トルコにて、シリアへ行くか、東欧へ行くか迷った末、陸路で簡単に(?)行ける東欧方面を目指すことにした。ブルガリア、ルーマニアのビザをイスタンブールで取ったのだが、ブルガリアの方はすごく苦労した。寒い中、大使館前で何時間も待たされたうえ(なんだか知らないが、大勢のブルガリア人も門の前でずーと待っている)、ビザが欲しいと言っても全く取り合ってくれない。しまいには今日はCloseだ。明日の朝に来いと言う始末。納得いかないまま、次の日にまた、早起きして行ってみる。状況は昨日と全く変わらない。Closeの時間が迫ってきて、これでは昨日と同じだと思い、「俺は昨日からずっと待っているんだ!!」とパスポートを振りかざしながら大声を出して、強引に門の隙間から入っていった。やっとのことで取り合ってもらえ、どうにかビザを得ることができた。
その日のうちにソフィアまでの夜行バスの切符を買い、ブルガリアへ。ソフィアなんて、なんとも美しい響きだけど、いざ入国してみると、そこはやっぱり東欧。道路はガタガタ、クルマはポンコツ。共産主義国おきまりの威厳のある共産党本部と、バカみたいに広い広場。観光客が来ることなんか少しも考えていないようで、「HOTEL」という看板までキリル文字(ロシアで使われている文字)で書かれている。それにしても治安が悪い。駅の周辺は浮浪者だらけだし、街を歩いていると、怪しげな奴等がやたらと近づいて来る。かなり緊張を強いられるところだ。ヨーグルトは確かに料理によく使われている。ただし、「明治ブルガリアヨーグルト」みたいなものではなく、調味料的につかわれているのだ。安食堂みたいなものはほとんどなく、食事をするところといえば、貧乏旅行ばかりしている僕にはちょっと入るのに躊躇してしまう店ばかり。テーブルの上にロウソクが灯してあって、ナプキンが立っているような店に思い切って入ってみる・・店の構えの割りに値段は驚くほど安く、サラダと鶏肉のディッシュを食べて数百円程度。まずいワインもついていたかな。
ブルガリアはソフィアに1泊だけして、寝台列車でルーマニアのブカレストへ向かった。ルーマニアは、トルコでいろいろな人から危険だから気をつけろと警告されていたので、かなり気合いを入れて入国。ところが、ブルガリアにあったようなヤバイ雰囲気が全くない。うーん、ここ最近で事情が変わったのだろうか?ルーマニアというと、チャウシェスク政権だの、物不足でパン一つ買うのにも行列ができる・・などのイメージが僕にはあった。だが、物は豊富にあるし、街は平和な雰囲気だし、深刻な様子は微塵も感じられない。そして、何よりも不思議でたまらなかったのが、本当に4年前、あの流血ものの民主革命があったのだろうか?ということだ。街を行き交う人々は実に平和で穏やかな顔をしている。彼ら(彼女ら)が、あの革命の主人公だったなんて、とうてい信じられないのである。「ねえねえ、本当にここで革命があったの?」というふうに一人一人に聞いてみたいほどであった。それでも、戦場となった革命広場周辺に残された無数の銃弾の痕に、確かな証拠を見ることができたのである。
ブカレストからは夜行バスでトルコへ帰った。途中、再びブルガリアを通過するのだが、ブルガリア国境で思わぬハプニング。ダブルエントリー(2度入国できる)のビザを持っていたのに、トランジットビザがないからダメだと、国境検査官に因縁をつけられた。バスに乗っていた日本人は当然僕一人。僕一人のもめごとのために、バスは国境で止まったまま。見かねて、英語を話せるルーマニア人の青年が、間に入ってくれた・・・が、結局はカネを検査官に握らせる以外に方策はなし。泣く泣く80ドルもの大金をつかませ、やっとのことで、通してくれた。これは悔しくて悔しくて・・。その青年曰く、まだまだこの国はこのレベル。ああいうキタナイ奴等がたくさんいるんだ・・と。夜明けには、旅の拠点であったイスタンブールへ無事到着。トルコの国境に入った時はなんとも言えない安堵感があった。
(1996年3月 記)