「あ・・・」
階段から現われたのは通学鞄を手にした壱中の制服姿に蒼銀の髪の少女・・・綾波だった.
学校で別れてから結局,本部内では綾波と顔を合わせていなかった.
リツコさんによれば,乗機の零号機が修理中の彼女は僕とは別メニューでの訓練とのことで,
多分それが終わって帰るところなのだろう.綾波の紅い瞳と視線が合った僕は頷くように頭を軽く下げた.
「・・・・・・・」
すると,綾波は頷き返さずに黙ったまま無表情で僕の方に歩み寄って来た.
今,僕,何か綾波の気に障ることでもしたんだろうか?
「・・・何か用?」
綾波は僕の側まで来ると同じ表情のまま淡々とした口調で僕に問い掛けた.綾波の問いに僕は少し戸惑う.
「え?・・・あ,綾波と目が合ったからちょっと挨拶しただけなんだけど.」
「挨拶?」
「うん・・・挨拶.特に用があったと言うわけじゃなくて.」
「・・・そう.」
綾波の問いに僕は答える.その仕草を“挨拶”と言うには仰々しいとも思ったけど,
他に適当な言葉が思いつかなくて僕は繰り返し綾波にそう答えた.
すると綾波は僕から視線を外し,列車の来る方に向きを変えた.
その反応に僕は何だか不安になる.用も無しに・・・余計なこと,しちゃったのかな?
「あの・・・迷惑だった?」
「・・・・・・・」
僕は恐る恐る背中越しに尋ねる.僕の問いに綾波は少し間を置いてから答えた.
「・・・迷惑,じゃ無い.」
「そう・・・それなら・・・いいんだけど.」
綾波は背を向けたまま僕に答えていた.
本当に迷惑じゃなかったんだろうか,綾波がこっちを向かないので今一つ分からない.
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
それからしばらく,僕と綾波は一言も発すること無くそのままプラットホームで佇んでいた.
綾波は列車の来る方を見たまま,僕は綾波の後ろ姿を見たりホームの下を見たりしながら.
「ほ・・・」
(ファーン)
さっきのことが気になってもう一度確かめようとした時,遠方から警笛の音が聞こえてくる.
十数秒後,リニアトレインがプラットホームに進入して来た.
列車がホームに停止し,僕と綾波は車内に乗り込んだ.
「何?」
車内のシートに落ち着くと,綾波がポツリと呟いた.
綾波はドアに一番近い位置に,僕は綾波の隣に体半分のスペースを空けて座っている.
・・・別のシートに座るのは何だか冷たい感じがするし,すぐ隣に座るのは馴れ馴れし過ぎると思ったから.
綾波の声を受けてちらっと彼女の方を見ると,綾波の視線は反対側の窓の先にあった.
『本当に,迷惑じゃ無かった?』
言い出すタイミングを外してしまって,僕はその言葉を口にできずにいた.
「・・・難しいよね,進路を決めるのって.」
進路相談のことを切り出したのは深い考えがあってのことじゃなかった.
確認の言葉の代わりに何か言わなくちゃと思って話題を探してたら,
今までずっと僕の頭の中にあったことが口から漏れたという感じで.
「・・・用が無かったんじゃないの?」
「そ,それは・・・その・・・」
取って付けたようなことを口に出した僕に対して綾波は淡々とした口調で疑問を挟んだ.
横目で見る綾波の表情は視線を前方に向けたまま先程と全く変わらない.
だけど,その態度が却って言葉を飲み込んだ僕の思考を綾波に見透かされているような気がしてきた.
「・・・ごめん.」
次の瞬間,僕の口からは“ごめん”の言葉が出ていた.何だか気まずくて.
「なぜ謝るの?」
「余計なこと,しちゃったから・・・」
綾波の問いに,僕は釈明らしき話をし始める.
