ピングー

 R太はピングーが大好きです。

 全十巻あるピングーのビデオを、いつも慎重に吟味してから、鑑賞する巻を選びます。どの巻にどのエピソードが入っているか、ほとんど暗記してしまっているらしく、望みのものと違うビデオを見せると、カンシャクを起こします。

 ビデオテープのケースもR太の偏愛の対象です。ビデオを見ながら、あるいは見る前に、ケースをしっかり手にもって、印刷されている字や写真を熱心に、詳細に眺めたりします。その姿はまるで骨董を鑑定する人のようです。

 ピングーというのは、今から二十年以上も前にスイスで生まれた、粘土アニメのキャラクターです。南極に住むペンギンの少年という設定ですが、暮らしぶりは人間の小学生にそっくりです。大好きなパパとママにたっぷり愛され、叱られ、妹や友人たちとケンカしたり遊んだり、冒険したり、学校に行ったり、お手伝いをサボッたり、ワガママやイジワルをしたり、ちょっぴり恋をしたり、嫉妬したり、スネて家出してみたり・・・・多くの大人の記憶のなかにありそうな子供時代の一場面を、たった五分のアニメのなかで、生き生きと演じてみせてくれる、いじらしいアイドルです。

 ピングーのビデオをそろえはじめたのは、B子が一歳を過ぎたころだったと思います。毎日のようにビデオを見て、ピングーの立ち居振る舞いやセリフをすっかり覚えこんでしまったB子が、何かというとピングーのマネをして騒いだりスネたりするので、親としては結構ピングーに対してムカついた覚えもあります。言い換えれば、当時のB子のような反抗期の幼児にとって、ピングーは、すんなりと感情移入しやすい、心理的に極めて身近な存在だったということでしょう。

 B子が一歳半のときにR太が生まれていますから、R太は、生まれたときからピングーを知っていたことになります。けれどもB子と違って、一歳を過ぎても、ピングーのまねをするようなことはありませんでした。好きかどうかは分からないけれど、B子がビデオを見ていれば、とりあえず一緒に見る、という感じだったと思います。

 そんな具合でしたから、R太のピングーへの熱烈な偏愛がいつからはじまったのか、正確にはわかりません。

 R太が二歳を過ぎた頃、タオル地でできたピングーのぬいぐるみを、R太に買ってやりました。するとR太は、にっこりしてピングーを抱き上げ、羽のところを持ってパタパタさせて遊んだり、顔をじーっとのぞきこんだりしていました。

 B子が生まれて以来、我が家は膨大な数の人形やぬいぐるみであふれかえっているのですが、二歳当時のR太は、そうしたものには全く関心を持たず、さわろうともしない子供でした。ところが、親の顔すらろくすっぽ見ようとしないR太が、ピングーのぬいぐるみだけには、そういう情緒的な反応を示したのです。家族にとって、これは大きな驚きでした。

 自閉症のためにコミュニケーションスキルに乏しく、言葉で気持ちを伝えることの全くなかったR太の内面で、ピングーが特別な位置を占めつつあるということが分かった時、私はちょっと複雑な気持ちになりました。ピングーの話す言葉は、万国共通ビングー語というもので、日本語ではありません。ピングーのビデオを何千回見ても、日本語の学習には直接つながりません。

 そこで、日本語を話すキャラクターの出てくるアニメビデオを買ってみたりしましたが、R太は全く受け付けませんでした。ほとんどのアニメは、色彩が豊かすぎるため、強い視覚刺激を嫌うR太の好みには合わないのです。その点、南極のペンギンのビデオは地味な白黒が基調ですから、神経に障ることなく受容することができるのです。

 それならばと思って、ピングーのビデオを見ているR太の横に座って、場面解説をしたりナレーションを入れてみたりしたのですが、うるさがられたり無視されたりで、評判がよろしくありませんでした。過重な刺激を嫌うのは視覚だけでなく聴覚も同じで、R太としては、せっかくビデオに集中しているときに、脇でワイワイ言われるのはイヤだったのでしょう。

 ともあれ、R太の内面の発達を知る手がかりとして、ピングーはとても貴重な存在でした。それでつい、お店でピングーのグッズやぬいぐるみを見かけると、手当たりしだい買って帰ってしまう習慣が身についてしまいました。ピングーを集めたってR太が成長するわけではないと分かっていても、つい願掛けをするような気持ちで、買い集めてしまうのです。ぬいぐるみ、フィギュア、ピングーハウス、ピングー食器、ピングー文具、ピングーのバスタオル、電動ピングー、キーホルダー、鏡や櫛、玩食のおまけ、知育玩具、教材類、ハンドソープ・・・・・

 今我が家に何匹のピングーが存在しているのか、誰も知りませんし、知りたくもありません。しかし、買い集めたご利益は、もしかしたらあったかもしれません。

 五歳を過ぎたある日、ピングーのビデオを見ていたR太が、突然、

「ごちそーさま!」

 と言いました。驚いてふりかえると、ビデオはちょうど、ピングー一家が食事を終えたシーンでした。このとき初めて、R太が、ビデオのストーリーをある程度くみとっていることがはっきり分かりました。膨大な時間をピングービデオの視聴に費やしてきたR太が、ピングー語を一切まねずに、いきなり日本語に「翻訳」してみせたことも、驚きでした。R太のなかのピングーは、R太といっしょに、日本語をしゃべる子供として成長していたのでした。



2003.10.16











   
 このページのBGMは、「クロノ・クロス」というプレイステーションのゲームのオープニングで流れる曲です。

 ピングーとは全然関係ないんですけど、R太が好きな曲なので選んでみました。

 「クロノ・クロス」の主人公は、海辺の小さな村で平和に暮らす、ごく普通の少年でしたが、ある日突然、パラレルワールドに飛ばされてしまいます。その世界は、主人公の暮らしていたところそっくりでありながら、微妙な点でいろいろと違っていました。主人公が母親と二人で住んでいた家には別人が暮らし、村人たちは主人公を余所者として排斥します。そして村の近くの岬にには、主人公の墓が立っていました。
 
 主人公は、自分の存在しないパラレルワールドに放り込まれることで、世界の仕組みの真実に気づき、多くの仲間にも恵まれて、本来あるべからざるいびつな構造を生み出している元凶と戦う道を選びます。主人公をR太の名前にして何度もクリアした、愛着のあるソフトです。



  

BGM「クロノ・クロス 時の傷跡」は、海月堂さんのサイトからお借りしています。