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診断名のジャングルと地球人の探検家たち
(分類規準を分類する)
ニキ リンコ
「アスペルガーと高機能自閉症って同じ物なの? 別の物なの?」
「うちの子は、ある先生には高機能自閉症といわれたけど、別の先生にはアスペルガーといわれた。どっちが正しいの?」
「アスペルガーと高機能自閉症って、どうちがうの?」
「うちの子はこれまで言語性LDだと言われていたのに、アスペルガーと診断された。アスペルガーというのは非言語性LDに近いんじゃないのか?」
こういった疑問を口にされる方は多いし、私自身も、自己紹介をするとき、あるいは、自分の文章の署名に肩書きをつけるとき、どう書こうか迷うことがあります。どう書こうと必ず、気に入らない人がどこかに出てくるだろうと思うと、気が重いんですよね。
同じ人が、時と場合によって、アスペルガーとよばれたり高機能自閉とよばれたりするのは、私たちの姿が毎回ちがって見えるからではなく、臨床家(あるいは研究者)によって、ちがう分類規準を使っているからのようです。つまり、これは「私たちの問題ではない」のです!
でも、なにぶん私たちの仲間には、「白黒をはっきりさせるのが好き」で「あいまいさに耐えられない」タイプが多いことですし、ここでこのややこしい分類規準を整頓してみるのも無駄ではないでしょう。
高機能自閉症、アスペルガー症候群という用語の関係・異同は、実際、とってもヤヤコシイことになっています。それは、アスペルガー症候群(アスペルガー障害)と、狭義の自閉症(自閉性障害)の中の高機能群との異同・関係については意見が分かれているためです。ここでは、アスペルガー症候群と自閉症の高機能群との異同について、いろいろな立場を、大きく2つに分けてみました。
1. アスペルガーというのは、自閉症のうち、知的障害がなく言語が発達している人たちのことで、高機能自閉と同義語、あるいは、ほぼ同じという意見
2. アスペルガーと高機能自閉は質的に別という意見(一部で重なるというものも含む)
1の中には、「アスペルガーという概念がまだはっきりしないうちに、用語を広めてしまったのがまずかった。術語を無用に増やすべきではなかった」という意見もあります。エリック・ショプラー博士などはこの立場です(
Asperger Syndrome or High-Functioning Autism?
by Eric Schopler et al ed. Plenum Pub Corp. 1998 ISBN: 0306457466)。
同じ1でも、オーストラリアのトニー・アトウッド博士のように「その時その時で、本人のために最もよいサービスを受けられる名称を使い分ければよい」という意見の人もいます。
2の考えかたの多くは、おおざっぱに言って、言語能力よりも視空間認知力に優れているのが自閉症、言語が優位で、視覚認知、空間認知には問題があって不器用なのがアスペルガーという分けかたです。
それでは、現行の診断基準ではどうなっているでしょうか。
診断基準というのは、その使用目的からいって、誰でも同じ分類ができるよう、あいまいさのない規準を定めることを求められます。だから、アスペルガーという診断名を立ててしまう以上、自閉性障害とは重ならないものと決めるしかありません。また、定量的な規準ほど目的に添うわけです。だから、ICDでもDSMでも、幼児期にことばの発達に遅れがあったかどうかという点を規準にします。
ICD-10は、診断基準では質的な差について触れていませんが、アスペルガーの診断基準の説明の部分で、最初に「疾病分類学上の妥当性がまだ不明な障害であり、」と断った上で、「少なくとも一部の症例は自閉症の軽症例である可能性が高いと考えられるが、すべてがそうであるかは不明である」としています。また、「著しく不器用であることがふつうである」ことにも触れています。
つまり、基本的には断定を避けていますが、2の可能性を残しているといえます。また、不器用の部分で少し2が入っています。
DSM-IVは、質的な差については言及していません。
仮に「視空間認知能力が優位の人は、ことばの発達が遅れることになりやすい」という仮定が成り立つなら、ICDやDSMの規準と1の規準が重なる場合が多くなりますが、変則な人たちは、重なりません。〈言語の発達は早かったのに言語能力がイマイチ〉とか〈視空間認知力が優位だけれども言語はちゃんと発達した〉とか、〈言語は遅かったけど、出たらいきなり発達した〉なんていう人もいるからです。
つまり、ICDやDSMの規準では、2と重なる人も多いけど、重ならない人もいることになります。「視空間認知力が優位だけれど、ことばに遅れがなかった人」(私はわりとたくさん知っている)と「ことばに遅れがあって、後から発達したけれど、言語思考が優位で、視空間認知にも問題のある人」(私は2人知っている)の分類が2とは変わってくるんですね。
