途上国を旅していると、必ずいるのが詐欺師。最近は経験とトシの功ですぐに見抜けるが(逆においしいところだけ利用したりもする)、奴等の手口は感心するほど巧妙。中には街ぐるみでみんなグルだったりするから、お人好しの日本人はダマされて当然!?
1992年3月、2回目の中国旅行でのこと。「日産空調豪華大巴士(バス)」−なんてことはない、日本でとっくの昔に廃車になったであろうボロボロの観光バスである(けど、確かにこれはその旅で一番の「豪華大巴士」であった。)−で広州から桂林に到着。宿を捜しにかかると、「陳」を名乗る男が声をかけてきた。陳は日本語をしゃべる。なんでも来年、日本へ留学するという。中国で初めてコトバが通じた嬉しさと、好奇心から、いつのまにか陳と打ち解けていた。
桂林では1つだけ重要なことをしなければならなかった。西の都市、昆明までの列車の切符を買うことである。当時の中国は、情報網の悪さと、中国的いい加減さのため(?)、長距離列車の切符を買うことは困難極まりないことだった。ましてや、外国人だと、より困難なことであった。そのため、僕らは桂林で何日間か切符を入手するまで足止めをくらうことを覚悟していた。そんな状況のなか、陳が(コネを使って)切符を買ってくれるという。警察だったか、駅長だったか忘れたが、知り合いがいるというのだ。陳に案内されるまま駅に向かった。駅員としばしの押し問答の末、陳の力によって、「代用票」という形での切符を手に入れることができた。正規の切符ではないのだが、ちゃんと座席(寝台)指定番号が記されている。うーん、中国だ。
いとも簡単に切符を入手できた僕らは、陳がますます面白い存在に見えてきた。昼食を済ませたあと、陳が「著名な水墨画の先生の家へ連れていってあげる」と言い出した。僕らは興味津々だったので、喜んでついていった。こういう交流があるから自由旅行はいいんだ!とその時思っていた。先生の家は実に立派だった。玄関を入るなり「おお、すげー!!」と感動したのを覚えている。その先生、日本の小松市の水墨画なんたらかんたらの会長でもあると言う。肩書きがずらーっと並んだ名刺をもらい、日本に行ったときの写真も見せてくれた。小松市なんたらとつながりがあるのは本当のようだ。そして、お待ちかね、先生の作品の数々が展示してある部屋へ案内された。これまたすげー!!と感動したのを覚えている。すっかり舞い上がってしまっているところに、陳が、「君たちはわざわざ日本から来たお客様だから、先生がお土産に好きな絵を1枚くれるそうだ。」と言ってきた。えっ本当に?と喜んだのは束の間、「絵」はタダだけど、装丁(掛け軸の部分)は実費をもらうというのだ。その「実費」は1万円。これは困った。当時の僕らにとって1万円は超大金。とてもじゃあないが払いたくない。お人好しだった僕らは、それを断ると、先生の名誉を傷付けると大真面目で思っていたのであった。僕と友人は2人して、その場ですごく悩んだ。で、でた結論は、僕は「断る」、友人は「買う」であった。このあたり、2人の性格が良く出ている(笑)。友人が犠牲になってくれたおかげで、その場の気まずい雰囲気から抜け出すことができた。
まだまだ純真無垢だった僕らは、水墨画の件が陳の術中であることに気がついてはいなかった。その後も陳との行動を続ける。次に案内された場所は射撃場。未体験の射撃ができるというので、これまた僕らは大喜び。そこは、人民解放軍の演習場の一角にあった。これまた未熟だったぼくらは、軍の施設を陳のコネで利用させてもらうのだからタダだと思い込んでいた。機関銃と拳銃をいくらか撃って、帰ろうとしたら、なんと、1万円を請求された。えっ?と思い、受付(?)にいた軍人の指すほうを見ると・・部屋の隅っこに料金表が目立たないように掲示してあった。中国人と外国人は当然のことながら値段が違う。10倍くらいは違ったと思う。陳はわずかの中国元を僕らの目の前で払いながら「君たちは1万2千円くらいだけど、学生だからまけて1万円ずつでいいみたいだ」と僕らに言った。僕ら2人はその瞬間、サーっと血の気が引き、しばらく愕然としていた。一瞬逃げようかとマジメに思った、が、次の瞬間、逃げたら撃たれると思った。あの、銃のすごさったらハンパではない。あのでかい弾丸が体の中に撃ち込まれるかと考えるだけで痛くなってくる。撃たれるよりはカネを払ったほうが良いと思い、観念した。あとで聞いたら、友人も僕とまったく同じことを思ったそうだ・・。(それにしても、調子に乗って機関銃をバラまかなくてよかった・・。「ランボー!」なんていって弾倉すべてを撃ち尽くそうかとも思ったが、もしそれをやっていたら、それこそ10万円請求されていただろう)
ボラれた・・。と僕ら2人は思ったが、これまた純真無垢な僕らは、さっきの射撃場は悪徳商売だったが、そこへ連れていった陳は別に悪くはないと思っていた。陳は、とりあえずここで一度別れて、夜になったらカラオケへ一緒に行こうと言い出した。しかし、その後、陳のプライベートなトラブルがあり、カラオケは中止となった。次の日、僕らは川下りを楽しんだあと、陳に買ってもらった切符を手に列車に乗り込み、桂林をあとにした。ちょっと落ち着いた頃、「俺たち、もしかしてダマされていたのかなあ・・」と2人で思い始めた。その一方、どこかで陳や水墨画の先生を疑いきれない気持ちはあった。あー、なんてお人好しだったんだろう、僕らは。
昆明では、多くの旅仲間が集まっていた。ほとんどの人は僕らと同じようなルートをたどっていた。ドミトリー(相部屋)に入るなり、友人のザックから飛び出している掛け軸を見て、その部屋から歓声があがった。ヤツらは開口一番、「桂林で先生の家に行ったでしょ!」と言う。どうやら桂林では「水墨画の先生」と「射撃」と「カラオケ」がお決まりのコースになっているらしい。そして、そのコースにハマった人が結構いるいる。幸いなことに、コースを楽しんだ(?)連中のなかでは、僕らの被害額は圧倒的に少なかったようだ。特にカラオケに行かなかったのが救いだった。カラオケは5万円コースだったようだ。
・・・今の僕からみると、そんなものに引っかかった自分が馬鹿に見えてしかたがない。だけど当時の自分は、完全に陳を信じきっていた。日本人は育ちが平和だったためか、どこかで、人を疑いきれず、人の良心を信じてしまうところがあるようだ。ヤツらはこの辺のことを実に良く知っている。そして、水墨画の先生の件。これは本当に日本人のココロを知り尽くした商売だといえる。大人になり、国際感覚を身につけた(?)今では、たとえ「先生」の家に行っても「いらないから結構!」とあっさり断るだろうし、この世に本当の悪党も存在すると思えるようになった。あーあ、スレてしまったなあ・・。