のネットも換えて、フタもごしごし。換気口のフィルターも掃除。八つ当たりの代わりに洗面台も磨き、蛇口も磨き。通販のカタログも、とってあった包装紙やプチプチシートも、古い資料や賞味期限の過ぎた企画書も、どんどん捨ててしまう。でも考えてみたら、朝に片づけものを始めたときには、もう、ボスはいなかったのね。嗚呼。
■09-05-01
最後のパレードは結局、回収ですか。ずいぶん遅かったような。別のディズニーランド本の出版社の方が、ネットで混同されて書かれてるのを見かけて「それ、この本じゃありませんからーーーーーーーーーーー。」と叫んでいらした(「未公認なんですぅ」
4/24付)ときは、あらあら大変そう、そりゃときにはそういうこともあるだろうなあなんて思ってましたが、書店に別の出版社から「隣に置いてください」みたいなお願いが来た(「本屋の片隅日記」の
4/28付)という話にはある意味ちょっと感動してみたり。みんな一所懸命仕事してて、いろんなことがあるんだなあ。
今日は谷町線でお出かけ、人に会った帰りにお買い物。自宅の鍵や自転車の鍵をインナーバッグにつないでるチェーンが短すぎるので、リール式のキーホルダー(楽天で見ると
こんな感じね)を。
そのほか、コンサートのチケット代の支払いなど。ATMなら夜でも使えるものを、ついつい、窓口が開いているうちに行かなくてはならないような錯覚をしてあわててしまった。日ごろ、仕事関係の支払いだと、領収書を何年も保存することになるので、感熱紙を嫌って窓口を利用しているものだから、私用ならATMでもいいんだったとなかなか思いつかなくて。いつもいつも同じ場所で、同じ手順でやろうとしちゃうんですよね。慣れてる場所の方が気楽なのは確かですが、だからそうしてるというのではなく、本当に思い出さないのです。
■09-04-30
Googleブック和解の除外意思表示期限って、延長になったんですねぇ。まるで棚ボタ。もしかしてこれ、独占禁止法違反だという他業者の主張の影響なんでしょうか。この件はやたらと情報が錯綜してて、ここんとこずっと落ちつかなかったワタクシでありますが、海外の(Googleから見て)著作権者というだけじゃなく、昔の絶版ペーパーバックを探しちゃ買い漁る読者でもあって、両方の立場から見てしまうのでなおさらフクザツなのです。
そういえば、文楽ももう終わってるので感想書いても平気なのね。いや、古典なんだから(今シーズンは『義経千本桜』の通し狂言)ネタバレもへちま(←死語?)もないようなものですが、万年初心者の私なんか話を知ってても十分驚いたもの。狐が正体をあらわす河連法眼館の段は歌舞伎で(
それもテレビで)しか見たことがなかったので、狐が宙へ舞い上がるらしいとくらいは知ってたけど、人形なんだから狐だけが吊られて飛んでいくのかとばっかり思って見てたのね。そしたら、主遣いさん(
桐竹勘十郎でした)ごと背中にワイヤつけられて飛んでってしまったーー。一人遣いになってしまうわけですがもちろん空中でも演技は続く。うーあー。
まあこんなことで驚いてられるのは初心者のうちというか、初心者の特権よね。深く知ってる人にしかわからない味わい方もたくさんありそうで将来が楽しみではありますが、それはほんとに先の楽しみにとっとこうと思ってます。なにしろ合宿免許体質だけに、にわか勉強、詰め込み勉強にハマりやすく生まれついてしまった体ですが、そういう興味の焼き畑みたいな営みにあえてブレーキをかけるのも、生き方の幅を広げることだと思うし(
ちょっと前だったら学び急ぎの焼き畑体質に逆らわないのが障害受容だなんて思ったかもしれませんが、いろんなペースを経験してみたいという興味が湧いてきたんですかね)。
最初の堀川御所の段は、これからの話の背景となるヤヤコシ〜イ事情が会話で明かされる場面なので、浄瑠璃が豊竹英大夫(
はなふさだゆう)でよかったなーと思いました。なんといったらいいんでしょう「情報が頭に入りやすい声」なんですよ。いがみの権太で有名なすしやの段は、大スターの住大夫。出てくるだけで会場内の雰囲気がさーっと変わります。静かに、雨音のように広がる拍手。実は、何があったのか顔に打撲の痕のような変色があってぎょっとしたんですが、始まってしまうとそんなことはすぐ意識からしめ出されてしまいます。何がすごいって、無色透明、特色がないの。悪目立ちしないようしないよう、尖ったところを徹底的に削っていったような。ほんとにキャラが(人形が)しゃべってるように聞こえてきて、大夫のことなんか忘れてしまうの。そして、田舎娘お里(簑助)の可愛いこと可愛いこと。
こまかいところで妙にウケたのは、河連法眼館の段で登場する本物の忠信の情けなさ(笑)。なんにも知らずに現れて偽忠信が怪しまれるきっかけを作るだけの小さい役ですが、病み上がりの体をおしてせっかく馳せ参じたのに、着いたそうそう疑われて責められて、いや私は親の看病で田舎へ帰ったら自分も病気になって死ぬかと思った、なんてカッコ悪い事情をあたふたと説明する姿がいい味出しててキャラが立っておりました。亀井や駿河より出番は少ないけど実はいい役なんじゃなーい?
