魚谷幸一の自己紹介

自己紹介: 魚谷 幸一

 2005年7月10日改訂
 1958年4月26日、長崎県佐世保市に生まれる。10歳までは舞鶴、横須賀、呉などを転々と移り住んだが、1968年から横浜で育った。現在は千葉県北西部に住んでいるが、生まれてからの引っ越し回数は実に15回を誇る。(ホコルナ、コンナモノ)

 1981年、大学を卒業して就職したのがI重工業。兵庫県相生市の造船所で3ヶ月間の現場研修後、東京丸の内の本社で船舶の機関室の基本設計に携わる。しばらくは先輩の手伝いだったが、初めて担当したのが日本を代表するタンカー・I丸(有名なのは1966年製で、私の担当ではない)。ところで、I丸設計中に船主が記録フィルムを撮っていたのだが、それがNHKのプロジェクトXに使われた。話題は1966年製のほうなのだが、1980年代の次世代のときのフィルムが使われたのだ。しかも、私が映ったタイミングは、ハイテンという高強度の鉄板を使おうと提案した人であるかのようなおいしい役だった。話を戻して・・・。
 その後、C・ビーナス、C・ギャラクシーという、フルネームで聞くと宇宙船のような名前のタンカーも手がけた。いずれもいわゆるVLCC(20万トン以上)。
 ちょうど省エネルギー技術の開発が盛んだった頃で、エンジンの廃熱利用や超高効率のターボチャージャー、エンジンの超低速化(たとえば60rpmとか)が進んでいた。そういうちょっと面白い時代でした。
 そうそう。このころにパソコンがビジネスに使われはじめた。NECのPC9801やOKIのif-800(だったかな)が職場に入ってきた。SORDのパソコンを5台ぐらい回線でつないで、そのうち1台にハードディスクをつけて(これがDBサーバー)、PIPSという表計算ソフトでデータベースを作り、他の4台(これらがクライアント)からデータの要求を出すと、DBサーバーが該当するデータを返して来るという仕組み(つまり、クライアント・サーバーシステム)を、Basicのプログラムで実現。
 そして、やがてプラザ合意後の超円高で造船産業は大打撃を受け、その混乱の中、1987年に転職。

 次の仕事は、K化学会社の情報システム部門。システム再構築をめざし、プロジェクトが立ち上がったところに入社。開発要員として入り、資材・工事購買システムを担当。入社前は技術屋で、事務的なことが全然分からず、にわか仕込みで簿記を勉強。それを含めて、次のようなシステムの開発を担当。1996年春頃以降はマネジメントが中心になり、直接に開発に携わることはなくなった。

  • 資材・工事購買システム 1989
  • 管理会計システム(原価管理と収益管理) 1990
  • 加工会社との出荷、生産、運賃のオンライン化 1991
  • 輸出入事務合理化 1991
  • 販売予算管理 1992
  • 塩ビの電子的受発注 1992
  • 関係会社の原料購買業務の合理化 1993
  • 製品・需要家別の販売予算管理 1993
  • 経費予算編成 1995
  • 計量所無人化 1996

 中小企業診断士(情報部門)として1994年に登録され、それ以来「経営コンサルタント」を自称しているが、まだサラリーマンとの二足の草鞋状態。

 2000年春から2年間でK化学会社にERPパッケージ(SAP R/3)を導入した。全社の最適化、経営レベルの視点、広範な実務の知識など、中小企業診断士にぴったりの仕事だった。また、2003年から2年間で、ERPを国内連結対象関係会社25社に展開導入した。現在は、さらに業務と経営をレベルアップしようと活動中。

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書籍・雑誌
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書籍・雑誌
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魚谷幸一 http://homepage3.nifty.com/uotani/
更新履歴 2000-6-11 部分改訂/2000-2-11 部分改訂/2002-11-16 部分改訂/2005-7-10 部分改訂