かといって、1の立場だったらICDやDSMの規準と必ず重なるかというと、そうでもありません。ICDやDSMは、幼児期の発達史を規準にしていますが、1の立場にたつ人の中には、幼児期の言語発達はともかくとして、現在の状態だけに注目する人たちもいるからです。その場合、〈言語の発達は遅かったけれども、急激に追いついた人〉(私は2人知っている)の分類がちがってきます。
1の立場にたっている人々
先にもちょっと触れた、トニー・アトウッド博士の著書、「
ガイドブック アスペルガー症候群 親と専門家のために
」(冨田真紀・内山登紀夫・鈴木正子訳、東京書籍 1999)では、テンプル・グランディン氏やジム・シンクレア氏など、子どものときに言語に遅れがあって、古典的自閉症(自閉性障害)の診断名を与えられている人たちの証言も「例」として豊富に引用されています。
ブルース・ペニントン博士の「
Diagnosing Learning Disorders : A Neuropsychological Framework
(Bruce F., Ph.D. Pennington Guilford Press; 1991, ISBN: 0898625637)」という本で、アスペルガーの章の例として挙げられている子どもさんは、動作性IQの方が言語性IQより優位です。
また、ISNT(Institute for the Study of the Neurologically Typical) というHPのゲストブックを見ていると、記帳に来たアスペルガーの人たちにも、視空間認知力、画像処理力にすぐれた人が多いのがわかります。
2の立場にたっている人々
東京学芸大学の上野一彦先生が日本LD学会第6回大会(1997.11.2)シンポの発表で使われた「
LDと近接概念の関連図
」では、自閉症とアスペルガー症候群を一部で重なる楕円として描いています。ただし、この図では分類の規準は示されていません(発表の本編では語られていたのであろうと考え、こちらに入れました)。
「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・ディスオーダーズ・オブ・コミュニケーション」24, 107-121 (1989)に載ったD・V・M・ビショップ氏の「
自閉症、アスペルガー症候群、語義−語用障害 境界はどこにあるのか
」に添えられた図版では、自閉症とアスペルガー症候群には重なる部分があるとしています。ここでは、言語コミュニケーション能力を規準に分類しています。
一方、アメリカハイパーレクシア協会のニューズレター(95年秋号)に掲載されたリン・リッチマン氏の「
平和共存――自閉症、アスペルガー、ハイパーレクシア
」に添えられた図版では、言語性IQと動作性IQの偏りを規準に、重ならない円として描かれています。
Ellis H.D. & Gunter H.L.の
アスペルガー症候群:単なる白質の素質?
でも、アスペルガーの人々は言語優位で空間認知に劣るとして、非言語性学習障害との共通点を考察しています。
2の立場と同様、両者は別と考えるが、規準が違うもの
リチャード・L・シンプソン氏
も、両者を重なり合わない別個の障害と考えていますが、そう考える根拠も、また分類の規準も、リッチマン氏のとはちがい、社会性に置いているようです。
2の立場と同様、両者は別と考えるが、規準が示されていないもの
また、
日本自閉症協会京都府支部
のページに収録されている「
自閉症圏障害の新しい統計値について
」(英国自閉症協会会報「Communication」の1997年春号に掲載された、自閉症圏障害の有病率についての記事で、抄訳・コメントは門眞一郎氏)では、高機能の広汎性発達障害のサブタイプとして、1)典型的自閉症、2)アスペルガー症候群、3)対人関係とコミュニケーションにわずかな障害をもつものの、厳密には1)にも2)にも当てはまらない群の三つを併記しています。サブタイプごとの関係については述べられていませんが、何らかの規準できちんと分かれ、重ならないものと考えられているようです。ただし、これは本文だけのことで、門眞一郎氏のコメントの中では、高機能自閉症のうち言語に遅れのないものがアスペルガーという記述があります。
2の立場ではないかと思われるが断定できないもの
そのほか、使われている"autism"という用語が、狭義の自閉(古典的自閉症)の意味で使われているのか、広義の自閉(自閉症スペクトル障害、広汎性発達障害)の意味で使われているのかがわからなかったために区別のつけられなかったものもありました。オレゴン州
セイレムの自閉症研究センター
のページに掲載されている、スティーブン・M・エーデルソン博士の文章「
アスペルガー症候群
」がそうです。この中では、「高機能のautismにはいくつかのサブタイプがあり、アスペルガー症候群というのは、そのうちの一つである」となっています。おそらく、ここでいうautismというのは、広義の自閉の意味で使ってるのではないかとは思うのですが。そうだとすると、これも2に分類することができます。
私は診断のことをどう思っているか?
