グレーの髪をオールバックにした,50代の・・・見方によってはもっと年齢を重ねているようにも見えるほっそりした男が背筋を伸ばして立った姿勢で,左手に文庫サイズの本を開き,右手の指先に2〜3cm位の「桂馬」と書かれた五角形の木片・・・将棋の駒を宙にさまよわせていた.
「・・・結局,使徒の捕獲はできずに殲滅.思い通りにはならないものだな」
彼の傍にある机上に置かれた将棋盤に駒を打ちつけながら,男は呟く.話の内容は彼の仕事に関わるものだが,将棋の駒を打ちながら話すその姿はどこかただの世間話をしているようにも見える.
「仕方あるまい.捕獲が不可能になった以上,使徒の殲滅が最優先だ」
その男の呟きに,40代くらいの大柄の男が応える.サングラスにあご髭を蓄えた大柄の男は,将棋盤の置かれた机上に両肘をついて眼前で手を組み,何か思案げな様子を醸し出しているような感じで席に着いていた.
「その通りだが・・・弐号機は左脚を損失,初号機は装甲を高熱で損傷,本部で待機の零号機は
先刻トラブルが発生して再調整が必要・・・今,使徒に攻められたらまともな戦術も立てられまいよ」
会話を交わす二人の男が居る部屋はだだ広く,その中に彼らの居る所に机がぽつんとある様は見る人によってはスペースの無駄という印象も受ける.部屋の床と天井には,円と線で構成された幾何学的な雰囲気のする図形・・・「セロフィトの図」と呼ばれる宗教図が描かれている.
「・・・今は修復を急がせるだけだ」
そんな部屋に居る二人の男は,ネルフの司令と副司令.席に着いている男は,碇ゲンドウ.ネルフの最高責任者であり,シンジの父親でもある.そして,将棋を指しながら状況を話していた男は,No.2である冬月コウゾウ.この部屋は,ネルフ司令であるゲンドウの執務室であった.
「また,委員会の老人達の嫌味を聞くことになりそうだな」
「連中には,言わせるだけ言わせておけばいい」
少しため息をつくような感じで語る冬月に,ゲンドウは無感動そうに応える.それから,ゲンドウは目の前で組んでいた手を解くと席から立ち上がった.
「・・・行くのか?」
「ああ」
「・・・・・・・」
冬月に応えると,ゲンドウは出口に向かって歩き出す.その本心の図り難い彼の背中を,冬月はやや渋そうな・・・それは平生の時とさして変わらないかもしれないが・・・表情で見送っていた.
異聞 「マグマダイバー」 D Part
Written by VISI.
「・・・膨張してしまった・・・恥ずかしい・・・」
下腹部に起きた“異変”に,僕はお湯の中に顔を半分沈めてしまっていた.使徒との戦いが終わって一段落した後,そのまま地元の温泉宿に泊まることになった僕とミサトさんとアスカは夕日の射す頃,宿の露天風呂に入っていた.
『アスカの肌ってすっごくプクプクして面白い』
『やだぁ,くすぐったぁいぃ』
『じゃ,ここは・・・』
『あははぁっ,そんなとこ触らないでよっ』
『いいじゃない,減るもんじゃないしぃ』
衝立ての向こうから聞こえてきたミサトさんとアスカのやり取りに,その・・・頭の中で“思い描いて”しまって・・・ホント,恥ずかしい・・・・・
「くわわっ」
目の前で,ペンペンが鳴き声を上げる.数十分前,加持さんが宅急便でここに送ってきたんだ.“温泉ペンギン”というだけあって,ここに来たことをペンペンはとても喜んでるみたいだった.
− * −
「・・・・・・・」
シンジの傍らにある衝立ての向こう・・・女湯では,ミサトとアスカは並んで露天風呂の岩棚に腰掛けていた.外気にあたってお湯で火照った体を冷ましていた二人だったが,ふとアスカの視線がミサトの胸元に固定される.そこには,大きな傷痕が刻まれていた.
「・・・ああ,これね.セカンドインパクトの時,ちょっちね・・・」
「・・・・・・・」
裸身のミサトの胸元にある傷痕.それは,セカンドインパクトの際に彼女が負ったものだった.西暦2000年の9月,南極大陸で起きた大災厄.彼女は発生当日現地に居た人間であり,そこでの唯一の生き残りであった.
