みんなが知っている動物 「うさぎ」。
でも、うさぎにはみんなが知らないおもしろくて不思議なことがいっぱいあります。
このページでは、そんなうさぎの「おもしろ話」を紹介していきたいと思います。

 うさぎの大流行 その1 更紗うさぎ                        2004.9.7

『ウサギの日本文化史』という本の中に、明治初期にウサギの飼育が大流行したと書かれています。
その出典となっている『風俗画報』という当時の雑誌の記事がとても興味深いので、現代文風に書き換えて
紹介させてもらいます。

 
  明治五年の春、外国種の耳の長い兎を飼育している人がいた。
 一目で在来種とは違うので、珍しいもの好きな人たちが欲しがり、それが兎飼育の流行の始まりとなった。
 外国種の兎は簡単には入手できなかったのだが、東京小石川に住む赤井さんは、早くから外国種の兎を飼って繁殖しており、譲り受けたいという人が続々とあらわれた。



更紗うさぎ
(画像をクリックして下さい)
 
 純粋種だけではなかなか繁殖できないので、在来種と外国種を交配して雑種を繁殖しようとしたところ、白兎の腰のあたりに黒い斑紋のある更紗模様のものができた。
 これは在来種にはないというので大喝采を受け、「兎は更紗模様に限る」とまで言われ珍重された。更紗の血統のものは値段が高騰し、種付け用の更紗毛色の雄兎は、二百円から六百円という驚くような値段がついた。

 良い雄にかかれば良種の兎が得られるだろうと、雌兎を持ってきて種付けしてほしいという人が日に何人もいた。種付料は一回二、三円で、良い雄を飼っている家は予想外の収入があった。

 明治五年の秋から冬にかけては雑種もどんどん増え、飼う人も倍増し、六年の春には外国種の舶来も入ってきて、兎の売買は日一日と頻繁になり、その値段は倍々に上がって、これまでにないような景況となった。
  
 子兎は「コロ」と呼ばれ、資金が乏しい人は「コロ」を買って、成長させて売るといくらかの利益があった。大変高価なときは、「コロ」一匹の値段も十円から数十円になったという。
 売買の斡旋や仲買をする人たちもおり、三、四ヶ月で数百円儲ける人も珍しくなく、その影響で料理店や待合、芸娼妓なども潤った。
 
 明治六年の春からは流行がピークとなり、兎もたくさん増えたので市中に兎市場ができた。
 市場の場所は待合、茶屋、料理屋、寄席などで、「今日はこの茶屋、明日はあそこの待合」と、朝から人々が集まってきてさかんに売買していた。

 そのころはいろいろな毛色の種類のものができたが、「三毛の兎はまだないが、もしできたら価千金」と言われていた。
 東京の飼鳥商の川角彦兵衛は大変商売上手で、早くから兎を飼い、さかんに売買して儲けていたのだが、待望の三毛兎を産生することができた。これはめずらしいと見に来るものが後を絶たなかった

 川角はその三毛兎を大変大事に育てていたが、水道橋に住む御園某が、譲って欲しいと大金を持ってやってきた。川角は思いがけない収益に喜んで、町の貧しいものたちに少しずつお金を分け与え、親族や知人を招いて宴会を開き、踊り歌い、酒を飲んで祝った。商人としては感心だと評判がよかった


 その後「メリケン」種といわれる大きな兎が輸入された。
 当時「更紗」は数が多くなったので喜ばれず、新種の「メリケン」が歓迎され一時流行した。

  ( 動植物 兎の話 「風俗画報」310号 M38.2.10 在三河安城 久永章武)

 明治5年当時珍重された「更紗」とよばれたうさぎは、200-600円もしたとか。
 当時の貨幣価値を調べるため、関東農政局静岡農政事務所のサイトにある「400年の米価」のページを
参考にすると、明治5年の東京標準米10kgの価格は0.26円、平成13年の価格が3589円となっています。 
単純にお米の値段の比率で計算すると、更紗うさぎは1匹300万から800万円、子兎の「コロ」でも
10万円以上ということになります。

 当時の錦絵には兎の図などが多く描かれ、兎番付なども作られて、うさぎ飼育は大変な熱狂振りだった
ことがうかがえますが、この大人気は意外な結末を迎えることになるのです。  (後編につづく)


 赤い目のうさぎ                                    2004.4.4
画用紙とクレヨンのセットを渡されて「うさぎの絵を描いてみてください」と言われたらどんな絵を描きますか? 
耳が長くて、体毛は白、目は真っ赤。
日本の絵本やイラストに登場するうさぎさんはほとんどがそのように描かれています。
ところが、ピーターラビットや、バックスバニーは、体は茶色やグレー、目は黒です。

