勉強しない人は、勉強する人との差を気にしません。「誰にでも一つぐらいは得意な分野がある」という訳です。そして、自分にも得意分野があると思っています。その分野は単に経験を積んだ分野ということなのですが、どれほど勉強した人であっても、特定の人の経験に合わせた土俵を想定すると、土俵に合う人にはなかなかかないません。勉強しない人はそれで安心してしまうのです。
そういう人たちの決まり文句があります。土俵を自分に合わせてくれない相手に対しては「仕事は理屈通りには行かない」、どうしても標準的な土俵に上がらなければならないときは「うちは特殊だから」。
そして、課題を与えられても、極めて呑気なものです。先にある課題が見えないからです。それらの課題を同僚か誰かが解決してくれれば、その重要性に気付くことなく、過ごしてしまいます。
勉強する人は、それなりに自信を持っています。専門家と話していても負けないはずだと思っています。一般論に会話が終始している間は、その自信は維持されます。ところが、実務での問題は極めて特殊な環境で起こります。ある特定の問題に話題が限定されると、その環境がなじみ深いものでない限り、当事者にはなかなかかなわないのです。そして、「まだ勉強が足りない」と痛感するのです。
何らかの課題に取り組んでいるときも、勉強している人はさまざまな問題を事前に察知することができます。課題が目前にあるので、さらに勉強に取り組むように意識が方向付けられます。
もしもあなたが勉強不足を自覚し、実際に勉強をしているとしたら、あなたは「勉強する人」です。まだ足りないと思っていても、おそらくそうです。そして、その意欲を持ち続ける限り、能力を向上させていくことができるでしょう。
あなたが、自分は結構勉強していると自負しているなら、交流を広げてみるべきです。いろいろな人と話をし、悩みを相談し合うぐらいになると、自分の知識がどれほど有効なのか分かってきます。一つや二つの悩みを解決してあげたからといって、過信は禁物です。
あなたのまわりに「もっと勉強した方がよい」と思えるような人がいるかもしれません。でも、他人が勉強をしているかどうかは分からないものです。たとえば、オーナー経営者の中には、趣味のようにいろいろ勉強している人がいます。本人は勉強している意識はないかもしれません。あるいは、ときどきえらく博学の人がいます。話題が豊富で、ずいぶん勉強しているように見えますが、雑学博士に過ぎない場合もあります。知識が体系的でないために応用が利かないのです。