「・・・知ってるんでしょ.アタシのこともみんな・・・」
「・・・ま,仕事だからね」
少し間を置いて,アスカが呟く.ミサトはその立場上,アスカの過去について大体のことを知り得ていた.幼少の頃,アスカは母親を自殺という形で亡くしている.今のアスカの母親は,彼女にとって実の母親では無く,その関係は険悪とまでは行かないまでもどこか噛み合わないものがあった.
「お互いもう昔のことだもの・・・気にすること無いわ」
遠景を眺めながら,ミサトは呟くように続ける.「気にすること無い」とアスカには語ったミサトだが,あの日の出来事は今も彼女に大きな影響を与え続けていた.
− * −
「・・・・・・・」
膨張してしまったものが落ち着くのを待って,僕は半分沈めていた顔をお湯から出す.それから,両手を出して左右の手の平を見た.
『やけどしてない・・・』
初号機でマグマの中に飛び込んでアスカの弐号機を掴みに行ったその前後,わずかに感じた痛み.僕自身が高熱にさらされたわけじゃないけど,神経接続のレベルを落としてると分かっていたけど,一瞬ヒヤッとした.
『落とさなくて,良かった・・・』
目の前で,知ってる人が死んでしまうのは嫌だったから・・・トウジでも,ケンスケでも,綾波でも,ミサトさんでも,アスカでも.飛び込む時,ミサトさんはもし失敗してもそれは僕の責任じゃないって言ってくれたけど.
『できないと思う前にやってみたらどうなの!?』
『・・・なら,練習すればいいのに』
「・・・・・・・」
僕は今一度,お湯の中に潜り込んだ.
(バシャバシャ)
「何やってるのーっ!?」
「な,何でもないよーっ」
「そう?」
『・・・何やってるんだろ・・・』
僕が立てた水音に,衝立ての向こうのアスカから何事かと尋ねる声が飛んできた.僕は半ば取り繕うような感じでアスカに応える・・・ホントに何やってるんだろう.
『嫌だったと言うより,ホントは・・・見限られるのが怖かった,だけなんじゃないのか?・・・僕は』
「くるるぅぅ」
そんな僕の横で,ペンペンは嬉しそうにお湯の中を泳ぎまわっていた.
− * −
「ぷっぱぁ〜っ.やーっぱり,風呂上がりのビールは最高よねぇ」
「家に居る時と,同じこと言わないでよ.気分が出ないじゃない」
「いーじゃない,美味しいものは美味しいんだから♪」
コップに注がれた黄金色の液体を一気に飲み干して一言のたまうミサトに,アスカは半分呆れ顔で文句を付けた.旅館の浴衣に着替えた彼女達の前には,普段は縁の無いような豪勢な料理が卓上に並べられている.
「・・・でも,いいんですか?リツコさん達,先に帰っちゃいましたけど?」
「ま,仕方ないわよ.作戦は終わったけど,EVAのメンテナンスがあるからって」
彼女達と同じく,浴衣に着替えていたシンジがミサトに尋ねる.浅間山に出掛けたネルフ職員のうち,リツコを始めとする一部のスタッフは宿に泊まらずにそのまま第3新東京市に帰投していた.
「何か悪いですね」
「いいの,いいの.人それぞれ違う役割があるんだから.人生,楽しめる時に楽しまなきゃ損よ♪」
「はあ・・・」
「とか何とか言って,自分の仕事を誰かに押し付けたって落ちじゃないの?」
「(ぎくっ)」
少し申し訳なさげなシンジに手の平をひらひらさせて軽く応えたミサトだったが,アスカの突っ込みに彼女の動きが止まる.・・・ひょっとして,「図星」なのだろうか?
「そうなんですか?」
「そ,そんなこと無いわよぉ.作戦部なんて,使徒が来なければ暇なものなのよ?」
「本当ですか?」
「怪しいものだわ」
「う・・・・・」
あまりにもストレートなミサトの反応に,シンジもまた疑問の眼差しを向ける.否定をするミサトだったが,二人共あまり信じていない様子だった.そんな二人に,さすがのミサトも少し汗ジト状態になる.
「えーい,あんまりうだうだ言うと,今から直ぐにここを撤収するわよ!?
とにかく,今夜は温泉に浸かって,美味しいもんを食べて,パイロットの鋭気を養うっ.
これは,作戦行動の一環よ!さあ,シンちゃんもアスカも食べなさい!飲みなさい!」
だが次の瞬間,ミサトは一気に言葉をまくしたてていた.どうやら,強引に押し切ることにしたらしい.彼女は瓶を手にすると,二人のグラスにそれぞれビールを注いだ.この時の彼女に「保護者」という言葉は,良識の圏外に行ってしまったようだ.
