バンコク発、プノンペン行きの飛行機は、古びたちっぽけなプロペラ機だった。一度こういうのに乗ってみたかったので、やった!と思ったが、本当にこれ、飛ぶのかなという不安がないわけでもなかった。けたたましいプロベラ音をあげ、えっちらおっちらという感じで機体はどうにか浮上。それにしても、振動と騒音は相当なものだ。機内アナウンスや乗客の話し声はみんなガラガラ声になってしまうし、機内食のトレイがテーブルの上に収まらず、振動で動いていってしまうのには笑ってしまった。
カンボジアの「ポーチェトン国際空港」は予想はしていたものの、笑っちゃうほど小さい国際空港であった。平原の真ん中にぽつんと1本の小さな滑走路があるだけ。飛行機を降りてから、歩いてターミナルへ向かう。ターミナルは当然平屋。バスターミナル並みの小ささである。ビザの申請をし、パスポートコントロールを終えて、ターミナルの外へ出ると、早速おきまりのタクシーの勧誘がたかってきた。今回、僕は「地球の歩き方」などのマニュアル本、ガイドブックのたぐいは全く持っていなかったので、タクシーの相場、市街までの距離などをまったく把握していなかった。そんなわけで、ちょっと高い気もしたが、5ドルでタクシーに乗ることにした。運ちゃんに誘導されるまま、ずいぶんと歩かされた。車は空港の敷地の外にぽつんと停めてあった。どうやら白タクだったらしい。まあいいか。どこか泊まるところは知らないかと運ちゃんに尋ねたら、1泊3ドルのゲストハウスから250ドルの高級ホテルまで、よりどりみどり教えてくれた。結局、エアコン、シャワー、トイレ付きの1泊10ドルのゲストハウスへ連れていってもらうことにした。
さて、宿は確保したものの、右も左もわからない状態である。まずは地図を手に入れるべく、街を歩き出す。うーん、どこにも地図なんか売っていそうもない・・やっと見つけた小さな旅行代理店らしきところへ飛び込んでみる。あったあった、空港のタイムテーブルといくつかの広告が一緒に載っているA3版のペラものだけど、十分に使えそうだ。それをタダでもらい、プノンペン滞在の準備は整った。
プノンペンの街は中国語の看板がやたらと目に付く。どうやら相当数の華僑がいる様子で、ホテルやゲストハウス、レストランや街食堂、装飾品店などはほとんど中国人の経営であるようだ(このあたりラオスも似ている)。だから、プノンペンは大袈裟に言えば街全体がチャイナタウンでもあるのだ。滞在中食べたものも、カンボジア料理よりも中国料理のほうが多かったと思う。まあ、これは中国料理のほうが口に合うので、そっちの方を好んで食べたというのもあるが・・。
僕の大苦手な暑さだが、やっぱり半端ではなく暑い(熱い)。30分も日射に照らされて歩けば、頭がガンガン痛くなってダウンである。いちばんつらいのは、暑さからの逃げ場がないということである。タイやフィリピンなどは、クーラーの効いたコンビニやスーパー、あるいはデパート、そしてファーストフード店がある。ここカンボジアではそれらは一切ない。屋台で冷えのあまいジュースを買って、木陰で休むのがせいぜいであった。この暑さのせいで、行動力も半減。もっともっと精力的に動き回りたかったのだけど、暑さを目の前に、足踏みすることが多々あった。
プノンペン市街での移動の手段はバイクである。バイクの数はものすごい。通りという通りをブンブンとひっきりなしに行き来し、まったくとだえることがない。その中の適当なバイクをつかまえ、料金を交渉して、後ろに乗せてもらうのだ。どれが一般人のバイクで、どれがバイクタクシーかって?そんなものは関係ないみたいである。どれも一般人であり、どれもバイクタクシーであるようだ。他の手段はシクロと呼ばれる、人力車。これも結構多いのだが、僕は乗らなかった。普通のタクシーは高級ホテルの前に数台待機しているのみ。庶民には縁のない乗り物のようだ。市バスのたぐいもなし。もっともプノンペンの都市が小さいので、バスを走らせるまでもないようだ。ともあれ、バイクタクシーは実に便利であった。乗りたいときにすぐにつかまり、値段も安く、すごく小回りが利く。タイやフィリピンの郊外にあったトゥクトゥクやトライシクルもこれと同類のものだが、その地に合った便利な乗り物が発達するんだなあと関心してしまう。