私の出会った仲間たちの中には、アスペルガー症候群という診断を受けている人たちもいれば、自閉性障害という診断を受けている人たちもいます。非定型自閉症(特定不能の広汎性発達障害)といわれている人たちもいれば、自閉傾向といわれている人たちもいます。LDと言われている人もいます。そして、どのグループの中にも、とても私に似ていると思える人はいるし、「自分とは正反対だなあ、なるほどいろんな人がいるもんだ」と思える人もいます。認知面では私とそっくりだが、対人関係では私と違う人もいます。対人関係で私と似ているが、認知面で正反対な人もいます。でも、こだわりやくり返しという部分では、みんなたいていどこか似ています。
私と驚くほどそっくりなのに、別の診断名をつけられている人がいる一方、私と正反対なのに同じ診断名をもらっている人がいる――それはきっと、私たちがそれぞれ、だれか地元の先生、たまたま出会った先生に診断してもらったからなのでしょう。
研究や統計のための診断名、臨床現場での診断名、福祉などの制度を利用するときに必要な診断名。これらはすべて、外から与えられるものだし、外から与えられても構わない性質のものです。
それに対し、自分が誰で、どんな存在なのかを知って、仲間とつながるため、あるいは自分について語るために必要な言葉というのは、本当に外から与えてもらうべきものなのでしょうか?
私は、専門家たちの分類論争にけちをつける気はありません。それどころか、もっと生理学的、解剖学的、あるいは発達心理学的に明快な根拠が見つかることを期待しているくらいです。サブタイプがきちんとわかった方が、きめ細かなケアが受けられるんじゃないか、と思うからです。それに、たくさんの人が、曖昧な診断名のはざまで悩んでしまわずにすむと思うからです。
でも、私は次の二つの意味で、専門家たちの分類論争からは距離を置きたいと思っています。
一つは、この文章の冒頭にも書いたとおり、よその人に会って、自己紹介するときに緊張してしまうのがいやになってきたからです。この専門家の先生は、私を診断してくれた先生と意見の違う人かもしれない。いま目の前に立っている人のお子さんは、意見の違う先生に診断してもらったのかもしれない――そう思って、いつも「こう言ったら、『その分類は違う』って思われないかなあ」と構えてしまうのは疲れてしまうからです。あるいは、だれが読むかわからない場所に発表する文章の中で自分の診断名に言及するとき、「だれかから文句が来るかなあ」と思いながら書くのは、いやになってしまったのです。
それともう一つは、私たちのそれぞれが、
誰を身近に感じ、誰を仲間だと思い、誰に親近感を感じるかというのは、私たちの内輪の問題
じゃないのか、と思うからです。また、自分を何者だと思ったらいいのか? 何と名乗ればいいのか? というのも、私たち自身の問題です。専門家の分類論争がすむまで名なしの権兵衛でいるというわけにはいかないのですから。
これは何も、診断なんかどうでもいいという意味ではありません。診断はきっちりしてもらわないと困るけど、それは私たちの仕事じゃない、という意味です。診断があいまいだったり、複雑だったりするのは、私たちの責任じゃないんだから、私たちが悩むことはないんだ、という意味です。
そしてもう一つ、医学的・科学的な診断と、自分のアイデンティティや帰属意識のよりどころとなる実存的・社会的診断は、区別してしまった方がいいのではないか、という意味です。「何でも好き勝手な診断を自分ででっちあげていい」というのではありません。
やっと同族だと思える人たちに出会ったのに、「彼らの仲間に入れてもらえるのか?」ということを、第三者である臨床家に決めてもらうのは変
だと思いませんか?
誰かが自閉連邦の市民権を持っているかどうかを、なぜ地球人に決めてもらわなければならないのでしょう? あるいは、ゆるやかな多種族社会である自閉連邦の国土に、なぜ地球人が国境線を引くのでしょう?
科学的・医学的・実用的(療育や教育、福祉に必要な)診断と、社会的・文化的・政治的診断とは、互いに侵さず侵されず、平和に共存できる
ものだと私は考えています。
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「
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