ブルガリアは、早朝にソフィアに到着。夜明け前の薄暗い中、バスから出ようとすると、バスの運ちゃんが、「ヤポニッシュ!、陽が出るまで中で待っていろ。」とカタコト英語で言ってくれた。やがて外が明るくなり、運ちゃんに軽く挨拶をして、バスを降りた。前日までいたイスタンブールよりも、さらに寒い。
まず宿を確保すべく、目当てにしていたプライベート・ルームを斡旋している旅行代理店を探す。プライベート・ルームというのは、民宿、というか間借りみたいなもので、一般家庭が空部屋を貸しているもの。ところが、旅行代理店がまったく見つからない。たまに見つけた代理店に飛び込んでみても、「ウチはそんなもの扱っていないよ」とそっけない返事。うーん、ブルガリアの人たちって、なんとなく冷たい感じがする。
地球の歩き方は持っていたものの、イマイチ情報不足で(本自体がすごく薄っぺらい)、しかも、地図までもが、結構違っている。さらに参ってしまったのは、ソフィアの街のあらゆる表記がキリル文字なのだ。看板などの文字を見るたびに、キリル文字をローマ字に一文字ずつ変換して解読しなけらばならない。別にも書いたけど、外国人が来るであろう、ホテルの看板までもがキリル文字なのには驚いた。この国が長らく共産主義国家であったのをひしひしと感じさせてくれる。
早朝から宿を探し始めたのに、探せど探せど、見つからない。完全に途方にくれてしまった。気が付けば、正午近く。重い荷物をしょって歩きまわっていたのに、体はすっかり心まで冷え切ってしまった。カフェで暖を取ることにした。もちろん、「カフェ」という表記もキリル文字であった。とりあえずコーヒーを頼む。ブルガリアでコーヒーを頼むと、エスプレッソが出てくるようだ。
いくらか体が温まってカフェを後にし、再び宿探しを始めた。こうなったら聞き込み作戦しかないと思い、英語が通じそうな店を見つけては、聞いて回った。ついに、あるところで、知っている人がいて、丁寧に地図まで書いて教えてくれた。そうやって、ついにプライベート・ルームを斡旋している旅行代理店を見つけることができた。宿泊料は20ドル。国のレベルからすると高いが、ブルガリアはどこも宿代が高く、これでもホテルに泊まるよりも格段に安いのだ。20ドルを払うと、プライベート・ルームを提供している家の地図と、部屋の鍵を渡してもらえる。同時に、日本大使館から発行された勧告書を渡された。ブルガリアの治安が悪化していて、旅行者が犯罪に巻き込まれる被害が多数出ているから注意せよ、という内容のものだった。やっぱり、歩きながら感じていたとおり、治安は悪いらしい。
自分のルームの場所はすぐに見つけることができた。老夫婦の住む、古いマンションの一室だった。そこの老夫婦は、英語は全くわからないらしく、ほとんど話は通じなかった。それでも、僕は、ソフィアには1泊だけして、明日にはブカレストへ向かうということはどうにか伝わった。まあ、何はともあれ、こうしてソフィアでの宿は無事に確保できたのであった。
(1996年3月 記)