夕方と言うにはまだ早い,午後の授業が終わって学校から家に帰り着いた・・・頃合い.
「そう.アタシ,ミサトの家に住むことになったから」
左頬に押し当てた受話器を通して,アスカは数日前正式に決まった出来事を電話先の相手に話していた.ちなみに,今の彼女が発している言葉は日本語では無く,ドイツ語である.
「・・・ミサトと,サードチルドレンと,変なペンギン」
「くわっ」
同居人の構成を挙げたアスカの言葉に反応するかのように,傍らに居た温泉ペンギンのペンペンが鳴き声を上げる.それが分かっていてのものなのか単なる偶然かは不明・・・恐らく後者の方と思われるが.
「・・・え?大丈夫かって?ぜーんぜん,平気よ.子供じゃないんだし」
明るい声で,アスカは相手に応える.
「・・・選ばれたEVAのパイロットが,たかだか数千キロ離れたくらいで音を上げるわけ無いじゃない?
ま,何かの間違いで選ばれたようなのも居るけど」
ユニゾン訓練で投げ出しかけたことは棚に上げ,アスカは続ける.“何かの間違い”というのは,シンジのことだろう.この辺りは,彼女の強がり・・・と取るべきなのだろうか.
「・・・だって,アイツったら全然なってないのよ?・・・え?・・・ん〜・・・」
電話口で,アスカは眉根を寄せる.幼少の頃からEVAのパイロットとしての資質を見出され,様々な正規の訓練を受けてきたアスカにとって,何の訓練も無しにEVAに乗ったシンジはある意味では「不条理」とも言える存在でもあった.
「・・・はーい,分かりましたーっ」
不承不承といった面持ちで,アスカは返事する.どうやら,シンジに対する物言いをたしなめられたらしい.
「・・・ところで,そっちはこれから出勤でしょ?長話してていいの?」
日本では夕方前の時間だが,彼女の郷里であるドイツは朝方の時間であった.
「・・・はーい.それじゃね,ママ.」
電話の相手は,アスカの母親であった.第七使徒イスラフェルとの決戦前夜,夢の中で流した涙はいわゆるホームシックによるものなのだろうか?
「ふぅ」
電話を切った直後,アスカの口から息が漏れる.少し疲れた,といった感じで.
「苦手なのよね・・・嫌いじゃないけど」
誰に言うでもなく,日本語でアスカは呟く.ドイツで育ったにも関わらずアスカが普通に日本語を話せるのは,彼女の家庭で普段から日本語が使われていたことが少なからず影響している.
「・・・さぁーってと,急がなくっちゃっ」
母親との電話のことはさておき,アスカは自分の部屋に戻りいそいそと身支度を始める.これから,ドイツに居た頃からの知り合いである加持に修学旅行用の買い物を付き合ってもらう約束なのだ.今の彼女にとって,加持は一番の憧れの人だった.
− * −
アスカが加持さんと買い物に出掛けていたその頃,僕は綾波と本部内の控室で待機していた.
『零号機と初号機が“似てる”ってどういう意味なんだろう・・・』
実験中にリツコさんが言っていたことが,僕の頭に引っ掛かっていた.見た目,全然似ていないのに.
ヤシマ作戦からの修理後,山吹色から青に塗りかえられた零号機.初号機とは頭の形が全然違うし,他の部分とかも・・・良く分からないけど・・・零号機の方が簡単な作りのように見える.
「・・・似てるって,変だよね?」
僕がそのことを口にしたのは,たまたまだったと思う.次の実験までの待ち時間,プラグスーツのままで手元にS−DATも無くて手持ち無沙汰だったというのもあったけど.
「・・・・・何が?」
少し間があってから,綾波が問い返す.
「零号機と初号機.全然似てないのにね?」
当たり前なことを,僕は続ける.でも,綾波の答えは意外なものだった.
