チャイコフスキー、ちょっと珍しいDISC紹介 交響曲編


交響曲第二番 ハ短調作品17 「小ロシア」(原典版)

ジェフリー・サイモン指揮 ロンドンSo
    英Chandos  CHAN8304  (写真左)

現在でも、輸入盤を扱う大型店舗でフツウに見かけます。
(私は、15年ほど前秋葉原の石○電気で入手。)
この曲の  「原典版」  による世界初録音!
を謳っているDISC。ていうか唯一かも(笑)。

これは、当コーナーで紹介する演奏の中で、最も衝撃的な内容。
特に、第1楽章のソナタ主題が違う為、お馴染みの序奏から、その先が全く違う音楽となっています。
現在一般的な第二稿(1881年出版)では、序奏として現れるロシア民謡「母なるヴォルガを下りて」が第2主題として用いられているのですが、当CDの第1稿では第1主題として用いられているのです(!)。
第4楽章も、「あれ?」と思わせる派手な脱線が多いです。

オススメ度高し!

<現行盤情報>
写真左のCDは現在廃盤となっておりました。
でも、同じ録音のCDが同じCHANDOS社から再販されていました。
           (CHAN10041  写真右)

以前紹介したG・サイモン指揮ロンドンSOによる
 「チャイコフスキー管弦楽曲集」から
1 N・ルビンシュタインの命名日のためのセレナーデ
2 歌劇「マゼッパ」からの2曲
3 ロメオとジュリエット原典版
         の三曲がプラスされております。
ジャケットの絵がとてもカワイイのと、満津岡信育氏による大変興味深い日本語解説文を読んで、持ってる音源にも拘らず即購入してしまいました。
写真じゃ分かりにくいけどホントいい感じなジャケです。
 



交響曲第四番 ヘ短調作品36(オリジナル楽器による演奏)

ヨス・ファン・インマゼール指揮 アニマ・エテルナ
    仏Casse-Noisette  ZZT 030102
    ( 国内盤キングKKCC 4362 )

つい最近(2003.7/6現在)国内盤がリリースされた話題の1枚。
チャイコフスキーの同曲を、今日的な近代楽器による大編成オーケストラではなく、当時の楽器、奏法、編成で演奏しようと試みた録音。
オーケストラの総人数は、かなり少なく58名で、そのうち弦楽器は、5部全てで32人だそうです!
当然の事ながら弦楽器より管、打楽器が前に出る形となり、かなり異質な響きです。例えは悪いが、ステレオ録音初期の、管楽器がやけにオンマイク(マイクと楽器が近い)な録音のようでもあります。
楽器の音色って、例えば同じ音量でも「フォルティッシモで鳴らした音」と
「メッゾピアノの音を電気的に増幅した音」とでは違ったりしますよね。
だから、当CDの演奏と同じ強弱バランスを大編成のオケで再現しようとすると、管楽器の音はもっと鋭くなると思うのですが。
是非、生演奏で聴いてみたいものです。

フォルティッシモで音がカタくなるのが嫌だ、といった方にはとりあえずオススメしておきます。
え?私ですか?私はロシア(ソヴィエト)のオーケストラが好きなんですよ…。
(超個人的感想。禁欲的なまでに控え目なテンポ取りをする交響曲4番より、併録の「くるみ割り人形」組曲の方が、私はスンナリ聴けました。)




マンフレッド交響曲 原典版(草稿)

エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
ロシア国立SO
国内盤PONY CANYON PCCL−00181
(写真@)

1992年来日時の録音。
「原典版」と銘打たれたこのDISCに収録されている演奏は、

1:第一楽章(及び終楽章)のラストに銅鑼が派手に打ち鳴らされる
2:終楽章中ほどに大幅なカットがある
3:同じく終楽章の、終結部が第一楽章のそれとそっくり挿げ替えられている

ことを除けば現行版との違いが確認できません。
(他に見つけられた方、THE・掲示板に情報提供お願いします)

当CDのライナーノーツには「クリンのチャイコフスキー博物館から発掘された草稿による演奏」と紹介されており、「原典版」の表記は恐らく誤りかと思われます。
しかし何れであるにせよ、この楽譜が作曲過程のどの辺で生まれたものなのかは、どうもはっきり推理できません(後述の考察参照)。

ちなみに指揮者スヴェトラーノフは、マンフレッドを1967年にも録音しており、そちらは「原典版」ではなく一般的な版による演奏を行ってます(写真ABC)。
写真Aはこのコーナーでもすっかりおなじみのスクリベンダム盤。今のところ「1967年の録音」はこのCDが一番入手しやすいのですが、一つだけ残念なことにこのCD、第二楽章の最後の最後、ヴァイオリンが「ツルルルリッ♪」て感じで上がっていく終わりの音が何故かカットされています。

