マニラというと治安の悪さがよく聞かれるが、実際は旅行者にとってそれほど危険なところではなかった。銀行はもとより、コンビニ、ファーストフード店などの前にはライフルで武装したガードマンが立っていて物騒ではあるが、まあ、普通に行動していれば何ら問題はない。危ない場所へ立ち入ったり、深夜に独りで徘徊したりしなければ大丈夫なようであった。
マニラの喧噪はすごい。今まで行った国で一番の騒がしさだ。そして、貧富の差も一番・・というか、アジアで一番なのではないだろうか。スラム街があれば、ビバリー・ヒルズ並の高級住宅街もある。それだけに秩序のなさ、混沌さはものすごい。さすがにアジアを旅慣れた自分も、うだるような暑さと、喧噪の勢いに少々参ってしまった。
2日目、バスで3時間ほど、マニラ湾を隔てたところにあるバランガというところを目指した。観光地でもなんでもないただの地方都市である。短期間でその国を良く知るには、こういった地方都市が一番である、というのは自分の経験からだ。これは大正解。今までで一番現地の人達との触れあいがあったのではないだろうか。貧しい生活を送っている少年達と仲良くなったり、ゲストハウス(ホテル)の従業員の家に招かれたり・・。
フィリピーノと言ったら、みんなはどんなイメージを思い浮かべるだろうか?日本に出稼ぎに来ている売春婦、スラムに暮らす人々、マニラで犯罪を繰り広げる奴等・・そんなところだろうか。実はフィリピーノはとっても陽気で人なつっこく、そして心優しい奴らなのだ。カメラを構えていると、勝手にポーズをつくって被写体になってくれたり、乗り物に乗れば「どこへ行くんだ?」などと話しかけてきたする。野原の真ん中につくったコートで少年達がバスケットボールをしていた。遠巻きに眺めていたら、彼らがこっちへこいと手招きする。コートの中へ入っていくと、とたんに大勢の少年達に囲まれ、激しい質問攻勢にあう。年齢層は小学校低学年くらいから高校生くらい(おそらく学校には行っていないだろうが)までが入り交じった集団だ。「僕らは貧乏だけど、悪い奴等ではないから大丈夫だよ。」と一番年上のボス格みたいな奴が言う。僕が、「写真を撮って、後で送ってやるよ」と言うと、「じゃあ、子供達を撮ってくれ」と言って、小さい子供達を優先的に撮らせて、年上の自分たちは遠慮するのだ。なんて優しい奴等なんだろうと、僕は感動してしまった。ボス格の少年はただ一人、腕時計をはめていた。これは日本製だと僕に見せてくれた。カシオのダイバーウォッチだった。その少年の姉は今18歳で、東京にいると言う。ものすごーく、悲しいような、複雑な気持ちになった。
(1997年10月 記)