レポート:「責任を負う」とは

「責任を負う」とは

1997年8月10日


「責任」のあいまいさ

 「責任」を手元の広辞苑で引くと、「人が引き受けてなすべき任務」となっている。私はこれを定義とすることには反対だ。マネジメントの観点からは、Aさんが引き受けるべき任務をAさんが引き受けたということだけで「責任を果たした」とは言いたくない。

 では、Aさんが、引き受けた仕事をうまくやり遂げたらどうだろうか。これは、「責任を果たした」という感覚に近いものがある。でも、「うまくやり遂げること」が責任を果たすことかというと、これも違うように思う。たとえば、失敗しそうになったのだが、運良くうまく行ったというときに、「責任を果たした」と言うだろうか。あるいは、不可抗力の問題によって、当初の期待に満たなかったとしたら、「責任を果たせなかった」と言うだろうか。
 そもそも、結果が分かる前に、「責任を負って仕事をしている」と言えたり言えなかったりする。「責任」という言葉は、「引き受けた」という現在の行動によっても、「うまくやり遂げた」という結果によっても、説明することができそうにない。

 もうひとつ、「責任をとる」という言葉がある。仕事の失敗の責任をとって、会社を辞めたり、中には命を絶つ人もいる。

 さて、「責任」という言葉の曖昧さに気づかれただろうか。これがこのレポートのテーマだ。

「責任」は未来指向の言葉だ

 私の考える「責任」は未来指向の言葉である。次のようなものだ。

 「責任」とは、現状より未来をより良くすることを、ある程度客観的な基準をもって期待されている状態である。

 「責任」に関連する言葉は、これによりうまく整理できる。

 「責任を果たす」とは、過去において期待された現状を実現していることである。ただし、その過程で起こったさまざまな障害や援助・幸運を考慮して評価されることが多い。

 「責任を負う」とは、現状より良い未来を実現することを、着実に、継続的に実現しつつあることである。

 「責任をとる」とは、過去において期待された現状を実現できなかったことにより、何らかの罰を受けることである。

「責任」と「判断」

 経営者の「責任」を語るときに、「判断」または「意思決定」と関連づけることが多い。しかし、一つ重要なのは、「判断」だけでは責任を負っていることにならないということだ。経営者の中には、「決定をする責任は自分にあるが、それを実現するのは別の人の責任であり、失敗の責任は自分にはない」という態度をとる人がいるが、それは間違いなく「無責任」な態度である。

 判断するとき、その人間が責任を負う覚悟があるなら、判断の後の行動に対して、何らかの貢献を約束しているのである。自ら参画したり、貢献できそうな人的資源を手当したり、予想される障害をあらかじめ取り除いたりすることを約束しているのである。

「責任」の条件

 最後に、自らが責任を負うための、自分に課せられた条件を整理してみよう。

  1. その事項の「未来」に貢献できる能力が備わっていること
    (または能力を持つ人の協力を獲得でき、自分がそれを活用できること)
  2. 周囲によりよい未来を期待させるだけの実力(実績や評判など)があること
  3. 未来に対する「約束」を信じてもらえるだけの信頼を獲得していること
  4. 自らが責任を負えるだけの範囲と量であること(つまり、重要な項目を選ぶ必要がある)

 「責任をとって会社を辞める」という行動は、未来指向ではないように見える。たしかに、本人にとっては、どう見ても未来指向ではない。しかし、会社にとっては、残った人々がより真摯に業務に取り組むようになるかもしれない。つまり、怠慢や故意、または重大な過失により失敗したときに、「責任をとって会社を辞める」という選択があり得るのだ。

 でも、一方では「失敗したら会社を辞めなければならない」という雰囲気は挑戦的な取り組みにブレーキをかける。「責任をとって会社を辞める」という選択は、十分に考えてからにしましょう。


魚谷幸一 http://homepage3.nifty.com/uotani/
Last update 1997-8-10