「原典版」とスクリベンダム盤の二つでしかマンフレッドを聴いたことがないという方が誤解されないように一応付け加えておきますが、
これは同じテイクの録音による他のディスクではちゃんと入っています。
(一例として写真BC)
つまりこの終わりの音は演奏されていないわけではなく録音もされているので、「原典版」との差異とはカウントされません(笑)。

写真A
SCRIBENDUM SC−024    6枚組の6枚目

写真B
MELODIYA MEL CD10 00 199

写真C
eurodisc 76635KK(アナログディスク)

マンフレッド原典版:考察


ロシア五人組の指導者バラキレフが、チャイコフスキーに、バイロンの叙事詩「マンフレッド」を題材にした交響曲の作曲を提案した手紙を送ったのが1882年10月28日。
この手紙にはかなり詳細なプランが書かれており、終楽章ラストは「日の出とマーンフレッドの死」で締めくくられる、とあります。

この手紙の返事にチャイコフスキーは、あまり作曲に興味を示さなくも「高い音域での日の出やトロンボーンのピアニッシモによるマーンフレッドの死が、見られるでしょう」と書いています。
(トロンボーン案は現行版でも確かに生かされてますね)

それからバラキレフが、1882年に送ったのとは若干異なるプランを添えた手紙をチャイコフスキーに送ったのは1884年の10月30日。
この手紙の中でバラキレフは、「最終楽章のレクイエムのためにはオルガンを使うと良い」とアドヴァイスしています。

この時期にはチャイコフスキーもマンフレッドの作曲に興味を持ちはじめ、返事の手紙(1884年10月31日)に
「何があっても、あなたの希望を実現するためにあらゆる努力をします」
と、作曲を約束しています。

そして同年11月にはマンフレッドの原作本を買い、この叙事詩の舞台アルプスへと実際に旅しています(すごいですね!)

本格的な作曲は1885年の四月頃から始まったようです。
終楽章の「下書き」には7月31日の日付とともに完成がまだ遠い事を示す記述。

そして終楽章の「手稿」の最後のページに、この交響曲が1885年9月22日に完成したとサインされています。
・・・・・・・・・・

つまりチャイコフスキーの頭の中には、マンフレッド交響曲の作曲過程の、かなり最初の方で既に、フィナーレが静かなものとなるというイメージが浮かんでいたものと考えることが出来るわけです。
それがどの時期に一旦覆ってクリン原典版に聴かれるフィナーレとなり、また元に戻って現在の版の形になったかは、謎と言わざるを得ません。

※本文中の手紙の訳は

 「新チャイコフスキー考〜
            没後100年によせて」
         森田稔著 (NHK出版)

より引用。



余談ですが私(みんね・管理人)は1987年に、
来日したスヴェトラ−ノフ/ソヴィエト国立交響楽団
によるマンフレッド交響曲を聴きに行きました
(当時はまだ「ロシアではなく「ソヴィエト」だったんです)
   が、
その時の演奏は驚くなかれナント件の
「クリン原典版」
と同じ内容だったのです!当HPで紹介したCDの5年前の演奏です。

舞台はサントリーホール。
開演前の舞台上では二人のハープ奏者がくるみ割り人形の「アダージョ」を奏でている。
「アンコの曲ステージで合わせんなよな〜」
果たしてアンコールはアダージョでした(笑)
いや、話が脱線、この時点でホールのオルガン席に動きなし。
そしてコンサート開演。
前プロのラフマニノフが終わって、休憩時間が終わってもまだオルガンの席に奏者が座る気配が無く
「演奏中に突如、ワイヤーで吊られて煌びやかな衣装で登場するのかな〜」
などとありえない想像してたら遂に最後まで出ずじまい(笑!)

驚いた私は、後日雑誌の演奏会評を色々見漁りましたが、この事について述べられたものは一つも見つかりませんでした。
もちろんクリン原典版の由来なんて全く知らなかった当時の私は、何やら狐につままれたような気分でしたとさ♪



交響曲第六番 ロ短調作品74 「悲愴」(自筆譜による世界初録音)

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送SO
    国内版ビクター VICC−67

 終楽章のテンポ指示が、 
Adajio(ゆっくりと、ゆるやかに)ではなくAndante(歩くくらいの速さで)だったのでは?という研究をもとに演奏、録音されたCD。

 当時出版社に回された「悲愴」の自筆譜の、「アンダンテ」だった表示が「アダージョ」に訂正されていて、その筆跡が、チャイコフスキーのものではなく、彼の死後この曲を再演した指揮者ナプラーブニクのものであったと、近年の研究によって断定された。これが「終楽章アンダンテ説」の根拠となったのです。

