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アスペルガー症候群、あるいは黒いヴァルカン人の発見
ニキ リンコ
黒いヴァルカン人、トゥヴォク大尉
「スタートレック」TVシリーズの4作め、「ヴォイジャー」には、黒人のヴァルカン人、トゥヴォク大尉(のちに少佐・保安主任)が登場する。シリーズ第一作「宇宙大作戦」の副長、スポック少佐があまりにも有名だったため、黒いヴァルカン人の存在には違和感をいだく人も多かったらしい。
トゥヴォクを演じている黒人俳優、ティム・ラスはインタビューでこう語っている。「もしどこかの異星人が地球を訪れたとして、最初に着陸したのがシンガポールだったら、彼らは地球人というのはみんなアジア系だと思うでしょうね。視聴者の皆さんが、たまたま最初に見たヴァルカン人が白人だったからというので、ヴァルカン人はみな白人だと思うのもそれと同じですよ」
そう、白いヴァルカン人も黒いヴァルカン人も、地球人が彼らとファースト・コンタクトするよりずっと以前から、自分たちの母星の、それぞれの地域で生活していた。最初に20世紀のTVに出演したのがヴァルカン白人と地球白人の混血、スポック少佐だったというのは、ヴァルカンの歴史や文化、ヴァルカン人の生活とは何の関係もない事情だった。
黒いヴァルカン人というのは、「地球人が注目するのが遅かったヴァルカン人」であるにすぎない。
黒いヴァルカン人は、白いヴァルカン人の変種でもなければ、亜種でもない。白いヴァルカン人が標準、黒いヴァルカン人が変則というわけではない。ヴァルカン人には黒人と白人がいる(もしかしたら、ほかにもいるかもしれない)。どちらも対等であり、単に人種が違うだけなのだ。どちらも耳がとがっていて、血液は緑、ネックピンチができて精神融合もできて、ポンファー(繁殖期)は七年に一度。生理的条件だけでなく、文化まで共有している。どちらもスラク哲学を信奉し、感情をコントロールすることを重んじる。
ヴァルカン人の話が、私たちに何の関係があるのかって? いや、「スタートレック」に馴染みのない読者には不親切だったかもしれない。
二人の地球人探検家
カナー症候群は1943年にアメリカのカナーによって、アスペルガー症候群は1944年にオーストリアのアスペルガーによって記載された。カナーの論文は英語で、アスペルガーの論文はドイツ語で出版された。
カナーとアスペルガーは、ほぼ同時期に、自閉連邦の別々の村に降り立ち、別々の村人たちを観察して、記録を残した。
カナーの記録は英語だったため、人々の目に触れやすかったのかもしれない。あるいは、アスペルガーの観察した人々よりも、より「助けを必要としている」と考えられたため、注目されたのかもしれない。アスペルガーの観察した村人たちは、奇妙にとはいえ一応ことばを話し、手がかからなかったからかもしれない。
まあとにかく、いろいろな事情があって、地球では、カナーのコンタクトした村の住人たちは、アスペルガーのコンタクトした村の住人たちよりも先に有名になった。でもその事情は、地球の歴史に属することであって、自閉連邦の外部で起きたことではないか。私たちとは本来、関係のないことなのだ!
アスペルガーは自閉症の「変種」?
