このページで使用されている用語について

「NT」
「ニューロティピカル」
「神経学的一般者」
「神経学的一般人」
「神経学的多数派」
どれも、英語の"neurotypical"を訳したものです。自閉(症)やその周辺障害、類似障害を持っていない人のことをさします。大雑把にいえば、「非自閉(症)者」というのに近いと考えてください。

「AS」
アスペルガー症候群(Asperger's Syndrome)の頭文字です。

「PDD-NOS」
「特定不能の広汎性発達障害」(Pervasive Developmental Disorders Not Otherwise Specified)の頭文字です。「非定型自閉症」とよばれる人々も、この中に入るようです。

「LD」
学習障害(Learning Disabilities、Learning Difficulties、Learning Differences)の頭文字です。

「ADHD」
注意欠陥多動性障害(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)の頭文字です。多動のある人たちもない人たちも含めて、総称として「ADHD」とよぶこともあれば、多動のある人たちだけを特に区別して「ADHD」とよぶこともあります。

「ADD」
注意欠陥障害(Attention Deficit Disorder)の頭文字です。多動のない人たちだけを特に区別して「ADD」とよび、多動のある人たちを「ADHD」とよぶこともあれば、多動のある人、ない人の両方を総称して「ADD」とよぶこともあります。

「AC」
「自閉者と周辺者」
「自閉者と類似障害者」
ACというのは、英語の"autistics and cousins"の頭文字です("adult children"とは関係ありません)。"Cousin"というのは「いとこ」のことで、自閉スペクトルには含まれていないものの、社会性やこだわり、認知の特徴などで類似点・共通点の多い人々のことをいいます。たとえば、水頭症、ウィリアム症候群などの人々、LD・ADHD・トゥレット症候群などの一部の人々が「いとこ」に当たります。科学的、あるいは医学的な用語ではなく、私たちのアイデンティティや帰属意識、仲間意識を表す言葉です

英語では頭文字で「AC」と表記することが多いのですが、日本語では、全く関係のない「アダルトチャイルド」のことを「AC」とよんでいるようです。ですから、混乱を避けるため、この略語は使えませんでした。

そこで場面に応じて「自閉者と周辺障害者」「自閉者と周辺者」「自閉者と類似障害者」などと訳してきましたが、どれもすっきりしません。周辺という言いかたに疎外感を感じる人がいるかもしれないし、「周辺者」だと、単に周囲にいる人という意味にも読めます。「類似障害者」だと、中心と周辺という差は感じませんが、「障害」という文字がいつでも文脈に合うとは限りません。たとえば水頭症やトゥレット症候群は障害でもありますが、障害だけという存在ではないからです。「ジョークのノリ」や「くり返しのシツコさ」について語るときは、「障害」について語っているわけではないのですから。

「自閉症」か? 「自閉」か?
このページでは、「自閉症」ではなく「自閉」という表記が使われている部分がたくさんあります。それには二つの理由があります。

このページに収められている文章のほとんどは、何らかの広汎性発達障害(「自閉性障害」、「アスペルガー障害」、「特定不能の広汎性発達障害」など)と診断されている本人によって書かれたものです。彼らの中には、「Autismは障害ではあるが疾患ではない」と考え、そう主張している人たちがいます。英語の"autism"には、「疾患」「病気」という意味は含まれていませんが、日本語の「自閉症」には、最初から「症」という文字が含まれています。「Autismは病気ではない」と主張している人の文章を訳すのに、「病気」を表す「症」という字を含む単語を使うのは、どう考えても矛盾していると思えたのです。

もう一つの理由は、私たちにとってautismとは、単なる症状の集まりではないという点です。Autismは障害でもありますが、障害だけという存在ではないのです。Autismは私たちにとって、嗜好や趣味、テイストを左右するものでもあり、遊びかた、楽しみかた、学びかた、働きかた、ふざけかたを規定するものでもあります。たとえば、もしも私がautisticでなくなったら、私のジョークの趣味は全く変わってしまうでしょう。今と同じジョークに笑うことはなくなるでしょうし、今のように、一つのジョークを何度も思い出しては長時間楽しむことはできなくなり、次々と新しいジョークを聞きたがるようになるでしょう。

私たちの中には、さらに、autismをアイデンティティの拠り所と考え、「所属意識」の対象と考えている人々さえいるのです。

そんな存在であるautismを表すのに、自閉「症」という表現では、狭すぎるのです。

上記の二つの理由から、このページでは、次の場合に「自閉症」ではなく「自閉」という訳語を当てています。

1. 著者が「autismは病気ではない」あるいは「私は治療されたくない」と表明している人物である場合。
2. その文のテーマが、autismの「趣味」「テイスト」「嗜好」「ライフスタイル」「帰属意識」「アイデンティティ」など、「病気」という枠では捉えきれない内容のものである場合。

