レポート:それは確かに正論なのだが・・・

それは確かに正論なのだが・・・

1997年10月25日


「それは確かに正論なのだが・・・」

 このホームページで展開している私の「マネジメントはこうあるべし」という主張に対して、こんな感想をお持ちになった経営者の方が居られるかと思います。なぜ、正論であるのにそれができないのでしょうか。その理由は二つ考えられます。

  1. 限られた時間と資源で対応するには優先順位をつけて重要なものから実行するしかない。したがって、重要でない事項を省略した。
  2. 諸般の事情で割愛した。さまざまな制約条件でそれを行うことが許されていない。
 一番目は、本当にそのような意思決定があったのなら問題ありません。問題は二番目の方です。というのは、「諸般の事情」とは、経営者であるあなた自身の事情であり、「さまざまな制約条件」はあなた自身が設定したあなたのための制約条件だからです。

会社は公器

 ある取締役が、総会屋に対する利益供与を行い、株主代表訴訟で訴えられた。彼は言った。「すべて会社のために行ったこと。」

 医者は患者のために働き、弁護士は依頼人のために働きます。取締役が会社のために働くというなら、会社とは誰なのでしょうか。

 「会社は公器」と言われます。その意味は何でしょうか。会社の利害関係者(ステイクホルダ)は株主、顧客、供給者、従業員、地域社会(地域住民)など、さまざまです。ですから、もし「会社のため」というなら、これらの利害関係者全員のためでなければなりません。普通はそういう判断をしないで「会社のため」と言っているケースが多いのが現状です。あなたの場合はいかがでしょうか。

 それでは、「会社のため」と言っているケースの多くは、実際は誰のためなのか考えてみましょう。

 そして、さらにいえば、社長の自分に対する評価のためであったり、業界団体での自分の地位のためであったりするのです。つまり、多くの場合の「会社のため」は、本当は「自分のため」に他ならないのです。それなりの理由はあるのでしょうが、「自分のために」会社での地位を利用して、たとえば会社の資産を流用してしまうとか、法律に違反するような活動を推進あるいは容認するというような行為が、株主代表訴訟で訴えられているのです。

 単純に言えば、取締役の言う「会社のため」は、利己的で責任逃れのためのまやかしの表現にすぎません。ましてそれが部下の違法行為を指示したとすれば、無責任も甚だしいと言えるでしょう。

「倫理」とは

 次に、「倫理」の意味を考えてみます。「倫理」の反対は、自分の幸せだけを考えて行動することです。人をだまして利益を得たり、人に利益を理由もなく横取りしたりすることが、「倫理」に外れた行動です。

 このことから、「倫理」というのは、多くの人の幸福を考えて行動することだと言えそうです。この定義はわかりやすいかと思います。すでに書いたように、会社は多くの利害関係者(株主、顧客、供給会社、従業員、地域社会、地方公共団体など)と関わり合っています。その多くに配慮した経営を行うことを「倫理に基づく経営」といいます。

 倫理に基づく経営を行っていても、失敗は当然あります。でも、反社会的な行動に対する制裁をうけるのと、正々堂々と失敗の責任をとることのいずれかを、経営者は覚悟していなければなりません。反社会的な行動は見つからないかもしれません。しかし、正々堂々と公正な経営を行うことを、株主も顧客も従業員も、あらゆるステイクホルダが望んでいるのです。

 「倫理に基づく経営」を「甘い」と考える経営者の方も居られるかと思います。「世の中はそれほど甘くない」と。
 でも、「甘い」のは、反社会的な行動を隠し通せると考えること、自分の保身のために権力を濫用することの方です。責任と勇気を持って行う公正な経営は、決して甘いものではありません。

どうしたらできるか「倫理に基づく経営」

 企業の行動が倫理に基づいているかどうかは、従業員すべての行動で測ることになります。従業員は、上司の指示に従い、先輩の行動をまねて行動します。つまり、倫理に基づく企業行動が実現できるか否かは、経営トップや経営幹部にかかっています。

 具体的な方法は別のレポートで述べる予定ですが、あらゆる行動の目的を考えることが需要です。誰のための行動・施策なのかを明確にしましょう。「会社のため」ではなく、「顧客のため」「従業員のため」「地域住民のため」と、明確に対象を考えましょう。それが倫理的に行動することの前提条件です。


魚谷幸一 http://homepage3.nifty.com/uotani/
Last update 1997-10-25