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障害を文化と考えるのは、実用的
   ――克服主義の克服に文化モデルが果たす役割――

ニキ リンコ


障害を「文化だ」と言ってしまうことに対しては、いろいろな立場からの批判があります。

その一つが、「障害は文化だ」という口当たりのいい言いかたをすることによって、実際の生活の苦しさや、社会的な差別などを覆い隠してしまうのではないか? というものです。

それに対して、私はこう答えたいと思います。

第一に、私は、自閉は文化だと感じていますし、ろうは文化だということを聞いて、知っていますが、障害一般までを「文化だ」と決めつけているわけではありません。だから私自身は、「障害は文化だ」という言いかたをしたことは一度もありません。

また、「障害は文化だ」というのは、「障害は単なる文化の違いでしかない」という意味ではありません。「文化でもある」「文化ともいえる」と言っているにすぎません。だから、不利益や差別という実情と排他的な概念だと思いません。

そして何よりも、私自身の経験では、自分のADHD的傾向なり自閉的性質なりを少数文化と考えることによって、実際の生活レベルが上がったのです。つまり、「文化なんだ」という発想の転換は、実用的でもあったのです。

自分を少数文化だと考えることによって、「自分には自分の生活スタイルがあっていい」「何でも多数派の価値観に合わせるのは無理だ」と自分に納得させることができました(もちろん、自分の性質に合った暮らし方を選ぶのに、必ずしも「異文化だから」という説明が必要だというわけではありません。私のような発想はむしろ少数派なのでしょう)。

ですから、私にとって、自分の神経学的差異が異文化なのだという発想が、「実際の生活の苦しさを隠蔽してしまう」というのは、とても実感に反することなのです。

ほかの種類の障害をお持ちの方の場合、あるいは、障害の重さが違う場合は、そういうことがあるかもしれないので、私の経験を一般化するつもりは全然ありません。でも私にとっては、自分一人で勝手にでっち上げた「自閉文化」なり「注意欠陥文化」っていうのに似たような意識がなかったら、お洗濯をしたり、仕事をしてお金を稼いだりすることができるようにはなれませんでした。

というのは、私の注意力の持続のしかたとか、私の記憶のはたらきかたとか、私の認知力の形とか、そういうのを、「こういうのもアリなんだ」と認めてしまうまでの間は、私は、自分の特徴のいろいろを矯正する試みだけに時間と体力をアンバランスに費やしてしまっていたからです。「短期記憶が正常になるまで」「注意力がつくまで」「こだわりを克服できるまで」は、自分の人生本番はお預けだと思っていたのです。発想の転換ができなかったら、私は一生を「訓練」に空費していたかもしれないと思うと、ぞっとします。

私は高校まで普通科を卒業して、普通に受験して大学に入ったのですが、時間割表の読みかたがわからなかったり、教室移動や手荷物の管理の負担に耐えられないといった事情が重なって、中退することになりました。また、アルバイトの面接に行ってもなかなか採用されない。採用されても、どんな仕事でも全然続かなくて、一回やめさせられるたびに警戒心が強くなるのか目つきが悪くなるのか、だんだん採用されなくなっていく。自分で決めた訓練(?)の副作用みたいな感じで、チックとか、自傷とか、儀式行動とか、パニック発作とかもどんどん悪くなっていったし、それでも食べていられたのは、独身のころは、親が養ってくれたのと、結婚してからは、夫が食べさせてくれたからでした。

結婚したから世間的には「主婦」とよばれるような立場になったけれど、家事というのは仕事と同じくらい難しくて、家の中は、「これが人間の住む場所か?」というような荒れようでした。洗濯しかけで腐ってしまった洋服を捨てたり、野菜を刻むのがやめられなくて、食べきれないほど大量に刻んでしまったり、お店に買ったものを忘れてきたり、家のすぐ近くで迷子になって警察に保護されたり、そんなことのくり返しでした。

私は、何段階にも分かれた作業を、間をおいて順番にやるということができません。続けてやれば大丈夫なのですが、待ち時間があるととちゅうで忘れてしまうのです。そうなると、二層式の洗濯機で洗濯をするなどというのは、何よりの無理難題だということになります。

