− 再開発地域 某団地 “402号室 綾波” −
壁紙の無い,コンクリートが剥き出しの殺風景な部屋でレイは携帯電話を手にしていた.
外は日が昇り一日の始まりを告げていたが,薄ぺらのカーテンで締め切られているせいか部屋の中は薄暗い.
「・・・問題ありません.」
既に壱中の制服に身を包んでいたレイはパイプベッドに腰掛け抑揚の無い口調で電話先の相手と話していた.
傍らには通学鞄が無造作に置かれている.およそ登校前といったところだろうか.
「・・・はい.」
レイは視線を正面の壁に向けたまま淡々とした表情で受け答える.
電話の相手は恐らくネルフの関係者・・・というか彼女にはそれ以外有り得なかった.
「・・・了解.」
( ピッ!)
上官からの命令に従うような返事をして,レイは携帯を切った.
それからレイは通学鞄を手にして冷蔵庫に歩み寄り,
冷蔵庫の上に置かれたビーカーを手にして予め張ってあった水を口にする.
そして,引き出しの上に置かれたしおりの挟まっている本を鞄に詰め込もうと歩を進めた.
「・・・・・・・」
レイは本の傍らにあったひび割れた眼鏡に視線を落とし,次に手に取った本の表紙をじっと見る.
手にした本を鞄に詰め込んでレイは部屋を後にした.
− 第3新東京市内 通学路 登校中 −
「あーあ,ミサトさん,出張なんだもんなー.」
「なんかこう,ミサトさんの声を聞かんと一日が始まらんとゆうやっちゃのう.」
「何だよ,それ.」
学校への道すがら,ケンスケとトウジはミサトさんの不在を残念がっていた.
二人の反応が何だか大げさに思える.ただ単に声を聞くだけのことなのに.
「分かってないなー,センセは.」
「分かっとらんなー,センセは.」
「何が分かってないんだよ?」
「あない美人で格好ええ人と一つ屋根の下で暮らすのがどんなええことなんか.」
「碇にはミサトさんの価値が分かってないんだ.」
分かってないのはトウジ達の方だよ.家の外でのミサトさんしか見ていないからそんなことが言えるんだ.
「いいよなあ,碇は.あんなお姉さんに保護されて.昨日の進路相談の時もカッコ良く決まってたし.」
「・・・恥ずかしいだけだよ.みんな,そのことで僕のこと冷やかすし・・・来ない方が良かったんだ.」
昨日ミサトさんが車で学校に乗りつけた後,僕はトウジやケンスケだけでなく他のクラスのみんなにも
やいのやいのさんざん言われたんだ.
「そない罰当たりなことを言うもんやない.ネルフの作戦部長っちゅう仕事に就いてる中,
わざわざ来てくれたんや.ありがたいことやで.」
「・・・・・・・」
ケンスケに対する僕の言葉にトウジが少したしなめるような口調になる.僕は口をつぐんだ.
昨日ミサトさんが来たのは・・・仕事の一つ・・・・・トウジの言葉にあまりいい気持ちがしなかったから.
けれども,次に続くトウジの言葉に僕ははっとさせられた.
「・・・ワシんとこは,お父んもおじんも忙しゅうてな.今日の進路相談は一人だけや.」
「あ・・・ごめん.」
そうだった.僕のクラスではどうも日程の調整がうまくついてないらしく
トウジや綾波のように一人で面談に行くケースが10人近くにのぼっていた.
そんな中で 「来ない方が良かったんだ」 だなんて何て思い上がりなんだろう.
・・・そんな自分に僕は少し嫌悪感を覚えていた.
「ん? ま,まあ一人の方が親に余計なこと知られんからええかもしれんけどな.」
「おせじにもトウジの成績は人に見せれられるもんじゃないからな.」
「ケンスケ・・・お前だって人のこと言えた立場か?」
「それを言われるとこっちも身も蓋も無いけどな.」
「ま,怪獣みたいな敵が攻めてくる・・・明日どうなるかもようわからん中で進路相談とは・・・全く難儀なこっちゃ.」
「まあ,それが学校の仕事だからね.俺は怪獣映画みたいなことが現実になって結構ワクワクしてるけどな.」
「前から思うてたけど,お前ってホンマにそうゆうの好きなやっちゃな・・・」
「・・・・・・・」
トウジが進路相談のことで嘆いているうちに話が使徒のことになる.