「僕達,未成年なんですけど・・・」
「職権濫用よ!ミサト!ま,今回は特別に従ってあげるけど」
ビールを注がれたシンジは,ミサトに代わって「良識」を指摘する.アスカもまたそれに同調するかと思われたが,彼女はコップに口をつけ,その足並みはあっさりと崩れた.
「あっ・・・駄目だよ,アスカ.ビールなんか飲んじゃっ」
「つまんないこと,言わないの!シンジ!今は“作戦行動中”なんだから,日本の法律は適用されないわ」
「そうそう,ネルフは治外法権だから〜♪」
「そんなぁ,無茶苦茶なぁ・・・」
ビールを飲み出したアスカにシンジは慌てるが,アスカとミサトはネルフの特殊性を盾に事を正当化しようとする.確かにネルフは組織として強力な権限を持っているが,少なくとも未成年者にお酒を飲ませるためのものではない・・・はずである.
「だいたいパイロットの鋭気を養うって言うなら,何で綾波も呼ばないんですか?」
「あ〜レイの場合,私の一存じゃ動かせないのよねぇ.使徒と戦ってる時は別だけど,
それ以外の時は,碇司令とかに聞かないと,ね」
「父さん,ですか・・・・・」
「あ・・・・・」
ミサトの「こじつけ」とも言える理由付けに,シンジは尤もな指摘をする.それに対して,ミサトはレイの微妙な立場をつまびらかにした.ミサトの口から父親のことが出てきて,シンジの顔が少し曇る.
「あ・・・いえ・・・別に気にしてませんから」
「・・・・・・・」
ちょっと間の悪さげな感じになったミサトに気づいたシンジは,やや慌て気味に言葉を取り繕う.彼が父親とずっと疎遠で上手く行ってないことは,事実としてあった.ミサトはシンジの顔をじっと見て,それからすっと立ち上がる.
「ま,今夜はそういったことは置いといてぇ,シンちゃんも大いに飲みなさいっ」
「ミ,ミサトさんっ」
それからミサトはシンジの側に寄って彼の頭を小脇に抱えると,空いてる方の手で髪をくしゃくしゃにした.彼女の柔らかい肌と豊かな胸が浴衣越しに抱えられたシンジの頭部に当たり,その感触に彼はドギマギする.
「ちょっと,何やってんのよっ!シンジ!エッチ.スケベ.変態男!」
「シ〜ンちゃんったら,赤くなっちゃってぇ〜,可愛い〜」
「放しなさいよ!ミサト!シンジのバカが変な気起こしたら,どうするのよっ!?シンジも離れなさいよ!」
「ア,アスカ,苦しいぃ・・・」
ミサトのいきなりな行動に,アスカが騒ぎ立てる.だが,それ位で引き下がるようなミサトでは無かったし,逆に面白がって二人を振り回す.場は食事から宴(うたげ)へと切り替わって行った.
「くわわ〜(はぐはぐ)」
狂乱と大騒ぎの三人を尻目に,ペンペンはシンジ達に分けてもらった宿の料理を突ついていた.
− * −
「はぅ・・・」
それから数時間後,宿の建屋の張り出しに浴衣の少年が一人佇んで外の夜空を眺めていた.シンジである.かつての四季のある国から常夏の国に変わってしまったとは言え,山の空気でやや気温の下がった夜の外気は,アルコールが入って火照った身体には心地良い.ミサトの「暴走」によって,シンジも(少しだけだが)お酒を飲まされていた.
「そこで,何やってんの?シンジ」
「あ・・・ちょっと眠れなくて・・・ミサトさんは?」
「すっかり寝てるわ.まったく呑気なものね」
そんなシンジを誰何する声・・・アスカは,つかつかとシンジの所に歩み寄ると横に並んで同じく外の景色を見た.普段飲みつけないものを飲んで神経が昂ぶってしまったのか,シンジとアスカは中々直ぐに寝付けないでいた.
「・・・今日のミサトさん,いつにも増して破目を外していたね」
「温泉宿で豪華な食事,しかも経費でタダ,だなんてそうあるもんじゃないからじゃないの?」
「はは・・・そうかもしれないね・・・」
先だってのミサト主導の宴を思い出し,シンジは話す.アスカの指摘に,シンジも軽く笑った.
「・・・借り,作っちゃったわね」
それから,アスカは少し引き締まったような顔になると,呟くようにシンジに言った.アスカの言う「借り」とは,マグマの中でシンジの初号機で助けてもらったことを指していた.