実は白い毛で赤い目のうさぎは、日本で品種改良された「日本白色種」というカイウサギの一種で、
野生のウサギでは、赤い目をもつ種類はいません。
野生種では、白い毛も冬に雪が積もる地域に生息するウサギの冬毛だけにしかみられません。
カイウサギというのは野生のアナウサギを家畜化したもので、日本には16世紀頃オランダからきたとされています。

白毛に赤い目のウサギは、突然変異で生じた色素のないアルビノ(白子)で、色素がないため毛は白く、眼球は透明になり、その奥にある欠陥を流れる赤血球のせいで、目が赤く見えるのです。
「日本白色種」はこのアルビノを品種として固定させたものなのです。

日本では明治以降、軍服に使う毛皮として雪中でめだたない白い毛が要求され、肉は軍需用の缶詰とするために、安価で繁殖力のあるカイウサギの飼育が奨励されたそうです。

「いなばのしろうさぎ」や「鳥獣戯画」に登場する白いうさぎは、ノウサギの冬毛が白色化したものだと言われています。その場合は毛は白くても目は黒か褐色です。
日本のノウサギについては、おもしろ話がいっぱいあるので、またあらためて紹介したいと思います。


参考資料 『ウサギがはねてきた道』(p13-15「ウサギのイメージ」)川道武男著 1994 紀伊国屋書店

 ウサギは何羽?                                    2004.3.30
日本ではウサギは鳥のように一羽、二羽と、数えられます。
その起源について『ウサギの日本文化史』(赤田光男著)では次のように記されています。

 「徳川将軍家の正月三箇日のお節料理に、「兎の羹(かん)」すなわちウサギの 澄汁(すましじる)が出され、
 四足類の肉の禁食を打ち出した幕府の政策に反するものとなったが、そこを巧妙にくぐり抜けるために、
 ウサギを鳥類と見なし、一羽、二羽と数えさせる風も 生じたといわれるが、実は長い耳のウサギが跳躍する
 状況から、これを小動物と鳥との中間的生き物として見なす風もあったらしい。」 (p72)


また『百分の一科事典 ウサギ』(スタジオニッポニカ編)によると
 「『兎羹(とこう)』(羹[あつもの]は具だくさんの汁)は、
 中国より伝わる歴史的な食べ物」(p287)
なんだそうです。

日本の山村では、貴重なたんぱく源として野ウサギを狩猟し、食用とするというのは知っていたので、この本を読むまでは「幕府の禁止令から逃れるための庶民の知恵」が起源かと思っていました。

いくつかの説があって、これが決定的というわけではないようですが、将軍様のごちそうとして登場するためだったとは・・・・

肉食禁止の令を出しておいて、自分たちはごまかして食べていたなんて、いつの時代も権力者のすることは身勝手なもんですね。

というわけではるき堂では、おおだんなが「うさぎを○羽と数えること禁止令」を出しました。


 アマミノクロウサギ 子育て編                            2004.3.22
アマミノクロウサギは日本の奄美大島と徳之島だけに生息するウサギです。
太古のウサギの姿をそのまま残し「生きた化石」とも言われ、特別天然記念物に指定されています。
アマミノクロウサギについては、たくさんの「おもしろ学」があるのですが、今日はその子育てについて紹介したいと思います。

昨年、NHKの「地球ふしぎ大自然」という番組で、アマミノクロウサギの子育ての様子が放映されました。
このウサギは夜行性で、原生林に棲んでいるので、このような映像が撮影されたのは初めてだそうです。
この放送をみる前に、奄美大島在住のカメラマン浜田太さんの写真集「時を超えて生きる」で、この子育ての写真を見ました。それはとても感動的で、野生のウサギの力強さとたくましさ、優しさを感じさせてくれました。

アマミノクロウサギは岩や土の穴を巣にしてくらしています。
けれど、生活している巣穴とは別の巣穴で出産し、出産後は子ウサギをその巣穴に残し、母ウサギは穴の入り口を土で埋め、トントンと踏み固めてしまいます。

母ウサギは2日に一度、「ピューイ」という鳴き声を上げながら赤ん坊のいる巣穴にやってきて、巣穴の入り口の土を掘り起こします。すると中から赤ん坊ウサギが出てきて母ウサギのお乳に吸い付きます。
授乳時間は約5分。母ウサギはすぐに子供から離れ、子供は穴の中の巣へ戻ります。
母ウサギは子ウサギの巣穴に土をかぶせ、元通りになるようにトントンと踏み固めます。
約1ヶ月間、母ウサギは子ウサギの巣穴にやってきて、授乳後は穴をふさぐのです。

暗い穴の中でじっと母ウサギを待っている子ウサギ。なんだかとってもかわいそうになってしまいますが、
それが長い歴史を生き抜いてきたアマミノクロウサギの子育て方法なのです。


 参考資料 「時を超えて生きる」浜田太著 1999 小学館
        「週刊日本の天然記念物 03 アマミノクロウサギ」 2002 小学館
 浜田さんのサイト「Horizon」でも子育ての写真が公開されていますのでぜひごらんください



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