一部と二部と続けて観るのは今回が初めてでした。というより、一シーズンで一部と二部の両方を観るのさえ初めて。毎回通っているわけでもないのに、行くときでさえ「どっちにしようー」と迷って片方を観る程度だったんですが、通し狂言とあれば続けて観たくなってしまって。当然、切符代も倍かかります。そして、午前11時から午後9時15分まで続くので、お昼と晩と、2食を場内ですませることになります。2回もお弁当買ったりレストラン入ったりしてたんじゃ干上がってしまうというわけで、今回は朝、出がけに特大おにぎり2つを握り、おにぎりとクッション背負って自転車でギーコギーコと乗りこみました。谷九と日本橋の間は短い急坂ですが、うちから谷町九丁目まではずっと丘の上を行けるので、さほどのアップダウンなしに走れます。帰りはさすがに疲れたけど、明るい大きな(そしてわかりやすい)道ばかりで不安はありませんでした。
――って、もうずいぶん前のことに感じるなー。何日に行ったのかは、ヒミツ。
国土交通省が「
知的障害、発達障害、精神障害のある方に有効な施設整備に関する意見」というのを募集していたので、よほど書いて出そうと思っていたのだけれど、募集の要項を見ると
……これまでの公共交通機関、建築物、道路、公園などの施設の整備基準等は、車いす対応としての段差解消や、視覚障害者誘導用ブロックなど、身体障害者に対応するものが中心でした。
しかし、このような身体障害者への対応を中心に規定された整備基準等の中にも、知的障害、発達障害、精神障害のある人にとっても有効なものが含まれていると考えられます。
「知的障害、発達障害、精神障害のある人のための施設整備のポイント集(案)」では、まず、これらの既存の整備基準等について、知的障害、発達障害、精神障害のある人にとっても有効なものを抽出し、安全性、利便性、快適性の向上の面でどのように有効なのかというポイント(新たな意味づけ)を整理しています。
とはっきり書いてあるもので、どこをどうこじつけても私に書けることはなくてとうとう断念。もっと強引にこじつければ書けたんかもしれませんが、趣旨を尊重しようと思うと手も足も出ず。はー。せっかく「原稿以外」という時間を確保したので原稿に戻るのも惜しい気がして、長らくためていた帳簿つけ。始めてしまったらうっかりハマって夜更かし。明日は出かけるのだから早く起きたかったのに。あーかーんやーん。
■09-04-29
25日はびわ湖ホール声楽アンサンブルの
第41回定期公演というのに行ってきました。そういえば長らくコンサートなんて行ってなかったんですが、めったに聴けないパーセルの『妖精の女王』だけに、これは行かないとあとあといつまでもくやみそうなので。去年は同じパーセルの『アーサー王』だったし、よくこんなマイナーなものをやってくれるなと思うとありがたい人たちです。
自分を縛るために切符も予約したものの、直前まで着替えや戸締まりをめんどくさがってぐずぐず言い、電車の中では眠くて眠くて寝グズりしていた私ですが、行ってしまえば来てよかったって思えるんですよね。
『アーサー王』や『妖精の女王』は、後の時代のオペラと違って、台詞は歌になりません。あくまでも劇の合間に挿入歌が入るだけですから、挿入歌をたくさん入れたかったら口実を用意する必要があるわけで、そのせいなのかどうか宴会のシーンが多いんですね。主賓が余興を命じれば堂々と挿入歌が入れられるし。職人たちの劇中劇があり、恋人たちの結婚式があり、夫婦喧嘩してたオベロン夫妻が仲直りすれば宴会をやり、というこの話は都合がよいわけです。