「・・・見た目や形が,全てとは限らないわ」
「え?」
「・・・初号機,私が乗るかもしれなかったもの・・・・・」
「あ・・・」
綾波の返答に,僕ははっとする.綾波が初号機に乗ったという実績は(僕が聞いている限りでは)無い.ただ,EVAを動かしているシステムを書き換えれば,初号機に綾波が乗れることは以前に聞いたことがあった.
「ごめん・・・」
何だか自分が幼稚なことを言ってるような気がしてきて,その気まずさで僕は反射的に謝ってしまう.
「・・・なぜ謝るの?」
「いや・・・その・・・そ,そう言えば,修学旅行が近いよね?綾波は,準備とかした?」
綾波の問いに答えようが無くて,僕は強引に話題を学校のことに切り換えようとする.学校行事で,沖縄への修学旅行があるのだ.特に楽しみだとかそういうことは無いけど,とにかく話を逸らせたかった・・・みっともないけど.
「・・・してないわ.必要無いから」
「どうして?」
「・・・私達,EVAのパイロットだもの」
「あ・・・そっか.待機・・・だよね.きっと」
「・・・ええ」
綾波の答えは簡潔で,その様子はいつもと変わらず淡々としていた.
異聞 「マグマダイバー」 A Part
Written by VISI.
「はぁ」
僕はため息を吐いていた.ここは,本部施設内のトレーニング用のプールサイド.
結局沖縄への修学旅行は,戦闘待機のため僕達パイロット3人は行けないことになった.トウジやケンスケ,クラスの他のみんなは,今頃は現地で各所を廻っていることだろうと思う.ただ,僕がため息ついていたのはそのことでは無かった.
『熱膨張?幼稚なこと,やってんのね?』
この前の定期試験の出来は,散々だった.第3新東京市に来てから学校の成績は少しずつ下がり続けていたけど,今回はミサトさんに見せたくないくらいひどかった.アスカも同じことをしていて僕と変わらないかと思ったんだけど,違ってたんだ.
『とどのつまり,物ってのは暖めれば膨らんで大きくなるし,冷やせば縮んで小さくなるってことじゃない?』
『そりゃそうだけど』
アスカの点数が悪かったのは,問題文の日本語が読めなかっただけで学力の問題じゃなかったんだ.問題の内容を理解すると,アスカは僕の目の前であっという間に解いていったんだ.みんな,勉強しているんだ・・・アスカも,綾波も.
『私の場合,胸だけを暖めれば,少しはおっぱいが大きくなるのかな?』
『そ,そんなこと聞かれたって,分からないよ』
『・・・つまんない男』
アスカの言う通りかもしれない.こういった時,面白いこととか言えないし・・・加持さんとかだったら,上手く切り返せるんだろうけど.その上,その時に,セパレーツ水着のアスカの・・・その・・・胸とか,お尻とか・・・水から上がって,髪を拭いている綾波の仕草に・・・その・・・妙な気分を感じてしまって・・・本当に,つまんなくて(ほとぼりは冷めたけど)“変態男”なのかもしれない・・・僕は.
− * −
「シンジ!」
プールから上がったアスカがスクーバ装備を下ろして水を滴らせながら僕の側に来たのは,やり掛けの練習問題を何とか自力で解き終えた頃だった.
「なに?」
「アンタは,泳がないの?」
「あ・・・僕はいいよ・・・勉強,しなきゃいけないし」
アスカの問いかけに,僕は次の問題が映し出された携帯端末のディスプレイを見ながら答える.勉強は好きじゃないけど,しないと怒られる・・・と思うし.それに・・・・・
「はぁ〜・・・折角プールに来ているんだから,着替えて少しは泳いだら?
勉強ばっかりしていちゃ,身体が腐っちゃうわよ?」
「いいよ・・・本当に.それに・・・」
「それに?何?」
「・・・いや,何でもないよ」
「何よー?言いたいことがあるんなら,はっきり言ってよね?もやもやして,こっちが気持ち悪いじゃない?」
「・・・泳げないんだよ・・・」
アスカの追及に,僕はぼそっとした声で答える.