「借りだなんてそんな・・・気にしなくていいよ」
「良くない!」
アスカからの言葉に,「借り」とか「貸し」とかのつもりの無かったシンジは戸惑いを見せる.それに対して,アスカは強い調子で言い切った.
「とにかく,近いうちに必ずこの借りは返すから!いい?」
「分かったよ・・・それでアスカの気が済むなら,いいよ・・・」
「そう?分かれば,いいのよ」
「・・・あのさ」
「何よ?」
「ひょっとして,このことを言うためにここに来たの?」
「な・・・アンタ,バカァ!?そんなわけ無いじゃない?
酔い覚ましでここに来たところに,たまたまアンタが居たから思い出しただけよ!?」
「そ,そうだよね・・・アスカ,随分飲んでいたもんね」
「そんな飲んでないわよっ.ミサトじゃあるまいし」
「そうかな・・・」
「アンタって細かいわよっ.男のくせに」
アスカに押し切られる形で,シンジはうなずく.うなずいたシンジに,アスカはほっとしたような満足げな表情になる.そんなアスカの様子に,シンジはふと思ったことを尋ねた.するとアスカはやや気色ばみながらまくし立て,次第に話がずれて行く.
・
・
・
「・・・わざと,はしゃぎ過ぎ・・・だったかな・・・・」
一方,アスカの抜けた寝室では,寝ていたはずのミサトが枕に頭を横たえたまま呟いていた.
− * −
「大丈夫だったか?」
「・・・はい.乗っていた訳ではありませんでしたから」
「そうか・・・なら,いい」
テーブルを間に挟んで向き合う,一組の男女.二人とも制服姿であったが,一方はネルフのもので,もう一方は学校のものであった.ゲンドウとレイである.
D型装備は規格外ということで本部待機を命じられたレイと零号機だったが,仮に零号機に装着可能だったとしても出撃は無かったと思われる.ヤシマ作戦で受けた損傷の修復後,動作がまだ安定してなかったのだ.
「・・・・・・・」
テーブル上に料理が揃った後,レイは無言で箸を付け始める.彼女の嗜好なのか盛り付けられた皿には肉類が全く見られず精進料理に近い感じがしたが,それでも普段の彼女の食生活から比べると「きちんとした食事」であった.料理を口に運ぶレイを,ゲンドウは穏やかな眼差しで・・・普段からはあまり想像付かないが・・・見ていた.
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
それから,互いに無言のまま箸を進める.ネルフ司令という非常に忙しい身の上のゲンドウであったが,レイとは折を見ては一緒に食事を取る機会を持っていた.
『・・・なぜ?』
『必要・・・だからだ』
『・・・はい』
初めてゲンドウがレイを食事に誘った時,こんなやり取りがあった.レイの問い掛けに,ゲンドウは今と同じ穏やかな視線で答えたものである.
その眼差しに,その時のレイは・・・その希薄と言える感情の中で・・・望ましいもの,好ましいと思しきものを感じていた.だが,いつからだろうか,彼女が何か違うと気づき始めたのは.彼の眼差しが,何かのフィルターを通しているように感じられるようになったのは.
「・・・・・・・」
いつの間にか,レイの箸は止まっていた.
「・・・どうした?レイ」
「・・・何でもありません」
「そうか・・・」
「・・・・・・・」
ゲンドウに問い掛けられて,レイは抑揚の無い口調で答える.それは,当然のことなのかもしれない.自分は違うモノなのだから.そして,彼女はまた無言で箸を進めた.
“何かを選ぶことは,何かを捨てること”
後にある人がその思い人に似たようなことを語ったりもしているが,恐らくこのゲンドウもまたあるものを選び,そしてそれ以外のものを切り捨てたのだろう.ただ,選んだもののために切り捨てたものが必要になったのは,何と皮肉なことだろうか.選ぶ者にとっては皮肉.選ばれなかった者にとっては残酷.それが正しいにせよ間違っているにせよ,そうすることを彼は選んだ・・・自分の望みを叶えるために.
「・・・・・(カタン)」
テーブル上の料理が片付けられ,ゲンドウは椅子を動かし先に席を立つ.
「・・・レイ」
「・・・・・・・」
「・・・疲れただろう.今日は帰って休め.私は先に行く」
「・・・はい」
立ち上がったゲンドウはレイにそう告げると,くるりと背を向けて出口へと歩き出す.この後も,司令としての職務が彼を待っていた.立ち去る彼の背中を,レイはその姿が物陰で視界から消えるまで無言で見続けていた.
2000.05.21 Ver.1.00
2000.07.02 Ver.1.10
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