使徒が攻めてくるという現実に対するケンスケの見方にトウジは少し呆れ気味に呟いていた.
「ま,敵さんに負けんよう センセと綾波には頑張ってもらわなあな.」
「そうそう.」
「「地球の平和は君達の肩にかかって(と)る!!」」
「ア痛っ.」
トウジとケンスケ二人に挟まれて両肩を思いっきり叩かれた僕は思わず声を上げる.
こういう時の二人って本当に息がぴったしなんだよな.
肩にかかってる・・・か.怪獣映画では日本が消えたりすることは無いけど,
もし使徒に負けてサードインパクトが発生したら日本は旧南極大陸と同じ運命に・・・なるんだよね.
そのことをトウジ達は知らない.学校の先生も知らない.
・・・僕もリツコさんに尋ねなければ知らないままだったけど.
「碇.今日はネルフからの呼び出し,無いんだろ?」
「うん.ミサトさん,今日出張だし.」
僕が考え事をしていたら,ケンスケが僕の都合を尋ねてきた.今日,本部でのテストは無かった.
「だったら,学校が終わったらゲーセンへ行こうぜ.今日,ロケテスト機が入るらしいんだ.」
「ロケテスト?」
「新しいゲームを出す前,一部のゲーセンで先行公開したりするんだ.
で,その時の客の反応を見て難易度を調整したり内容に手直しを掛けたりするわけ.
ま,俺達からすればリリース前のゲームをいち早く遊べてちょっと嬉しいってところかな?」
「ふーん,良く知ってるね.」
「それ程でも無いさ.で,どうする?」
「うん,いいよ.」
「トウジは?」
「進路相談が終わった後ならな.」
「じゃ,終わった後で.でさ,今度入るゲームだけど・・・」
ケンスケの提案で僕達3人は放課後,ゲーセンに行くことになった.
噂によれば今度入るのはEVAとか使徒とかをモデルにしたロボットアクション物であるとかないとか.
もしそれが本当だったら大変なことなんだけど.曲がりなりにも一応,非公開情報ということになってるんだし.
・・・それにしても,こういったことになるとケンスケって本当に耳が早いと思う.
「おはようっ.」
「おっす.」
学校が近づいてきて他のクラスメートと顔合わせトウジ達が挨拶を交わす.
そしてそれから,僕達は学校の敷地内へと向かって行った.
− 第3新東京市立第壱中学校 放課後 −
「考え過ぎなんだよ.碇は.」
「そうかな・・・」
教室の外で僕はケンスケと二人してトウジの進路相談が終わるのを待っていた.
一日の中での最も暑い時間が過ぎて,建屋の影の長さがますます長くなってきている.
「そうだよ.たった14で一生が決まるなんてこと,殆ど無いんだから考え込んだってしょうがないって.」
「それは・・・まあ,そうだけど.」
ケンスケの言葉に僕は曖昧にうなずく.トウジのことを待っている間 暇つぶしに雑談をしていた僕達だったが,
話しているうちに話題が進路相談のことになっていた.
「だろ? 大体,どうしてそんなにこだわるんだ?」
「・・・・・・・」
ケンスケに指摘されるように訊ねられて僕は返答に詰まる.
そう言えば,どうして・・・なんだろう?
・・・不安・・・だから? 今の僕が・・・EVAのパイロットとしてしかここに居られない自分が.
・・・怖い・・・から? また・・・捨てられるんじゃないかって.
だから考え込んだりするのかな? 進路とか将来とか先のことを訊かれたりすると.
・・・はっきりとは分からない・・・けど.
(ピピピピピッ!)
僕が考え事に沈んでいたら,突然けたましい電子音が間近で鳴り響いた.
音の発生源は僕の携帯だった.僕はそれを手に取り電話に出る.いったい何だろう?
「はい,碇です・・・えっと・・・日向さん?」
電話に出ると若い男の人の声だった.声の感じから僕は相手の人の名前を辛うじて思い出す.
管制室でメインのオペレートを担当している眼鏡を掛けた人だ.
