『・・・綾波のこと,良く分からなくて・・・』
『いい子よ・・・あなたのお父さんに似て不器用だけど』
彼女について,以前このように語られたことがあった.
綾波レイ.EVA零号機パイロットより過去の経歴は一切抹消済みの少女.
与えられた任務に対して忠実で,そのことでごねることも無ければ,逃げ出すことも無い.
寡黙.冷静.
『強いんだな・・・綾波は』
死を恐れない,生に執着を持たない強さ.
『・・・私には,他に何も無いもの』
決戦を前にして,彼女が呟いた言葉.
不器用・・・生きることが.
何を思って,それは語られたのだろうか・・・・・
異聞 「瞬間、心、重ねて」 D Part
Written by VISI.
少し,時間はさかのぼる.
「ふぅ」
最寄りのステーションまでレイを送って行ったミサトの口からふと,小さな息が漏れた.日が沈み,少し気温の下がった外の空気が人工の冷房とはまた趣の異なる涼を感じさせる頃合い.一人になって,ミサトは軽い疲労感と少しばかりの解放感を覚えていた.
『後は,シンジ君とアスカの頑張り次第ね』
アスカの対抗心を煽り立てようと・・・半ば危機感を募らせる形で・・・試みられた目論見は,結果としておおむね上手く行ったようだ.彼女が外に飛び出した時は,投げられたサイの出目を待つような心境・・・もし裏目に出たら次の手を考えなければならない・・・だったが.
『・・・まさか怒られるとは,思わなかったわ』
少し緩んだ顔に苦笑が浮かぶ.作戦変更してレイに交代する等,アスカに対して冷ややかな態度を意図して取ったミサトだったが,ヒカリからの非難には面食らったようだ.
“使徒”と呼ばれている正体の良く分からない強大な敵を作戦指揮官として迎え撃つ立場にあり,また15年前にそれとの深い因縁を持った境遇でもある彼女は,こと任務においては なりふり構わない・・・限られた状況下で低い勝算から勝つため,時には執念にも似た・・・行動をしていた.
お気楽さを感じさせる普段の言動との落差の大きさ,シンジ他周囲の人に向けられる軽口や振る舞いのどこまでが彼女の本心なのだろうか・・・それは,立場の違いに過ぎないのか?それとも,彼女が無意識に築いている心の壁なのだろうか?
『他にいいアイデア,出なかったけど』
今までも,そしてこれからも,使徒を倒すためにミサトはあらゆる手を尽くしていくだろう.そうすることが,彼女の仕事であり,目的・・・であるのだから.
それから間もなく,ミサトは家路に就いた.
− * −
そして,翌日.
「かかる程に、宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家の辺、昼の明るさにも過ぎて光りたり。 望月の明さを
十合はせたるばかりにて・・・・・」
古文の一節を読む女子生徒の落ち着いた声が,教室内でゆったりと流れる.生徒一人一人が携帯型の端末を持ち込むのが当たり前になって教科書もまた必ずしも紙とは限らない時代だが,“テキスト”を朗読する・・・などといった光景は前世紀と変わらずに引き続き存在していた.
テキストを読んでいるのは,“いいんちょ”とあだ名されているお下げの女の子,洞木ヒカリ.今の時間は5時間目,昼食後の授業はそれの持つ独特の気だるさ・・・居眠りしたくなるような・・・もあって静々と進行している.
「・・・・・これを見て、内外なる人の心ども、物に襲はるるやうにて、相戦はん心もなかりけり。からうじて
思ひ起こして弓矢を取り立てんと・・・・・」
2年A組,EVAのパイロット“チルドレン”三人全員が居るクラスだが,その授業光景は他のそれと変わらない.三人のうち今日出席しているのはレイただ一人.窓際後方の自席で授業にはさほど関心無さげに頬杖を付いている.他の二人は,ある事情により・・・ヒカリ,そして少し眠たげにしているトウジ,何か“内職”を行ってる様相のケンスケは,昨日それを知ったわけだが・・・数日前から休み続けていた.“使徒”が攻めてくるという非常時,二人の欠席者は,今が平和な時では無いという現実を静かに示していた.