宴会じゃなくても歌になっちゃうのは、ギリシャ、ローマの神々など超自然の存在が初登場したとき(各自のテーマソングのようなものか?)や、魔法で奇跡を起こしたり人を化かしたりするとき。もともと、当時は、大がかりな舞台装置を見せたり、すばやく移動・転換して見せたり、ということが重視されていたのだそうで(装置を豪華にしすぎたおかげで、繁盛したにもかかわらず儲からなかったとか)、その意味でも、神様や妖精が人に幻影を見る場面の多い話は都合がよかったのでしょう。場面転換時の器楽曲は、装置移動の騒音をごまかすためにぎやかでなくてはならず、むやみやたらと勇壮だったり。
この日は芝居はなしで音楽だけの演奏会形式だったので、主要人物はいっさい登場しなくなります。だって歌を歌うのは「余興を命じられた歌手」「よっぱらい」「神さん」だから。そして、喧嘩していたオベロンとティターニアが仲直りした日がなぜかたまたまオベロンの誕生日だったとわるわり(妖精に誕生日があったの?)、いきなり誕生パーティーになるわ、来賓としてなぜかポイボス(アポロン)が列席するわ、「春」「夏」「秋」「冬」が誕生日のオベロンを無視してなぜかポイボスを称える歌を順に一曲ずつ披露するわ、ああそうですか何でもありなのですねと言うしかないご都合主義っぷりがいっそすがすがしくて好きなのです。「25ページごとに1回ずつエロシーンを入れるように」という制約に従って話を組み立てていた昔のパルプミステリのようなもので。
オペラって西洋伝来のものだし、日本じゃ層の厚さが違う上に、さらに「関西を拠点にする人たち」という制約まで重なるので最初はちょっと心配でしたが、この時代の演目なら、体格の大きい白人じゃなくても、肉食じゃなくても、別にハンディにならない気がしました。ホールも小さいし、編成も小さいし、だいいちハープシコードやリュートが聞こえなくちゃいけないんだもの。
滋賀県っていうと遠そうに聞こえますが、実は大津って京都駅から10分もかからないんですよね。梅田でJRの新快速に乗ってしまえば40分。ただ、駅から湖岸まではバス便ってのがどうも気分的に遠さを感じさせるので、行きはタクシーで楽をしました。帰りは散歩を兼ねて小雨の中を歩きましたけどね。
それにしてもJR大津駅前は何だか寂しかったなあ。特に平和堂(アル・プラザ)の6階の食堂街はノルベサにも劣らぬ歯抜けぶり。撤退した中華屋と喫茶の跡がそのままになってる上、まだ営業しているとおぼしき2店舗が「本日定休」て。土曜日に定休て。このエリアってもしかして平日の勤め人のランチ頼みなんでしょうか。京阪側はそうでもないのかな。
■09-04-22
先日ハラを壊したのは、精神的ショックで抵抗力が落ちてた隙を突かれたんやもしれません。ちょうど、とある原書への恋に破れたところで、傷心だったんですよねぇ。まあよくあることなんですが。
明らかにいい本ってのは他の人が見てもいい本なのは当然で。やっぱり私は原点へ立ち返って、「誰も気がついてないような
珍しい本ニッチな本を掘り出してくる」道(?)へと戻るべきなのでせうか。はぁ〜。
そういや私が最初に発達障害の原書の売り込みを始めた当時は、発達障害というジャンルそのものが「ニッチ」だったんですよ。商品は何点かあったけど、まだ「棚」を形成してはいなかったのよね。企画書書くときも、言ってすぐ通じそうなジャンル名が思い当たらず、あれこれ首をひねったものです。変われば変わるものですね。
その分、私の側で緊張感や工夫を忘れていった……なんてことになってないといいんですが。
ナッテタラドウシヨウ
■09-04-21
自分で読み返して、「腸炎」を「陽炎?」と空目してしまいましたわ。たしかに似てるっちゃ似てる。
ということは、「腸炎のようなもの」とは、陽炎だったのか!(←まちがい)