日向さんは僕が出たことを確認するとやや急いだ感じで用件を話し始めた.
「今ですか? 学校ですけど・・・はい・・・はい・・・わかりました.すぐに移動します.(ピッ!)」
「どうした? 碇? ネルフからの呼び出しか?」
「うん・・・そう.ごめん.ゲーセン,一緒に行けなくなっちゃった.」
僕が携帯を切るとケンスケが尋ねてきた.
ケンスケの推察通り,電話の内容は本部からの緊急の呼び出しだった.
「敵でもやって来たのか?」
「いや,良く分からないけど・・・急ぎだって.でも,もし敵だったら避難命令が出てると思うけど.」
続いてのケンスケの問いに僕は推測で答える.
日向さんからは初号機を必要とする緊急の事態であることと今からの移動方法についてのみ知らされていた.
「それもそうだな.」
「ホント,ごめん.トウジによろしく伝えといて.」
「分かった.それより気をつけてな.」
「うん.」
それから僕はケンスケに別れを告げて校舎の外へと急いだ.
− 巨人機 キャビン内 −
「そんな無茶な!」
EVA初号機を空輸中のキャリアの中で僕は上ずった声を上げていた.
緊急の呼び出しの内容は,新開発のロボット兵器 JA(ジェットアローン)の突然の暴走を止めることだった.
JAは内部に原子炉を搭載していて市街地で炉心融解が起きたら大惨事は避けられないとのこと.
これから僕達が行うことは初号機を使ってJAがこれ以上市街地に近づくのを食い止めること,
そしてJAの動作を停止させることなんだけど・・・・・
「無茶は承知よ.他にベターな方法が無いの.」
既に耐熱耐放射線防護服で身を固めていたミサトさんは至って落ち着き払った表情で僕に答えた.
「でも,危なすぎますよ.」
「大丈夫.EVAなら万が一の直撃にも耐えられるわ.」
「じゃなくって,ミサトさんが.」
そう・・・僕の役割は初号機でJAの前進を塞き止めることなんだけど,
JAの内部に乗り込んで中から制御動作を止めるのはミサトさんの役割なんだ.
もし,最悪の事態になったらEVAに乗っている僕と違ってJAの中に居るミサトさんはひとたまりも無い.
「ま,やれることやっておかないとね.後味,悪いでしょ.」
・・・どうしてミサトさん,そんなに落ち着いていられるのだろう?・・・分からないよ.
とにかく,しっかり・・・やらなくちゃ.僕自身の役割を.
「目標を肉眼で確認.」
「さ,行くわよ.」
コ・バイ席の日向さんがJAに近づいて来たことを僕達に知らせる.
そしてミサトさんが作戦の開始を告げ,僕達はそれぞれの配置に付いた.
「EVA投下位置.」
「ドッキングアウト!」
「了解.」
夕焼けの中,前下方に荒れ地を闊歩する二足歩行の大型ロボット JAの姿が見える.
日向さんが投下位置であることを僕達に告げた.
ミサトさんの号令と共に初号機がキャリアから切り離され,キャリアは安全高度へと上昇して行った.
僕は生卵を割らないようにする感じで初号機の右手で防護服のミサトさんをそっと握って地上へと降下する.
適度に降下速度を緩めて着地した瞬間,初号機の膝を使って着地の衝撃を最小限にする.
そうしないと,エントリープラグ内の僕はともかく右手の中のミサトさんが潰れてしまうから.
それから僕はミサトさんを握った右手を固定したまま,前方を進むJAに向かって全力疾走で追跡を開始した.
距離500・・・400・・・300・・・200・・・100・・・
「追いついた!」
「あと4分も無いわ!このまま乗り付けて!」
それから程なく僕の乗る初号機がJAに追いつく.
ミサトさんの指示に僕はJAの背中にある取っ手状のものに初号機の左手を掛けて動きを止めようとする.
けれどもJAの力は思ったより強く,その動きを完全には止められないでいた.
「構わないわ!やって!」
ややためらい気味の僕の心理状態を察したのか,ミサトさんが強い口調でJAへの乗り移りを指示する.
僕はミサトさんが乗る初号機の右手をJAのバックパック後部にできる限り寄せた.
