レポート:地球環境に対する責務

地球環境に対する責務

1997年11月2日


 このホームページで、初めて「環境問題」を取り上げる。この問題は、自社工場周辺の住民に対する配慮を行うようなとらえ方から、地球環境の問題へと切り口が変化している。ある意味では「究極の企業倫理問題」と言えるだろう。


環境問題の現状

 最初に、現状認識をあわせるために、「環境白書」(平成9年版)を参考にして、私の問題のとらえ方を概観しよう。

  1. 有害な化学物質による環境汚染
     環境問題の最も古い切り口だと思われる。PCBやダイオキシンなどが代表的な化学物質である
  2. 都市生活型公害や廃棄物処理の問題
     産業廃棄物だけでなく一般廃棄物も問題になっている。加害者は企業・事業者だけでなく、一般住民も含まれるようになった
  3. 自然環境の荒廃と生物多様性の喪失
     自然保護の観点からのとらえ方である。自然保護と経済のどちらを優先するのかという議論になっていた
  4. 地球温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨などの地球環境問題
     人類を含むすべての生物の生存基盤として地球環境をとらえ、そのバランスの崩壊を懸念している
 このように、問題のとらえ方は変化している。旧来のとらえ方は、問題自体は認識しながら、経済との優先順・トレードオフの問題として検討されていたように思う。ところが、「地球環境問題」はそうではなく、問題だととらえるかどうかにかかっており、問題だと認識すれば、トレードオフなどと言っていられない性質の問題なのである。

環境のコスト 〜まずはビジネスライクに〜

 最初に、ビジネスライクに「環境のコスト」を考えてみる。つまり、廃棄物や二酸化炭素の排出を押さえるとしたらかかるであろうコストである。その全体をここで議論するには膨大なデータが必要になるので、ここでは塩化ビニルをモデルにして、コストのおおまかな分析を試みる。

 コストの構成要素を以下のように分類した。青色の部分が購入としようという形で目に見えるコストである。これはおそらく、非常に安いのであろう。
 ところが、廃棄するためのコストが現在も多くかかっている。これは、素材ごとに分類できないために認識されていないが、結構な金額になるはずである。しかも、現時点では庭で燃やしてしまう人もいるし、必ずしも十分に「廃棄」が遂行されているとは言えない。また、健康回復や不安除去なども不十分である。それでも、この部分はある意味では「金で解決できる」と言える可能性がある。
 問題は赤の部分である。これは、金をかけても回復はできない。単純に「地球」を蝕んでいくだけのコストである。
 さて、金額は算出していないが、はたして塩化ビニルは安いだろうか。
購入コスト製造コスト
流通コスト
販売コスト
使用コスト
廃棄コスト保管コスト
回収コスト
焼却コスト
埋立コスト
健康回復コスト
不安除去コスト
環境負荷コスト温暖化ロス
有害ガス放出ロス

究極の倫理=地球のために

 「それは確かに正論なのだが・・・」のなかで、「『倫理』というのは、多くの人の幸福を考えて行動することだ」と述べた。そういう意味では、地球環境の問題を意識して経営すると言うことは、究極の倫理経営を目指すことと考えられる。直接の自社の利害関係者ではなく、また、ずっと未来の人類のことをも考える訳だ。

 そこで問題になるのが、経済的目的で組織された「企業」が倫理的であることが可能なのかという疑問である。企業である以上、利益を追求することは最優先課題の一つだといえる。利益を二の次にして、地球環境のことなど考えていることができるのだろうか。

 私は、それは十分に可能だと信じる。というよりも、そもそもビジネスというのは倫理的であるはずだと思っているのである。

ビジネスの発祥における倫理

 たとえば、15世紀頃の通商を想像してみよう。そこでは、商人がある地域で余剰になっている物資を仕入れ、ほかの地域へ持って行って、販売する。仕入れた地域では生産者に感謝され、販売した地域では消費者に感謝される。商人自身も潤う。すべての利害関係者がハッピーになる。
 これがもし、仕入れるのではなく略奪するのであれば、もはやビジネスとは言えず、盗賊ということになる。盗賊が長期的に成功すると言うことはめったになく、大半がほかの盗賊との戦いに敗れるのだ。

 あるいは、19世紀の農場経営を考えてみよう。農民は農地から継続的に収穫を得るために、何年かに1年は土地を休ませていたという。連続して生産を繰り返していては、土地はやせ細るばかりだからだ。未来の後継者に対する心遣いがそこにはある。
 これがもし、土地がやせてきたら隣の土地を奪うという方法をとると、もはやビジネスとはいえない。そのような農民はやがてほかの農民から土地を奪われて滅びることになる。

 このように、本来のビジネスの基本は、継続して利益をあげるために、倫理的にならざるを得ない。そうならないケースがあるとすれば、終わりを有限と仮定して、それまでよければいいという利己的な経営をするときだけであろう。


魚谷幸一 http://homepage3.nifty.com/uotani/
Last update 1997-11-2