ただし、その場合でも、1の立場を共有していない人々(あるいは世間一般)の言葉を引用している部分では、「自閉症」という用語を使っています。また、上の二つに当てはまらない場合、あるいはその著者についての情報が少なく、「1」の条件にあてはまるかどうかが確認できない場合は、"autism"は「自閉症」と訳しています。世間一般に広く流通している言葉に従うのが安全だと考えるからです。

「自閉症」は、意味的にはともかく、社会的には中立な用語だと考えているからです。


狭義のautismか、広義のautismか
日本では普通、「自閉症」といわれると「古典的自閉症」「カナー症候群」「自閉性障害」「小児自閉症」のことを連想する場合が多いのですが、アメリカやイギリスでは、「広汎性発達障害」全体のことを総称してautismと呼ぶことがよくあります。つまり、「アスペルガー障害」「アスペルガー症候群」とよばれる人たちも、「特定不能の広汎性発達障害」あるいは「非定型自閉症」とよばれる人たちも、autisticに含まれるわけです。いわば、広義の自閉症というわけです。

それをはっきりさせるため、「自閉症スペクトル障害」「自閉症スペクトラム」「自閉症圏」「自閉症連続体」などという用語も使われています。

このページでは、翻訳文献については、著者の選択を尊重して、原語をそのまま訳しています。"Autism"は「自閉症」(ただし先ほどの条件にあてはまる場合は「自閉」) "autistic"は「自閉症者」(同「自閉者」)、"autistic spectrum"は「自閉症スペクトル」(同「自閉スペクトル」)、"autistic continuum"は「自閉症連続体」(同「自閉連続体」)と訳しています。「自閉症スペクトル」や「自閉症連続体」はわかりやすいでしょうが、「自閉症」あるいは「自閉症者」という用語を見かけたら、「古典的自閉症」「カナー症候群」のことと決めつけずに、「自閉症スペクトル全体のことかもしれないな」と思って読んでください。

私自身は、このページのために書き下ろした文章では、「自閉スペクトル」全体のことを「自閉」と呼んでいることが多いと思います。文化単位として、所属意識としての自閉を語るのに、カナー症候群とかアスペルガーとかいう分類に主観的な実感が伴わないからです(この「実感」については、アマンダ・バグズの「初めて言葉を話したのはいくつのとき?」の最後の部分を読んでみてください)。

ただし、「診断」や「診断名」に関する文脈では、混乱を招かないよう、「自閉スペクトル」とか「広汎性発達障害」とか「自閉圏」という言いかたも使いますし、「自閉性障害」「アスペルガー障害」といった用語を使っています。また、自分自身の診断についても、「アスペルガー」という用語を使っています。つまり、科学・医学・福祉の文脈と、文化・アイデンティティ・帰属意識の文脈とでは、使い分けをしていると考えてください。

書き下ろしではなく、よそに一度発表した文章を再録してある場合は、初出時の環境に依存した書きかたをしています。つまり、そのときに想定された読者の予備知識、あるいはその環境でよく使われる用語、あまり使われない用語、といった要素を考えて、そのときそのときで「無難な」言葉を使っています。ですから、初出の文脈から抜き出して一か所に集めてみると、なんだか統一がとれていないなあと思いますが、どれも(妥協はあるにせよ)、ある程度は私の実感を反映したもののはずです。


番外編
"A person with autism"か、それとも"an autistic person"あるいは"an autistic"か
この話は、英語に興味のないかたにはつまらない話かもしれません。そもそもこのページは、英語の文献を読む時間の惜しい方や、英語が苦手な方の役に立つようにと思って作ったものなのに、英語の用語についての解説を入れること自体、なんだか矛盾している気はするのですが。

英語で「自閉症者」(あるいは「自閉者」)を表すのには、"an autistic person"や"an autistic"のほかに、"a person with autism"という言いかたがあります。"A person with autism"というのは、「自閉(症)のある人」というような意味です。つまり、まず人間で、たまたま自閉(症)であるだけ、というニュアンスがこめられています。「障害者」といわずに、「障害のある人」「障害をもつ人」というのと同じ発想です。いわゆる「進歩的」な人たちには、好んでこちらを使う人が多いようです。

ところが、本人たち自身の中に、この新しい呼びかたを嫌い、拒否する人たちもいるのです。私も、英語でものを書くときは、自分のことを"an autistic"と表現します。まあ、通用する場面であれば"an AC"と書くことが多いのですが。私たちの一部が、"a person with autism"と名乗らない理由については、次の文章をお読みください。


ぼくが「自閉のある人」という言いかたを好まない理由

ジム・シンクレア

ぼくは「自閉のある人」ではない。ぼくは自閉者だ。どうしてこんな区別を問題にするのかって?