「きゃあ!」
「ミサトさん!」
JAに乗り移ったミサトさんだったがその直後,激しい振動に振り落とされそうになる.
横転しながらもミサトさんは昇降用の握りをつかんで辛うじて落下の難を逃れた.・・・危ない.
「・・・気を付けて.」
思わず安堵の息が漏れ,僕の口から自然とその言葉が出る.
するとミサトさんは防護服の中からVサインを返してくれた.
「すごい熱.こりゃまずいわね――」
その言葉を最後にミサトさんからの通信が途切れる.それから僕は初号機の体をJAと入れ替えた.
「止まれ!このぉーっ.」
JAの力は強く,油断するとそのまま押し倒されかねない.次々と蒸気が吹き上がる箇所を初号機の手で塞ぐ.
正確な状況は分からないけど,もうそんなに長い時間持たないことだけは僕にも理解できた.
「ミサトさん!急いでっ.」
ミサトさんに届いてるかどうか分からないけど僕はそう言わずにはいられなかった.
中に入ってから 30・・・60・・・90・・・120・・・外に突き出ている制御棒はビクともしない.
おかしい・・・もう中の制御室には辿り着いてるはずなのに.嫌な考えが頭の中をよぎる.
僕がそんなことを考えていると破裂音と共にまた別の所から蒸気が吹き出してきた.
「ミサトさん!逃げて!」
追いついてから3分近く経ってもJAの動きは止まるどころかあちこちから蒸気が吹き出してくる.
このまま暴走が続けばJAは大爆発,中のミサトさんは木っ端微塵になって・・・死んでしまう.
「ミサトさん!」
たまらず,僕はミサトさんに呼びかける.ミサトさんからの応答は無い.
その時の僕にミサトさんへ声が届いているかいないかの意識は全く無かった.
大きな破裂音が立て続けに響き渡る.・・・もう時間が無いっ.
「ミサトさん!」
切迫した事態の中,呼びかけること以外に何もできない苛立ちが僕の中を支配する.
押さえ切れないくらいあちこちから蒸気が吹き出て・・・もう駄目かと思ったその時,
“奇跡”が突然目の前で起こった.
これまでビクともしなかった制御棒が動いて内部に収まり,JAはその活動を停止したのだ.
活動を停止したJAは僕の乗る初号機の前で力無くゆっくりと膝を落とした.
・・・どうして急に止まったのかは分からない.
それよりも,中のミサトさんの安否が気がかりだった.僕は繰り返しミサトさんに呼びかける.
「ミサトさん,大丈夫ですか? ミサトさん!」
「――ええ.もう最っ低だけどね.」
それから通信が回復してミサトさんからの応答が返ってきた.
「良かった.無事なんですね・・・良かった.ホントに良かった.
でも,凄いや.僕見直しちゃいました.ホントに奇跡は起きたんですね.」
良かった・・・ホントに良かった.ミサトさんが無事で.
− カートレイン内 移動中 −
「あの・・・お疲れさまでした.ミサトさん.」
「ん?どうしたの〜?シンジ君?」
任務が終わって初号機と共に本部に戻された僕は検査を受けた後,ミサトさんと一緒に帰途に就いていた.
カートレインに乗せられたミサトさんの車の中で僕は助手席に座り,
ミサトさんは運転席で少し気だるそうにハンドルに寄り掛かっている.
「いえ,その・・・さっきのミサトさん,ホントにカッコ良かったと思います.」
「そう? ありがと.ま,それが私の仕事みたいなものだからね.」
「仕事だから・・・なんですか?」
さっきのことで話し掛けた僕に対しミサトさんはハンドルに寄り掛かったまま首だけこちらに向けて応える.
ミサトさんの“仕事”という言葉に僕は何となく引っ掛かりを覚えていた.
「あ〜そうねえ,何て言ったらいいのかな・・・仕事は仕事なんだけど,まあアタシって昔っから諦めが悪いから.」
「だからあんな無茶をしたんですか?」
「半分は行きがかり上,というのもあったけどね.でも,またどうして急にそんなことを訊くの?」
「・・・分からないから・・・だと思います.何でわざわざそんな危険な所に飛び込むのか・・・.」
「・・・・・・・」
ミサトさんに逆質問された僕は少し考えてから答える.僕の答えを聞いて,ミサトさんは視線を前方に向けた.