「はぁ?今,何て言ったの?」
「泳げないんだよ・・・僕は」
「はぁ!?アンタ,泳げないの!?」
「そう.だから,いいんだ・・・」
そう,僕は泳げない・・・情けないことではあるけど.
「じゃあ,これを機会に今から練習しなさいよ?特別に,このアタシが泳ぎ方を教えてあげるから」
「え?い,いいよ・・・」
「遠慮なんかしなくていいのよ?」
「本当にいいんだってば・・・もう諦めてるし・・・別に,困らないし」
アスカの申し出を僕は断った.水に関して,あまりいい思い出を僕は持っていない.学校の水泳の授業とかも落ちこぼれていたし.それに,泳げないからといって困ることは(体育の水泳の授業以外では)無いし.ただその時,僕からの返答を聞いたアスカの顔を僕は見ていなかった.
− * −
「・・・ちょっと立って.シンジ」
「何で?」
「いいから!とにかく,アタシの言う通りにしなさいよ!」
「う,うん・・・」
一呼吸の間の後,落ち着いた口調でアスカはシンジに席を立つよう命じた.突然の命令に戸惑いを返すシンジに,アスカは苛立ちの混じった声で指示に従うよう言う.それを受けて,シンジは良く分からないといった顔をしながらも立ち上がった.
「そこからこっちに三歩歩いて」
それからさらに,アスカは自分の方・・・プール側・・・に来るよう指示する.シンジは三歩進んでアスカの隣に立つ.目の前には,なみなみとした水面が広がっている.
「シンジ.さっき,“別に困らない”って言ったわよね?」
「う,うん.言ったよ・・・」
「じゃあ,こうされてもっ!?」
アスカの問いにシンジが答えた次の瞬間,アスカはシンジの背中を思いっきりプールに向けて突き飛ばした.
「うわっ」
アスカのまさかの行動に不意を衝かれたシンジは,制服のまま着替え無しでプールへと追いやられる.何とか踏み止まろうとしたシンジだったが,そこへさらにアスカから一押しされて,勢い良く捻りを加えながら水の上に飛び出してしまう.直後,派手な水音が周囲に響き渡った.
「・・・ぷはっ.な,何するんだよっ.アスカっ!?」
「こーゆー時,困るでしょ?」
いきなりのご無体なアスカの所業に,水面から顔を上げたシンジが抗議をする.だが,プールサイドのアスカはシンジの抗議を涼しげに受け流していた.
「・・・だ,だからって・・・けほっ・・・プールに・・・落とすことっ・・・ないじゃっ・・・ないか!」
「できないからって,最初からウジウジ諦めたりしないの!だったら,できるように何とかしてみなさいよ!」
左手を腰に置き,右腕を大きく横に振り回し伸ばして,アスカはシンジに勢い込むように言った.
「そ,そん・・・なっ・・・ごほっ・・・」
「・・・アタシは今まで,ずっとそうしてきたわ」
「(バシャ バシャ バシャ)」
それから一息置いて,水面のシンジを見下ろしながらアスカは先程は打って変わって落ち着いた口調で続ける.ただアスカのそのあり方はともかく,シンジの方は溺れないように必死なためなのか,彼女の言ってることは殆ど聞こえてないようだった.
「・・・何でコイツがEVAのパイロットに選ばれたんだろう・・・・・」
プールサイドでアスカは呟く.EVAに対する適性,それが何よりも必須で最優先条件ということは頭では理解している.だが,“どうして,シンジが?”という思いはEVAへ乗ることに並みならぬこだわりを持つアスカにとってそう簡単に頭の中から拭い去られるものでは無かった.