■09-04-20
なにか「腸炎のようなもの」にやられて、4〜5日ほど体質が別人になっておりました。
「のようなもの」というのは、ピーク時は内科まで移動できる状態じゃなかったために分類(診断ともいう)してもらう機会を逸したからです。外へ出られるようになったときには自然回復していたので、今さら分類・命名してもらう必要も感じなかったし。日記のネタに正確を期すってだけのために、体力の落ちている人たちの集まる狭い場所へ出かけて行くのもねえ。まだ病原体持ってたらどうするの。
そんなわけで食中毒だったのかウイルス性の何かだったのかその他の何かだったのかはとうとうわからずじまいなんですが、いずれにせよ症状の出ている間は当然ながら体質が変わってました。食性だって変わってました。一時的なバーチャル他人さま体験みたいな感じですね。私は日ごろ、食への執着が激しい方で、楽しみも多いけど正直縛られるのを苦しく感じていることも多いので、執着から解放される時間を経験できたのは新鮮でした。まあ脱水にだけは気をつけてましたけど。
あと、まさか数時間後(あるいは翌日)にこんなことになるとは知らずに買っておいた食材とか、ちょっと作りおきしてあったおかずなんかが、食べられずにいる間に古くなってしまったので、動けるようになったときにばさばさ捨てる体験ができたのも痛快でした。私はふだん、食べ物を使いきれずに傷ませたり捨てたりするのが大の苦手で――単に「嫌い」とかじゃなくて、「恐怖」に近い感じ――これにもけっこう束縛されて、不自由な思いをしてます。けどこのときは議論の余地がないほど古くなってたし、こっちも食べ物には執着がなくなってるし、それに、そもそも食中毒だった可能性もあることを思うと少しでも古い物は怖い気がするしで、背中を押してくれる要素が満載。おかげで、「ほら、捨てても意外に大丈夫だったじゃない」と確認できて、ある種の解放感がありましたね。経験値上がったぞーみたいな。そうそう、前にも似た感じを味わったことはあって、ホテルをチェックアウトするときに冷蔵庫にビールなんか忘れてきちゃっても意外にあきらめがついたときもそうだったなあ。恐怖症や強迫性障害なんかの暴露療法って、こんな感じなんでしょうか。
ま、おもしろかったです。たとえ元の木阿弥になってしまったとしても、記憶は残る。必要なときに都合よく思い出せるかどうかはまた別の話ですけど。
■09-04-15
をををー。シドがギリシャ神話の映画に出るのだそうですよ。そして、役柄はなんと、ヘルメスなんだそうですよ。
ヘルメスといえば何よりも軽さが大切なので、体格的にはこれ以上の人選はないと思うんですが、それに、悪戯っぽい顔、ずる賢そうな目つきも似合うとは思うんですが、どうにも若造っぽい神様ですよねぇ。40代も半ばで使い走りの役って。
ヘルメスなら、久しぶりにヒゲなしのつるつる顔に戻るんでしょうか。しばらくヒゲ役が続いたから、そろそろ新鮮でいいかな。
■09-04-04
ご無沙汰しておりました。念願かなって自転車を買ったら、めっきりネットする時間が減りました。ふと我に返ってみたら、各種のポイントやマイルが失効してたり、パスワードを忘れていたり、操作手順を忘れていたり。
でもまあ、そろそろ暑くて外には出づらくなってくるので、パソコンの前に戻ってこられる鴨。鴨。鴨。
(追記:本当は上の文章を書いたのは4月1日の朝だったんですが、信じてもらえないといけないから日付が変わるのを待とうと思ったら、保存したまま忘れてしまったのでした)
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