それから何かを考えるかのようにしばらくの間を置いた後,ミサトさんが再び口を開く.
「・・・ま,色々あって,自分にできることはやっておきたいと思う性分になっちゃってるから・・・かな.」
「自分にできること・・・ですか.」
「そ.自分にできること.一度っきりの人生だしね.」
「・・・・・・・」
前方に視線を置いたまま話すミサトさんに僕は何とも言えない複雑な気持ちを覚えていた.
「・・・なーんか恥ずかしいこと,語っちゃったわね〜.」
「い,いえ,そんなこと・・・無いと思います.」
何も言えず黙っていた僕にミサトさんが指で頬を掻きながら少しバツの悪そうな笑みを向ける.
そんなミサトさんの笑みに僕の方もちょっとだけ気まずさを感じていた.
「・・・ありがと.」
僕の言葉に対してミサトさんはそう言ってハンドルに寄り掛かったまま視線を再び前に向けた.
「・・・シンジ君.」
「はい?」
それからしばらくして,今度はミサトさんが僕に話し掛けてきた.
昨日の進路相談のことだった.
「昨日の進路相談,つい“仕事だから”って言っちゃったけど・・・気にしちゃってったらゴメンね.
そりゃ “仕事だから”だなんて言われたら面白くないのも当然よね?」
「いえ,いいんです.それよりわざわざ来てくださったのに・・・僕の方こそ,すみませんでした.」
昨日の朝のことでミサトさんに謝られて,僕の方も頭を下げる.
今朝のトウジとのやり取りのことがちょっと・・・僕の頭をよぎっていた.
「シンジ君.私はシンジ君の上司だけど,保護者でもある・・・つもりだから.」
「はい・・・.」
保護者・・・それはもちろん,僕がEVAのパイロットである限りでのことだけど.
でもここに来た時,一人で住むという僕をすぐその場で引っ張ってきたのはミサトさん・・・だったんだ.
「シンジ君のやりたいこと,見つかるといいわね.」
「・・・ええ.」
ミサトさんの言葉に僕は曖昧にうなずく.
それから,ミサトさんは身体を預けていたハンドルから離れ運転席の背もたれで大きく伸びを打った.
「あーあ,“将来の夢”かぁ.わーかいっていいわよねえ.」
「そんな,ミサトさん,十分若いですよ.」
羨ましそうに“若いっていい”と言うミサトさんに僕は思ったことを何となしに口にした.
するとミサトさんは目をぱちくりとさせ,次の瞬間には思いっきり吹き出していた.
「???・・・僕,何かおかしいこと言いました?」
「ぶっくっくっくく・・・いや,シンジ君ってほ〜んとに“若いな”って思って.」
「???」
どうして突然ミサトさんが吹き出したのかが分からなくて僕は訊ねる.
僕の問いに対してミサトさんは笑いを堪えながら答えてくれたけど,何でなのか結局良く分からなかった.
「・・・何かお腹すいちゃったわねえ.そう言えば昼間から何も食べてないのよ.」
「お昼,無かったんですか?」
「ちょっち,ワケありでね.シンジ君,くれぐれもケチな大人になっちゃいけないわよん.」
「はあ?」
「ああ,何でもない.気にしないで.」
ひとしきり笑った後,ミサトさんはご飯のことを話題にする.
多分あんな大騒動があったから食べ損なったんだと思うけど,“ケチな大人”って何の事だろう?
・・・よく分からないや.
「はあ・・・ご飯ですけど,昨日の夕食の残りで良ければ直ぐに用意できますよ.」
「そうなの? それで十分十分.助かったぁ〜,地上に出たらガンガン飛ばすわね♪」
「・・・あ,安全運転で,お願いしますよ.」
「はい,はい♪」
地上に出たら飛ばして帰ると言うミサトさんにその運転の凄まじさを知る僕は引きつり気味になる.
ミサトさんの返事を聞きながら僕は自分のシートベルトの確認を行っていた.
そしてそれから,ミサトさんのとてもスリリングなドライブの末に僕達は家に辿り着いた.