「本当は・・・挨拶したの,やっぱり迷惑だったんじゃないかと思って・・・
それが何となく言いづらくなっちゃって・・・でも,何か言わなくちゃと思って・・・
それで,さっきまで考えてたことを口走っちゃったんだ・・・今日,進路相談,あったし.」
「・・・・・・・」
僕はさっき飲み込んだ言葉を口に出す.綾波は黙ったまま不動の姿勢で聞いていて,
その表情からは僕の話をどう思っているのか分からなかった.
「し,進路相談で,“夢”って何だろう?・・・とか思っちゃったりして・・・迷惑・・・だったよね,ごめん.」
反応の無い綾波を前に段々と不安になってきて,僕は次第に言葉に詰まってしまう.
余計なことしちゃって,やっぱり迷惑だったのかな?
再び僕は謝る.すると,ずっと黙っていた綾波が口を開いた.
「・・・迷惑,じゃ無い・・・とさっき言ったわ.」
そう語る綾波の口調は淡々としていて相変わらずだったけど,
一連の言葉の中で一拍 間を置いたところにちょっと怒ってるようにも心なしか聞こえた.
「ごめん・・・そうだね.綾波,そう言ってたもんね.」
確かに綾波はそう言っていた.だのに,僕は疑うようなことを言ったりして.
「迷惑じゃ無ければ・・・いいんだ.うん,良かった.」
「・・・そう.」
ちょっとバツの悪さを覚えた僕は,綾波にというよりは自分に言い聞かせるように言葉を続けた.
それに対して綾波は一言だけ短い返事をする.その素っ気の無い返事に僕はまた少し不安を覚えたけど,
普段から必要なこと以外あまり喋らない綾波がわざわざもう一度,
“迷惑じゃ無い”って言ったんだから僕はその言葉を素直に受け取ることにした.
「・・・さっきの話だけど,綾波は進路の希望とかどうした?」
ふと思い立って僕は話題をさっき言いかけた進路のことに話を転じる.
さっき苦し紛れで思わず口から出たことだったけど,ちょっと気になっていた.
使徒との戦いでいつ死んでしまうのかも分からないのに先のことをあれこれ考えるのも変かもしれないけど,
同じEVAのパイロットの立場として,綾波はどう考えてるんだろうなとも思って.
「・・・なぜそんなこと,聞くの?」
「なぜって・・・話したくないなら,別にいいんだけど・・・」
疑問を返した綾波の反応に,僕はそんな立ち入ったことを聞いちゃったのかなという思いに囚われる.
なぜなら雑談の中で同じ問いをトウジやケンスケにもしたけど,二人共取りたて何の気無しに答えてくれたから.
トウジもケンスケも志望先は僕と同じ市内の普通科の高校で,
“将来の夢” もトウジは “分からんなら分からんで堂々と書けばええんや.” で僕と同じ “特に無し” だったし,
ケンスケはケンスケで “まあ,適当に・・・EVAのパイロットだったら直ぐにでもなりたいけどな.” と言ってた.
「・・・壱高.」
「え?」
僕がトウジ達とのことを思い出していた最中,綾波が志望先の高校名を言った.
綾波が答えてくれるとは思わなかったので,僕は僅かな驚きを示す声を上げる.
「第3新東京市立第壱高等学校.」
すると,綾波は僕が“壱高”の意味を分からないと思ったのか志望先の高校名を正式名称で淡々と言い直した.
咎めるわけでも無く,誇るわけでも無く,調査票に書いたことをそのまま,といった感じで.
「そうなんだ・・・綾波,勉強できるもんね.」
第3新東京市立第壱高等学校・・・通称“壱高”・・・第3新東京市公立の進学校である.
学校での綾波の成績がどれ程のものなのか,事細かに詳しくは知らない.
ただケンスケなどから伝え聞くところによれば,
休みが多いけど定期テストはそつなくこなしていて成績上位にあるとのことだった.
・・・僕なんかとはまったく比べものにならないくらいに.