アスペルガー症候群を、「自閉症の変種」とよんでみたり、「自閉症の仲間だ」「いや、仲間じゃない」と論争してみたり。いや、分類するのはかまわない。博物学の楽しみの一つは下位分類にあるのだから。実際、自閉連邦市民にも、昆虫や電車や語尾活用規則を分類するのが大好きな者は多い。私だって、自閉種族の下位分類は趣味の一つといえるかもしれない。でも、どちらが標準だとか、どちらが変種だとかいったことばづかいは控えてほしい。あるいは、自分たちのフィールドノートに最初に記載された種と違うからといって、「仲間ではない」などという言いかたをするのは遠慮してほしいのだ。
博物学的興味のため、進化学・古生物学・人類学的興味のために自閉連邦の各種族を分類するのは楽しい。また、私たちは種族ごとにも個体ごとにも体質のばらつきが大きいので、かかりやすい病気も種族ごとにちがえば、地球から輸入した医薬品に対する反応もばらつきが大きい。だから、下位分類には実用的な面もある。
けれども、自分たちがたまたま先に遭遇した種族を標準とよぶのはやめてほしい。あなたがたの行なった科学的分類を、私たちの社会的、政治的ステイタスと結びつけないでほしい。偶然の事情に由来する地球人側の観察経験を規準に、私たちの世界に中心と周辺を規定するのは遠慮してほしい。
「アスペルガーなんて自閉症の仲間じゃない。まったく別の種類の障害だ」というのと、「アスペルガー症候群と自閉症とは発生機序も違い、独立の障害だ」というのは、同じ内容を含んではいるが、別の意味を持っている(ここでは、内容の真偽はとりあえず問題にしない)。
「アスペルガーなんて自閉症の一部にすぎない。独立した名前を与えるほどのことはない」というのと、「アスペルガーは自閉症の一サブタイプである」というのとでは、客観的には同じ内容を指していても、別の言明になる(内容の真偽はやはり問題にしていない)。
私たちのサブタイプを語るのに、自分たちに一番なじみが深いからというだけの理由で、自閉症(カナー症候群、自閉性障害)を規準に語るのは、自閉連邦市民について語るのに、地球の歴史上の一エピソードを規準にすることであり、地球文化中心主義の現れとしかいいようがない。
「私たちも自閉の一種に加えてください」と言わねばならない屈辱
アスペルガー症候群の人々も、カナー症候群の人と共通の性質をたくさん備えているし、地球で生きていくために必要な条件、配慮、措置の種類も(量は少ないにせよ)いくらか共通している。それなのに、地球で有名になるのが遅かったからというだけの理由で、自閉症の人に与えられる理解・配慮を私たちにも「分けてください」と言わなければならないのは悲しい。共通の、あるいは類似の配慮・措置を手に入れるために私たちも自閉症の「仲間に数えてください」と言わなければならないのは悲しい。それも、なにもカナー自閉の人たちが既得権を独占しているからではなく、地球人がカナー自閉の人たちと出会うのが早かったから、というだけの理由で。
私はアスペルガー症候群という診断を受けているが、自閉連邦の二級市民ではない。ただ、言語が発達していて、不器用で、知能が地球人の平均レベルで、視空間認知力が劣っているだけであって、二級市民ではない。
仮に、肌が黒いというだけでヴァルカン人であることを否定されるとしたら、地球で育つ耳のとがった、肌の黒い子どもたちにはどんな運命が待っているのだろう? 耳がとがっていることを恥ずかしく思いながら育つのか? スラク哲学に触れることもできず、瞑想を習うこともできずに育つのか? 成人してポン・ファーを迎えたら、精神に異常をきたしたと思われて、病院に送り込まれるのか? 誤ってボリア人の血液を輸血されたら、命さえ落としかねない。
しかし、だからといって、ポン・ファーのときに誤解されないため、ボリア人の血液を輸血されないために、肌の黒い人々が、白人ヴァルカン人と同じ配慮を「分けてください」と言わねばならないとしたら? 私たちもヴァルカン人の「仲間に分類してください」と言わねばならないとしたら? それも、たまたま地球で先に有名になったのが白いヴァルカン人だったというだけの理由で。
白いヴァルカン人も黒いヴァルカン人も、地球でテレビが発明され、「宇宙大作戦」が放送されてスポックが有名になったりするより遥か昔から、宇宙船を造り、星間旅行を行なってきたというのに。
カナー症候群の者も、アスペルガー症候群の者も、カナーの論文が書かれる何万年も前から生まれ、生き、死んできたというのに。
「非定型自閉症」――何が「非定型」なのか?