「・・・・・心賢しき者、念じて射んとすれども、他様に行きければ、荒れも戦はで、心地ただ痴れて守りあへり」
「はい,そこまで.どうもありがとう.今読んでもらったところを現代訳にしますと・・・・・」
朗読に一区切りが付き,ヒカリはお役御免となる.お役御免,今回の対使徒戦における今のレイがそうであろうか.専属乗機のEVA零号機は,修理中.稼動実績の問題で他機への搭乗も見送られ,最初から欠席中の二人とユニゾン訓練を共にすることも無かった.もし二人の訓練が順調に進んでいたならば,昨日のような出来事も無かっただろう.
EVAに乗るということについてチルドレンはそれぞれ何らかの事情を抱えているが,三人の中で過去の経歴が一切不明のレイの場合は,それが当たり前で自然のことであるかのような雰囲気を持っていた.むしろそれ以外のこと・・・例えば,今こうして学校に居ることとか・・・の方が,らしくないというか希薄に感じられるくらいに.
「この『心賢しき』は,字そのままの『賢い』という意味では無く 『精神的にしっかりした』 という
意味合いで・・・・・」
壱中にレイが転入してから一年近くになろうとしているが,その出席率は欠席の日数よりも出席の日数を数えた方が早いのではないかと思える程度.ネルフにおける訓練,検査,そして事故による負傷はその大きな要因だが,それよりも彼女が学校に通うこと自体がどこか形式的で何かを取り繕うようでさして意味の無いもの・・・どちらでも,良い・・・であったからであろうか.かりそめの,生活・・・レイにとって,殺風景と呼べる部屋に一人で住みそこから学校に通うことは,与えられた目的・使命に比べて取るに足らないことなのかもしれない.
「・・・・・今日はここまで.ここは,今度の試験に出しますからよく勉強しておいてください」
やがて授業終了の時刻が近づき,担当教師が話を締めくくった.午後の授業で一応静かになっていた教室にざわめきが戻る.それから教師が教室の外へ出て行き,生徒達は今日の最終時限が終わったということでそれぞれ にわかに帰り支度を整え始めた.レイもまた,ここに用は無いとばかりにそくさくと端末を閉じて自分の荷物をまとめる.
人類の存亡が掛かっている時においても,学校は学校として今日も機能していた.
− * −
「ちーがーうっ!!アンタ,何度ここで間違えたら気が済むのよっ!?」
少女は耳に付けていていたみずからのヘッドホンをむしり取り,怒号と共にすらりとした脚による本日2度目の必殺の蹴りを・・・随分と手荒だが・・・隣の少年に見舞おうとしていた.
「わっ」
少女と同じくヘッドホンをしていた少年はその怒号を聞き取れなかったが,微妙な殺気を感じたのか間一髪のところで一撃を外すことに初めて成功する.蹴りをかわされた少女は,思わずよろめき体勢を崩して床に手をついた.
「な,なに避けてんのよ!?」
「だって痛いじゃないか!昨日だってすぐ蹴飛ばすし!」
不様な姿をさらした気まずさと予想外の不覚を取った驚きが入り交じながら,少女は少年に避けたことを咎める.ヘッドホンを外してようやく少女の声を聞き取れるようになった少年がそれに反発した・・・ユニゾン訓練を再開したアスカとシンジである.
「アンタが間違えなければ,蹴飛ばしたりはしないわよ?」
「痛いものは,痛いんだよ.惣流は蹴られてないから分からないんだ」
アスカとシンジ,同居を始めてから十何度目かの口論になる.昨日の出来事の後,互いに少し協力的になったものの何かにつけて攻撃的なアスカに対してシンジが押されながらも反発する図は変わらない.