・
・
・
「(んーっ!!バシャバシャ)」
「・・・ったく.今,助けるわよっ」
アスカがしゃべっているうちに,次第にシンジの方に余裕が無くなってきた.このままでは,本当に溺れてしまうだろう.泳げない人間を水に突き落とすという暴挙に出た彼女だが,ここでサードチルドレンの息の根を止めようというつもりは全く無かったので,アスカはシンジを助けにプールに入った.
「(んーっ!んーっ!!!)」
「ちょ・・・っと,暴れるのを・・・止めなさいって」
「(バシャバシャ)」
「あ痛っ・・・こらぁっ,蹴っ飛ばすんじゃないっ」
正面から救出に動いたアスカだったが,ジタバタもがくシンジにてこずっていた.元々「冷静」という言葉に縁遠い性質であるかつ泳ぎの何たるかを全く知らない人間が溺れることに対する恐怖の大きさからすれば,人の言うことが何も耳に入らないというのも無理も無い.
「(バシャン! むぎゅっ)」
「ちょっ・・・どこ触ってんのよっ!(バシッ)」
身体を掴まれて,アスカは反射的に突き飛ばしてしまう.じゃれあってるのならば,これはこれでそれなりに楽しいシチュエーションだったのかもしれないが,今はそのような状況では無い.そんなこんなしていた中で,水に飛び込む音がしたのを,シンジもアスカも気づかなかった.
「(んんっ!?ゴボゴボ・・・)」
背後から不意にシンジの後頭部へ圧力が掛かった.その力でシンジの頭が水の中に沈み込む.
「・・・ぷはっ」
それから一拍置いて,シンジの頭が水上に持ち上げられる.直後,彼の身体が白くほっそりとした両腕によって背後からしっかりと抱きかかえられる.後から飛び込んだのは,レイだった.
− * −
「・・・けほっ」
「・・・・・・・」
プールサイドに押し上げられたシンジは,溺れかけていた間に少し飲み込んでしまった水を吐き出す.彼は全身濡れネズミでみすぼらしい姿になっていたが,生命には別状無かった.
「あ,ありがとう」
「・・・あなた,何のためにここにいるの?」
「ご,ごめん・・・」
それから人心地の着いたシンジは助けられた礼を述べるが,レイの言葉と口調は素っ気無く冷ややかなものだった.謝るシンジ.しかし,レイの視線はアスカの方を向いていた.
「ちょっとした気分転換よ.シンジったら,つまんなそーに勉強してたから」
レイの視線をアスカは正面から受け止め,平然と言い返す.シンジがつまらなさそうに勉強していたのは事実であったが,“気分転換”というのはもちろんアスカの方弁である.
「・・・溺れさせることが?」
「別に溺れさせるつもりなんて,無かったわよ.だいたいミサトが『戦闘待機』だなんて
言い出すから,アタシ達修学旅行にも行けずにここで退屈してるんじゃない?」
「・・・それがパイロットの任務だもの」
「あっそっ.さっすがは,“優等生”.アタシとは,心掛けが違うってこと?」
「・・・別に心掛けてないわ」
「はん!本っ当に“優等生”ね,アンタって・・・行くわよっ,シンジ」
少し苛立ちの混じった声で,アスカはシンジについて来るよう促す.レイの素っ気無いかつ従容とした態度が,アスカの癇にさわっていた.またさらに付け加えるならば,シンジの救出に横から手を出されたこともちょっとばかり面白くなかった.
「えっ?どこに?」
「ランドリー.服,乾かさないと風邪引くわよ」
「う,うん・・・」
唐突に一緒に来るよう言われて,シンジは戸惑いの声を上げる.アスカの答えは明快だった.確かにこのままだと風邪を引いてしまう.先を行くアスカの後を,シンジはずぶ濡れの服を引きずりながらついて行った.
『・・・情けない・・・』
暴挙に走ったアスカへの怒りよりも,無様な自分のありように落ち込むことの方が先に立つシンジであった.
2000.04.14 Ver.1.00
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