それは、黄色いヴァルカン人、褐色のヴァルカン人についてもいえることだ。最初に白いヴァルカン人(スポック少佐)が有名になり、数十年遅れて黒いヴァルカン人(トゥヴォク大尉)が有名になった――そして、黄色いヴァルカン人、褐色のヴァルカン人はまだ画面に現れていない。しかしそれもやはり、20世紀の地球のTV史の都合であり、ヴァルカンの社会・文化とは何の関係もないできごとなのだ。
たまたま地球で有名になったのが白いヴァルカン人と黒いヴァルカン人だったからといって、黄色いヴァルカン人や褐色のヴァルカン人の、ヴァルカンにおける地位が変わるわけではない。黄色いヴァルカン人も、褐色のヴァルカン人も、地球で「スタートレック」が製作される前から、いや、テレビが発明される前から生まれ、生き、死んでいったのだ。
「非定型自閉症」、あるいは、「特定不能の広汎性発達障害」――何という勝手な名前だろうか。カナーの観察した子どもたちとも違い、アスペルガーの観察した人々とも違っているというだけで、なぜ彼らが「非定型」とよばれなければならないのか? たまたま最初に有名になった人たちと似ていないというだけで。
もしも、地球で最初に文献に記載され、最初に注目されたのが、現在「非定型自閉症」とよばれている人々だったとしたら、「非定型」などという名前は与えられていなかったはずだろう。
子どもの診断名をより好みする親たち
さらに、未成年の自閉連邦市民を受け入れ、保護してくれている地球人のホストファミリーが、カナー自閉ともアスペルガーとも区別のつかない幼いゲストを、「自閉症だなんて思いたくない。アスペルガーと呼んでほしい」「この子がアスペルガーなら、アスペルガーは自閉症の仲間だとは思いたくない。アスペルガーは自閉症とは無関係だと言ってほしい」と訴えるのも、私にはどこか奇妙に思える。
白いヴァルカン人はいやだが、黒いヴァルカン人ならまだましに思える――それは地球人の嗜好であり、趣味であって、ヴァルカンの民には関係がない。その地球人の趣味・嗜好にしたところで、地球のTV史によって偶然決められたものでしかない。まして、ヴァルカンの子どもたちとは関係のないことなのだ。自分の家庭にホームステイしているヴァルカン児童使節の手を引いて地球人の医師や心理学者の元を回り、「だいじょうぶ、白人ではありません、黒人です」ということばを引き出そうとする。こんなやりとりを聞いて育った子どもが、将来母星に帰って白人のヴァルカン人に出会ったとしたら? その子の人間関係は? 白人観は? 世界観は? そして、「じゅうぶん黒くない」自分に対する自己イメージは、どうなるだろう?
ここでホストファミリーを責めるのは酷というものかもしれない。ホストファミリーは真空の中に生きているのではない。20世紀の地球の、地域社会に生きている。ホストファミリーにとっても、いや、子ども本人にしても、「自閉症」という、「悪い意味で有名になってしまった名」をつけられるよりも「アスペルガー」という「まだ知られていない名」をつけられた方が、事情を知らない人たちからの風当たりは弱くてすむのかもしれない。
だから、実用的な意味での、つまり、楽に生き残るための方便として名前をより好みするのはかまわない。しかたのないことだ。必要悪だ。次善の策だ。
また、サブタイプごとにちがうニーズに細かく合わせた環境を整えるため、よりその子の状態像に近い名前を求めるのは当然のことだろう。
けれども、どんな名前を求めるにせよ、どんな名前を避けるにせよ、そこには好き嫌いがまじらないようにしてほしい。「高機能自閉症」は「自閉」という名前が入っているから禍々しいとか恐ろしいとか、「アスペルガー」はカタカナだからオシャレだとか、そんな価値観を持ち込まないでほしい。また、本人に「これはいい名前らしい」「これは悪い名前らしい」というメッセージを伝えないでほしい(理解力に応じて、「偏見を持たれやすい名前」「偏見を持たれやすい理由」を説明するのは実用的なことだが)。その子がいつか祖国に帰ったら出会うはずの親類たち、友人たちとの間に、垣根を作らないようにしてほしい。
私たちを下位分類するなら
私たちにも確かにサブタイプがある。それは、科学的に興味深いことかもしれないし、医学的には実用的なものかもしれない。分類するのはかまわない。分類規準を議論するのもかまわない。名前をつけるのもかまわない。けれども、それを価値観の分野に持ち込まないでほしいし、地球の歴史における偶然の事情を規準に「中心」と「周縁」を決めないでほしい。「典型」と「変則」を決めないでほしい。また、自分たちの事情で、「よい名前」「悪い名前」を決めないでほしいし、「不都合を避けやすい便利な名前」「偏見を持たれやすい危険な名前」を「よい名前」「悪い名前」と誤解される危険がないよう、注意をはらってほしい。
そして、忘れないでほしい。どんなサブタイプに分類することができようと、あるいは、どのサブタイプにも分類できなかろうと、私たちはみな、自閉者であり、自閉連邦市民として平等なのだ。
(99・09・12)
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