(1)「自閉のある人」という言いかたをすると、自閉というのはその人から切り離すことができる存在であるかのように響く。でもこれは正しくない。

ぼくの一部ではない物とぼくとを切り離すことは可能だ。ぼくは切り離されてもやはりぼくのままでいられる。たとえば、ぼくはたいてい「紫のシャツを着た人」だが、たまには「青のシャツを着た人」になることもできるし、次の日には「黄色のシャツを着た人」になることもできる。それでも、ぼくがぼくであることは変わらない。服装というのはぼくという人間の一部ではないからだ。

それに対して、自閉はぼくの一部だ。自閉というのはぼくの脳の中に最初からしっかり組みこまれていて、この脳の働きかたを決定している。ぼくの脳の機能から、ぼくを切り離すことなどできはしない。だから、ぼくは自閉者と名乗る。

(2)「自閉のある人」という言いかたは、たとえ自閉がその人の一部分だと認めるにしても、それはあまり重要な部分ではないということを暗示する。

誰かのアイデンティティの中心をなすと認められている属性なら、きちんと直接「人」を修飾する位置に置かれるか、ときにはさらに、一つの名詞を形成する。「男の人」「女の人」「男の子」「女の子」という言いかたがあり、「男性」「女性」「男」「女」という名詞があるではないか。だれも「男性性のある人」とか「女性性をもつ人」などとよびはしない。

だれかの文化的・宗教的背景を云々するときも、「ロシア人」「カトリック教徒」とよぶ。「ロシア人性のある人」「カトリック信仰をもつ人」などとよびはしない。人の社会的役割も重要な性質と考えられているので、「親」とか「労働者」ということばが使われる。「子どもをもつ人」「職業のある人」とはいわない。人の性格についても、それが重要だと考えるからこそ、「寛大な人」「陽気な人」と表現する。「寛大さのある人」「陽気さをもつ人」などという言いかたはない。

しかし自閉はどう扱われているだろう。自閉というのは、単なる文化や、後天的に学習した生活様式などよりも、さらに深い部分にまでかかわるものではないか。自閉は、ぼくたちの対人関係のありかたを規定し、社会での居場所の見つけかたを左右する。それどころか、自分の身体とのつき合いかたにまで影響するものなのだ。ぼくが自閉の脳をもっていなかったら、今あるぼくという人間は存在しえなかっただろう。自閉はぼくという人間の本質的な特色だ。だからぼくは自閉者と名乗る。

(3)「自閉のある人」という言いかたは、自閉というのは何か悪いもの、人間性とは両立しないくらいに悪いものと思われていることを暗示する。

プラス、あるいは中立と考えられている性質を表すことばなら、直接名詞を修飾するのに使っても、だれも文句を言わない。「左利きの人」というのを、「左利き性をもつ人」と言いかえようとはだれも言わない。「スポーツマン」とか「音楽家」というのを、「スポーツをする人」「音楽のできる人」と言いかえなければならないとはだれも思わない。「目の青い人」、「青い目をした人」、どちらを使っても文句は出ない。

それなのに、なんらかの性質が「マイナスの意味だ」と判断されると、とたんにみんなはそのことばを「人」から切り離そうとする。

ぼくは知っている。自閉は禍々しい存在などではない。ぼくは自閉のせいで人間以下の存在になったりはしない。自閉だからといって、ぼくが人間性をもつことに変わりはない。そんなこともわからない人がいるとしたら、それはその人の問題であって、ぼくの知ったことではない。ぼくをぼくたらしめる本質の部分をなにか不吉なものでもあるかのように決めつけたりせずに、ぼくが一人の人間であることにさっさと気づいてほしいものだ。ぼくはこのままの自分を受け入れているし、大切にしている。だからぼくは、自閉者を名乗る。
Copyright (c) 1999 Jim Sinclair
(訳 リンコ ニキ)

原文へ→http://members.xoom.com/JimSinclair/person_first.htm

館長自身はアスペルガーなのに、なぜ「自閉」という用語を使うのか
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