「じゃあアタシが間違えたら,アンタが蹴ってもいいわよ?そーんなことは,絶対無いけど」
「・・・・・・・(そんなこと,できるわけ無いじゃないか)」
シンジの反論に対して,アスカは挑発的な宣言をする.アスカの言葉に,シンジは口をつぐんだ.実際にそれをアスカに行ったらその後どういうことになるかという想定と,自分が男の子であり相手が女の子であるということが,シンジの頭の中をよぎる.
「ん?何か言いたいことでもあんの?」
「別に無いよ.それより,もう一回やろうよ・・・今度こそ上手く行きそうな気がするんだ」
「ふーん・・・ま,いいわよ.早く覚えればこんなことしなくても済むようになるんだから」
「そうだね」
「じゃ,始めるわよっ」
シンジは,面倒を避けて口論を打ち切り,訓練の再開をアスカに提案する.シンジの言葉にアスカは何か言いたげだったが,それを敢えて押し出すこと無くその提案を受け入れた.この辺りは,昨日とは少し変わった・・・のかもしれないが.
− * −
「くわっわっ」
リビングに,人ならぬモノの声が発せられる.声の主は,そのつぶらな瞳で同居人の少年少女二人・・・シンジとアスカ・・・が織り成す光景をじぃーっと見ていた.
「「(ずるずる)」」
シンジとアスカ二人して,何か食べ物を啜る音が重なる.口に入れているのは麺,ラーメンである.数日前から同居していた二人だが,ここに来て訓練以外の日常生活においてもできるだけ行動を共にするようになっていた.もっとも,風呂とかトイレとか着替えなどといった“一緒はまずかろう”については当然別々であるが.
「(ずる)やれば,できるんじゃない(ずる)」
「(ずる)う,うん,昨日とは違うね(ずる)」
麺を啜りながらしゃべるアスカの声には,ご機嫌の色が表れていた.不味いものでも食わされない限り,空腹を満たされた人間は大抵少しは穏やかになるものだが,それよりも訓練に進捗が見られたことがアスカの気分を格段に良くしていた.
「くわ〜」
「昨日までは(ずる)調子が出なかっただけ(ずる)これからよっ」
「くわ〜」
「そうだね・・・(ずる)これなら,当日までに(ずる)間に合うかも」
威勢の良いアスカと,控え目にものを言うシンジ.口調は異なるものの,食事としゃべりの間の取り方が微妙に似てきている.これもまた訓練の成果なのだろうか.
「間に合うかも,じゃなくて,間に合わせるのよ!」
「う,うん・・・」
「くわっくわ〜(コンコン)」
先ほどから声を上げていたモノがひときわ大きい声を上げ,乾いた音を立てる.首元に“PEN2”と彫られたリングを提げたペンギンが空の皿をくちばしで叩いていた.
「あ,ごめん.ペンペンもご飯だったね.えっと・・・」
「くわぁ」
シンジ達にご飯を要求したペンギンの名前は,ペンペンと言う.飼い主であるミサトによれば,温泉ペンギンという新種で,シンジ達よりもずっと前から葛城家に住んでいる.
「ん?これ食べたいの?」
「(こくこく)」
シンジがペンペンのご飯をどうしようかと思ったその時,ペンペンが目の前の食べ物を見て何やら物欲しそうに声を上げた.その姿を見たシンジが箸で麺を持ち上げながら尋ねると,ペンペンは縦に首を振る.
「ラーメンが食べたいだなんて,変わってるわね」
「うん,人間が食べる大抵の物は食べられるみたい」
「ふーん,そうなの」
「くるるぅぅ」
葛城家で同居生活を始めて日の浅いアスカが,感想を口にした.シンジ,そしてアスカがラーメンをえさ皿に分けると,ペンペンは嬉しそうな声を上げる.なかなか知恵の付いたペンギンである.
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・
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「「「(ずるずるずる)」」」
それから一分後,麺を啜る三重音が葛城家のリビングに響いた.
2000.02.24 Ver.1.00
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