「凄いよね・・・休み,多いのに・・・僕とは頭の出来が違うんだろうね,いや,それとも集中力なのかな.」
「・・・・・・・」
話しながら僕は,綾波が空いている時間の間いつも難しそうな本を開いていたことを思い出す.
本を読む習慣の無い・・・読んでもそんなに長く続かない僕からすれば,
どうしてそんなに集中できるのか不思議に感じる.
それって多分,綾波の持ってる良い所なのだと思う.
「・・・前に,自分にはEVAに乗ること以外何も無い・・・って言ってたけど,そんなこと,無いと思うよ.」
「・・・・・・・」
「勉強とか物事に集中できるといったとこなんか・・・・僕なんか直ぐ気が散ってしまって全然駄目だし.ははっ.」
何の取り柄も無い自分に,僕はちょっと自嘲気味になる.
確かに僕は綾波と違って・・・EVAに乗るのを辞めることもできる.
前の所に戻ることができるし,世間に一人で放り出されることは・・・多分無いと思う.
でも,それはそこに居させてもらっているだけ.僕がずっと居られる場所じゃない.
ここに居ることも,僕がたまたまEVAに乗れることを除けば大して変わらないのかもしれないけど.
「綾波だったら,きっと他に何か・・・見つけられると思うよ・・・僕も見つけられるといいんだけど.」
「何を言うのよ・・・」
「・・・・・・・」
いつの間にか,綾波は本を開いていた.
その様子にそれ以上話し掛けるのも悪いと思い,僕もS−DATを取り出す.
そう言えば,頭がいいっていうのは誉め言葉じゃないって前に誰か言ってたっけ.
つまんないこと,言っちゃったかもしれない.
「じゃ,また明日.」
「・・・また明日.」
それより降りるべき駅に到着するまで僕はS−DATを聴いたまま綾波は本を読んだままで何も話さず,
降りる際に一言だけ言葉を交わして別れた.綾波が挨拶を返してくれたので僕は少しだけ安堵する.
今はEVAに乗ることしかないかもしれないけど・・・いつか・・・何らかのきっかけさえあれば,
EVAに乗ること以外の何かを,綾波はきっと見つけられるんじゃないかな・・・・・
綾波と話していたその時の僕,綾波のことをまだ何も知らなかった僕は単純にそう考えていた.
そして,それから家に帰って僕は二人と一羽分の夕食を用意する.
しかしその日のミサトさんの帰りは遅くて,僕は結局ペンペンと先に食事を片付けることになった.
− コンフォート17 葛城家 −
翌朝,僕は朝食を用意していつもの通り食卓で摂っていた.
ミサトさんはまだ起きてこない.昨日だいぶ遅かったみたいでテーブルに置いておいた夕食も手付かずで,
今は冷蔵庫の中へと一時的にしまわれていた.
(スーッ)
残った夕食,後でどう処理しようか・・・と僕がトーストを噛りながら考えていた時,引き戸の開く音がした.
どうやらミサトさん,昨日と同じぐらいの時間で起きてきたようだ.
また大あくびかと思いつつ視線を引き戸の方に向けた時,思いもよらない光景に僕は固まった.
「おはよ.」
そこには,黒と赤のネルフの正装にきちんと身を包んだミサトさんが立っていた.
きちんとしているのは服装だけでなく,髪もちゃんと櫛梳かされていて,
その表情は今直ぐにでも作戦指揮を取りそうな顔をしていた.
「お,おはようございます.」
呆然としながらも僕はミサトさんに朝の挨拶を返した.
・・・いったい,ミサトさんに何があったんだろう.
「仕事で旧東京まで行ってくるわ.たぶん帰りは遅いから,何かデバッて. じゃ.」
「あ,はい・・・.」
雰囲気がいつもの朝と全く違うミサトさん.それが,その日の慌ただしい一日の始まりだった.