家でご飯を美味しそうに食べるミサトさんの姿が・・・ちょっとだけ・・・何となく・・・嬉しく感じられた.
そう,嬉しく感じられたんだけど・・・・・
− コンフォート17 葛城家 −
「ふあああ,おはよう.」
翌朝,ミサトさんは “いつも通り” だらしない格好でお腹をボリボリ掻きながら引き戸を開けてきた.
そして,冷蔵庫からエビチュの缶を取り出し豪快にそれをあおる.
「ぷはーっ,くぅーっ!・・・さあって 次は朝シャン朝シャン,ブラとパンツはどっこかいな〜♪」
・・・やっぱり,だらしない.これでも・・・僕の・・・保護者・・・なんだよね.一応.
僕は昨日のミサトさんの姿,ミサトさんとのやり取りを思い出しながらその落差に腹立ちと失望を覚えていた.
(ピーン ポーン)
それから,トウジ達が迎えに来て僕はミサトさんに苛立ちを感じながら鞄を背負って玄関に出る.
「「おっはよーっ!碇君!」」
「おはよっ.」
玄関で二人に朝の挨拶を返す僕の口調は思いっきりとんがっていた.
「いってきまーす!」
「いってらっさーい.」
何とも言えない腹立ちを込めて僕は出掛けの言葉を家の奥のミサトさんに告げる.
しかし,それはミサトさんにとっては馬の耳に念仏といった感じだった.
− 第3新東京市内 通学路 登校中 −
「・・・はあ,やっぱカッコええなあミサトさんは.」
「僕もそう思ったけど,家の中じゃみっともないよ.ホントずぼらだし,
カッコ悪いし,つくづくだらしないし.見てるこっちが恥ずかしいよ.」
「羨ましいな.それって.」
「どうして?」
朝の陽射しの中,僕達三人は歩いていて話題がミサトさんのことになる.
ミサトさんのズボラさの程を知らないで称賛するトウジに僕は今朝からの苛立ちをぶつけた.
ケンスケは“それが羨ましい”と言う.どういうことなのか分からなくて僕はケンスケに訊ねた.
「やっぱ,碇ってお子様なやつ.」
「ホンマやな.」
「どうして.」
するとケンスケとトウジ,二人して立ち止まって振り返り呆れた顔を僕に向けた.
どうして僕が “お子様” だと言うのだろう?
ミサトさんのズボラな姿を目にしてることが“羨ましい”だなんてケンスケ達の言うことの方が分からないよ.
・・・と,僕がそんな風に思っていたらケンスケがやれやれといった表情で僕の問いに答えた.
「他人の俺達には見せない,ホントの姿だろ.」
「・・・・・」
「それって家族じゃないか.」
「あ・・・」
そのケンスケの言葉に僕は思わずはっとさせられる.
・・・確かにケンスケの言う通りかも・・・・しれない.
家族ってどういうものなのか僕には今一つ分からないところもあるけど・・・何となくうなずけるような気がした.
「ところで昨日のゲーセンのロケ機やけど,ホンマにダサダサやったなあ.」
「ホント,ちょっと期待してたんだけどなあ.あれは絶対に“本物”を見てないね.動きも全然違うし.」
「ひょっとしてワシらの方がよく知っとるんとちゃうか?」
「かもしれないね.あれだったら俺の方がもっと上手く・・・」
・・・でもやっぱり,ミサトさんにはもうちょっとキチンとして欲しい.
学校への道を歩きながら僕はケンスケが言ったことについて考えていた.
「おはよ.綾波.」
「・・・おはよ.」
学校が近づいてきてふと脇道から入ってきた綾波の姿を認めた僕は綾波に声を掛ける.
綾波は僕に短く挨拶を返し,それから背を向けて学校への道を歩いて行った.
・・・僕がここにいられるのは・・・・・EVAに乗っているから.
・・・僕がここでできることは ・・・・・EVAに乗ることだけ.
・・・でも,ここに居ることで何かが変わるかもしれない.何かが見つかるかもしれない.
それは僕の単なる希望・願望に過ぎないのかもしれないけど・・・・・
・・・いつもより少しだけ気持ちの軽かったこの日の朝の僕だった.