結局、あきらめて、スイッチ一つで乾燥までしてくれるという、高価なドラム型洗濯機を買うことになりました。これが私にとっての「発想の転換」というか「開き直り」というか「注意欠陥文化宣言」の一つだったように思います。もちろん、倹約して貯金をすれば夫のお金で高価な洗濯機が買えるというのが特権的といっていいくらい恵まれているというのはわかっています。でも、この洗濯機がなかったら、私はまた、着る服がなくなったり、洗濯機の中でカビを生やしてしまったり、洗濯をどこまでやったんだったかを忘れたためにあわてて走りだして洗面台と正面衝突したり、ということをくり返していたと思います。つまり、乾燥機つき洗濯機は、私にとって必需品であって、決してぜいたく品ではないのです。

食器洗い機も、ふつうはぜいたく品と見られています。私もそう思っていました。でも、学生のころは、使う食器がなくなったから何日も食事をせずに寝ていて起き上がれなくなったりということがよくありました。でもこのごろはそういうことが少しもないから、私にとっては必需品だったのでしょう。これも、何ヶ月か切りつめれば買える程度に夫にお金があったから買えたのですが、でもお金があるというだけでは買えなかった。働いているわけでもなく、子どももいない「専業主婦」がこんなものを買うには、かなりの意識の転換が必要なのです。

「洗濯の過程を覚えていられなくてもいい」「自分の手で食器を洗えなくてもいい」「お勤めができなくてもいい」「できないことはあきらめて、できることだけに絞ろう」――そう思えるようになるまでは、乾燥機つき洗濯機や食器洗い機を買うというのは犯罪にしか思えなかったのです。

結局、お勤めをあきらめて、自宅でできる仕事に焦点を当てて勉強することにしたのですが、それが可能になったも、「お勤めができない人間は、わがまま」「社会人失格」「ばか」「のろま」という普通の価値観から抜け出すことができたからこそ、でした。

また、〈とちゅうで予定が変わったり、急に別のことを頼まれたりすると混乱する〉とわかっていれば、〈細かい仕事をたくさん受注する職種〉ではなく、〈日数をかけて、高価な大型商品を一個ずつ生産する職種〉を選べばいいはずです。こんなこと、ちょっと考えればわかることです。でも、それを実際、自分に許すためには、「自分のできることをやればいいんだ」という意識改革が必要だったのです。

私にとっては、「できないことを克服してからでないと、人生の本番は始まらない」という思いこみを捨てて、「これまで克服のための不毛な訓練に空費していた時間を、できることを仕事に結びつけるための努力にふり向けよう」と思い直すことは、自分の能力のデコボコを一つの異文化と位置づけることとおんなじことだったのです。

日常のもっと細かいことでもそういうことはあります。たとえば、体を揺すらないように気をつけるとか、手を噛まないようにするとか、髪の毛をぬかないように気をつけるとかいう努力は、かなりエネルギーを食うものなのです。それを、「これは私たちにとっては正常な状態なのだ」と思って、少しくらいはいいか、と考えるようになると、実際、ほかの分野での機能レベルが上がるんですよ。落とし物が減ったり、迷子にならずに帰って来られたり、理路整然ととまではいかなくても、他人に理解可能な受け答えができたり。

それどころか、「手を噛んでもいいさ」と思っていると、かえってあまり噛まなくてすむようになる。「髪の毛くらい、抜いてもいいや」と思うようになったら、抜く量が減る。あるいは、「しゃべれなくなったら筆談すればいいもんね」と思って準備をしていると、なぜかしゃべれなくならないのですよ。不安レベルが下がるからでしょう。つまり、「髪の毛を抜かないようにしなくては」と思うストレス自体も、髪の毛を抜く原因の一つになっていたわけです。

私にとって、「自閉には自閉の生き方がある、暮らし方がある。私はアスペルガーなんだから」と考えることで、これまで健常者をまねるために浪費していた莫大なエネルギーを、勉強をしたり、仕事をしたり、HPを作ったりすることに回せるようになったのです。

そういうわけで、私から見たら、「文化だ」という発想と、生活やお金のことというのは、「時間とエネルギー」という媒介を通してきっちりつながっていて、とても分けられるものじゃないというか、ほとんど一つのものになってしまっています。「文化」と「生活」って、どっちかに目を向けたら別の方が見えなくなるということもあるのかもしれないけど、私の時は逆でした。つらなっていて、どっちか片方だけを見るということはできなかったのです。
(99・6・23) 

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