 さて、このCD、パッケージされて店頭に並んでいる段階では、終楽章の演奏時間が(わざとなのかな?)オビの紙に隠されて見えないようになってたんですね!これはもう買うしかないじゃないですか(笑)。
 演奏時間は・・・あれ?DGのカラヤン/ベルリンPO盤(最後のヤツ)を愛聴していた私は拍子抜けしました。でも平均より明らかに速い感じです。

 むしろ感銘を受けたのは、自筆譜にないテンポの変更を大幅に削っていること。その結果かなりアッサリ味にしあがっていて、「チャイコフスキーの音楽が過剰にロマンチックだと言われている責任の8割がたは演奏者、聴衆にある」という自説を証明してくれたかのようで胸がスカッとしました。でも私は好きですよ、コッテリチャイコフスキー。

 余談ですが、当CD終楽章6分20秒あたりでバストロンボーンがデッカイ音で一拍フライングするのは、多分原典版の指示じゃないと思います(笑)。(キモチはよく分かるけど。)




交響曲第七番 変ホ長調

ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィアO
        米CBS MPK 46453
            (写真左 モノラル録音)

チャイコフスキーの、順番でいけば第六番となる筈だった交響曲は、作曲家自身が、空虚な作品として未完のまま破棄しました。その直後作曲されたのが本当の第六番「悲愴」です。
しかしこの破棄された交響曲の楽想は、単一楽章のピアノ協奏曲第3番(変ホ長調作品75)として再利用されたのです。

交響曲第七番というのは、ロシア(ソヴィエト)の音楽学者セミョン・ボガティリェフが1956年に完成させた編曲です。
 具体的内容は、
第1楽章に、前出のピアノ協奏曲第3番を用い、
チャイコフスキーの死後タネーエフ補筆により完成した未完の作品「ピアノと管弦楽の為のアンダンテとフィナーレ」作品79(これは、本来ピアノ協奏曲第3番の第2、3楽章になるはずだったもの)のアンダンテを第2楽章、フィナーレを第四楽章とし、
第3楽章に1893年つまりチャイコフスキー最後の年のピアノ作品「18の小品」作品72の10曲目「スケルツォ・ファンタジー」を配置して、それぞれをオーケストラアレンジしたものです。

 これを聴いてみると、チャイコフスキーがなぜこの曲を破棄したかが、よくわかるような気もします。
 とにかく全曲を通して、うそ寒い明るさに貫かれています。これを交響曲として作曲していた頃の彼が、交響曲第5番のフィナーレで勝ち取った勝利を信じて一生懸命明るく振舞おうとしている様が、痛々しくも伝わってくるかのようです。
 チャイコフスキー関係の文献によく現れる「晩年の失われた交響曲」がどんな感じのものだったかを感じる上では、とても意義のある試みだとは思いますが、完成した姿が、もしこの編曲の通りだったなら、これは紛れもなくチャイコフスキーの全交響曲中最も人気のない作品という宿命を背負い続けていたことでしょうね。

 と、ここまでクソミソに書きましたが(親友を殴りつけてるみたいで辛かった!)音楽それそのものはとても素晴らしいものです(ハチャメチャに明るい終楽章なんか特に)。
 ただ、(交響曲の形式としてどうのとかいう難しい理屈は私には分かりませんが)やや冗長な感じがするは否めず、個々の作品は、やはり本来のかたちで聴いた方が良いように思いました。てか冗長なのは私の文章か!(笑)

<DISC情報追記>
オーマンディ/フィラデルフィア管による当CDは、残念ながら現在廃盤のようです(と言っても、メジャーレーベルのリリースした有名どころによる珍曲の録音と言う性質上、再販は時間の問題でしょうが)。1962年の録音。
 でも、「交響曲第七番」それ自体のDISCは、これ以前にも後にもいくつか発売されているので、現在入手可能なものを見つけたら情報を載せたいと思っています。お待ち下さい。

追伸:あった!
 あの珍し好きのヤルヴィさんが、ロンドン・フィルと組んだ録音が出てます。

        ネーメ・ヤルヴィ指揮 ロンドンPO
                (英Chandos CHAN9130)

追記:ヤルヴィ盤入手!(写真右)
終楽章のテンポ取りなどオーケストラと指揮者のかみ合いがイマイチな感じですが、ロマンチックなヤルヴィ、きらびやかなロンドンフィル、クリアーな録音のシャンドスそれぞれの良いところは発揮できてる感じです。この曲を聴いた事がない方は、この盤で聴いてみるとよいでしょう。











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