カンボジアというと、貧しいうえ情勢が不安定な国であり、人々はすごくピリピリとしているのではないかという思いがあった。だけど、実際はきわめて穏やかでやさしい人たちであった。今までいろいろな国へ行ったけど、一般の市民たちは、決して闘争を望んでいるわけではないということを改めて感じた。貧しさは結構目立つ。多数の人たちが、これといった定職がない様子である。何をするわけでもなくヒマそうにしている人たちがたくさん目に付く。マーケットや食堂の周辺には片輪や老婆の物乞いや、食べ残りをもらいに来る人たち・・。そして、日暮れになると、どこからともなく現れるゴミあさりの少年たち。夜になると、家のない人たちが大勢いることに気がつき、驚く。そんな中だけど、人々は実に逞しく、元気である。
プノンペン滞在4日目、昼過ぎに大通り脇の歩道を歩いていた。通りには、バイクの交通量は多かったが、歩道を歩いている人はいなかった。突然、背後から肩にたすき掛けにしていた、カメラの入ったバッグを引っ張られた。「!」と思い振り返ると、目の前には拳銃が・・。おとなしくバッグを渡せば良いものの、何故か自分は必死に抵抗していた。拳銃の尻で頭を殴られたかと思うと、次に、足に拳銃を向けられ、「パンッ」という音と、拳銃から白煙が見えたのと同時に、太ももに痛みが走った。だが、自分はその場に倒れることはなかった「タマは外れたか!」。すぐさま大声をあげ、助けを求めた。やがて、僕を襲った奴は、待ち伏せしていたバイクの後ろに乗り、撤退していった。間もなく、頭から大量に出血しているのに気がついた。「ヤバイ、やられている!」。自分はこのまま、意識が遠のいて、この灼熱の地に倒れるのではないかという不安に陥った。「Help me!!」通りを行き交うバイクに向かって手を振り、叫んだ。すぐに何人か集まり、僕をバイクの後ろへ乗せ、病院まで運んでくれた。病院へ行く途中、ひょっとしてカンボジアの病院というと、野戦病院みたいなところしかないのでは・・という不安にかられた。衛生面で大丈夫だろうか、治療設備は整っているのだろうか・・・。運ばれた所は、おそらくカンボジア1番の大病院だったと思う。空調は完璧に効いていて、不衛生感もなく、少しだけ安心。それでも日本の病院とはかけ離れている。設備は見たところ、日本の町医者程度。僕を運んでくれた現地の人が事情を説明してくれて、すぐに診療室へ通された。医者の対応は実にしっかりしていて、カンボジア特有の訛りのない、はっきりとした英語を話せる人であった。これで、すごくほっとしたのを覚えている。頭の傷は、銃で殴られた時のもので、何針か縫った。撃たれた足は、弾がかすったか、跳ね返った石が当たっただけのようであり、あざができて、軽く腫れた程度であった。結局被害は、怪我のみ。ものは何も盗られなかったのである。診療費20ドルを払い、医者に礼を言い、宿へ帰った。医者も、僕を運んでくれた人も、宿の人も、みんな口をそろえて、「おまえはものすごくラッキーだった」と言う。ここカンボジアでは、強盗に殺されることは少しも珍しいことではないというのだ。ただし、白昼の事件は珍しいそうだが・・。ちょっと落ち着き、カメラバッグを開けて見ると・・、なんと、弾丸が見事にカメラバッグを通過したあとがあるのだ。バッグには2か所穴が開き、中に入れてあったトイレットペーパーを貫き、そして、フィルムを潰しているのだ。その場で青ざめた。弾は外れたのではない、当たっていたのだ。どうやらフィルムが弾の勢いを止めたらしい。そして、勢いを失った弾が、バッグを破り、僕の太ももに当たったらしいのだ。ここで、さらに運がいいのは、被害はフィルムだけで、カメラやレンズは無事だったということ。やっぱり僕は占い通り、極めて幸運の持ち主なんだ・・なんてね。
不運のあとには幸運が訪れるものである。なんと、バンコクからの帰りの飛行機はビジネスクラスだったのだ!座席が広いのは言うに及ばず、静かだし、飲み物はグラスで出てくるし、食事も断然豪華だし、枕はフカフカだし、おみやげをもらえるし・・とにかくエコノミークラスと同じものが一切ないのだ。なんだか寝るのがもったいなくて、変にねばってしまって、寝不足で・・。それにしても、まわりはいかにもエリートビジネスマンといった人たちで、明らかに自分は浮いていたなあ・・。
(1998年3月 記)