「ただいま・・・」

 シンジが葛城家に帰り着いた時,日は沈み周囲は暗闇に包まれていた.雨に濡れた傘を玄関の脇に邪魔にならないように置き,脱いだ靴をきちんと揃える.

 「お帰り.遅かったわね?シンジ」

 「あ・・・うん,ちょっと寄り道してたから」

 「寄り道って?」

 「プリントを届けに.先生に頼まれて」

 家の中から女の子の声が掛かる.ユニゾン訓練以降,葛城家で一緒に同居しているアスカである.アスカの問いに答えながら,シンジは鞄を置きに自分の部屋に歩いて行く.

 「相方の子と一緒に?」

 「ううん.頼まれた時は,僕だけだったから」

 「はぁ〜・・・そういう奴だったわね,アンタって.で,誰の?」

 自室で鞄を置きながら一人で行ったと答えるシンジに,アスカは半分呆れたようなあるいはやや小馬鹿にしたとも取れそうな口調になる.

 「誰のって?」

 「アンタ,バカァ?プリントを届けに行ったとこよっ」

 「・・・なんだ.だったら,綾波のとこだよ」

 「ファースト?そう言えばここんとこ休んでたわね・・・アイツ,家に居たの?」

 「うん,ネルフから戻っていた」

 「また,ネルフ?ファーストばっかり・・・いい御身分よねぇ?」

 「仕方ないよ.零号機の再起動実験があったんだから.僕が会ったのも丁度帰ってきた頃だったし」

 「何?ファーストの味方をするわけ?」

 レイの名が出てきて,アスカの眉がぴくっとわずかに反応する.シンジはそれに気づくこと無く,緑のエプロンを手に台所に向かった.エプロンを身に着け,急いで夕食の準備に取り掛かる.料理に限らず,葛城家の家事の大半はシンジが受け持っていた.一応最初の頃は,当番制だったようだが・・・・・

 「別に,そんなんじゃないけど」

 「大した実力もないのに,特別扱いされちゃってさ・・・」

 台所に立つシンジの背に向けて,アスカは不満をぶちまける.何をもって(EVAを操縦する)実力とするかはその物差しにもよるが,少なくともEVAを思い通りに動かすのに必要となるシンクロ率・ハーモニクスの数値に関してはアスカが三人の中ではダントツであった.

 「そうかな・・・」

 「そうよっ.実力では,アタシが一番なのよ?」

 「うん・・・でも,綾波の場合,その代わりって訳じゃないと思うけど,
 僕達よりも沢山色々と面倒な実験を受けさせられてるみたいだよ」

 「分かってるわよ.まあ,アタシも退屈な実験は好きじゃないしね.
 でも,ファーストってさ,なーんか碇司令のお気に入りみたいで,嫌な感じ」

 「そう・・・・・」

 「あーあ,つまんないのーっ」

 「晩ご飯,スパゲッティとサラダにするけど,いい?」

 「ん?いいわよ,何でも.早く作ってよね?」

 「うん」

 アスカの話にゲンドウのことが出てきてシンジの顔がやや曇るが,背を向けた形で支度しているので彼女に彼の表情の変化は見えない.シンジは夕食のメニューについてアスカに問い掛けると,ガス台下の扉を開けて大鍋を取り出す.帰りが遅かったためか,手早く作れるものにするようだ.

 「ふぁ〜やぁっぱり,風呂は命の洗濯よねぇ・・・」

 「あ,ミサトさん.ただいま」

 「お帰りぃ,シンジ君.今日は遅かったのね?」

 シンジが水をたっぷりと張った大鍋をガス台に載せて火にかけていると,ノースリーブのシャツにショートパンツ,肩からタオルを掛けたラフな格好をした長髪の女性が,とってもご機嫌な様子で入ってきた.ミサトである.

 「・・・ええ.晩ご飯,今作ってますから」

 「早く頼むわね.お腹,もうペッコペッコだわ」

 「はい」

 「シンジ,ファーストのとこに寄ってったんだって」

 先程のアスカの時と一部似たような会話をミサトと繰り返すと,シンジは冷蔵庫から買い置きしてあった食材を取り出す.お湯が沸くまでの間にソースとサラダの用意を済ますつもりのようだ.レイの所に寄っていたことを,アスカが話す.

 「レイの所に?へぇ〜そうなのぉ・・・」

 そのアスカの話に,ミサトは意味ありげな笑みを浮かべ,ご機嫌だった声のトーンが一段と軽やかなものへと変わった.

 
異聞 「静止した闇の中で」 C Part
Written by VISI.



 「くわわっ!?」

 「なぁーんでっ,それでアタシがシンジのことを気に掛けてることになるわけ!?」

 そう言って,アスカはフォークを握った手で食堂のテーブルをドンと叩いた.そのアスカの勢いに,ペンペンがびっくりしている.晩ご飯の用意ができて,最初はみんなで普通に食べていたんだけど・・・・・

 「あら,違うの?」

 「違うに決まってるじゃないっ!たとえ世界が滅んでも,そんなのぜぇーったいに有り得ないわっ」

 「そんなこと言っちゃっていいの?素直にならないと後悔するわよぉ?」

 ・・・嫌な予感がしたんだ.前にも似たようなことがあったから.ミサトさんは“えびちゅ”ビール缶片手にニヤニヤしている.綾波の家に寄ったことを聞いたミサトさんがまた変な勘繰りで僕のことをからかい始めたんだけど,その途中で口を挟んだアスカにミサトさんの鉾先が変わったんだ.

 「冗談!大体アタシが好きなのは,加持さんなんだからっ.シンジなんか言語道断問題外よっ」

 「加持ぃ?あんないい加減な奴のどこがいいのよぉ?」

 「いい加減なのはミサトでしょ!?カッコ良くて,男らしくって・・・・・
 加持さんに比べれば,月とキリギリス.比べるのも失礼だわっ」

 「月とキリギリス?それを言うなら,月とすっぽんよ.アスカ」

 「うっさいわねっ.キリギリスもすっぽんも似たようなものよ!
 アタシが言いたいのは,バカシンジなんてその程度だってこと!」

 「とか何とか言ってる割には,シンちゃんのこと構っちゃったりしてぇ」

 「一緒に住んでれば,言いたくなることもあるわよっ.特にこのバカはね.まったく見当違いもいいとこだわっ」

 ミサトさん,目が完全に笑ってる.僕やアスカをからかって,楽しんでるんだ.こんな時のミサトさんには,何を言っても無駄なんだ.ミサトさんが飽きるまで,嵐が過ぎ去るのを待つように,僕は静かにしてようと思っていたんだけど・・・・・

 「シンジ君」

 「はい?」

 「今からレイの所に行って口説いてきなさい.見当違いかどうかすぐ分かるから」

 「はぁ?」

 「なぁーに,バカ言ってんのよ!?この酔っ払い!」

 「あーやっぱりぃ,シンちゃんのこと,気にしてるんだぁ」

 「そんなんじゃないって言ってるでしょっ!!いい年して幼稚園児並みの言い掛かりは止めてよね!」

 「アスカ,ムキにならない方が・・・・・」

 「アンタは黙ってて.そもそもシンジがファーストなんかのとこに行くから,ミサトが変なこと言い出すのよ!」

 「だってしょうがないじゃないか?先生に頼まれたんだから」

 「そんなの断れば良かったのよ!それとも何?ファーストの所に行く口実ができて,嬉しかったというわけ?」

 「べ,別にそういうわけじゃ・・・・・」

 「嬉しかったのよね〜,シンちゃんは」

 「ミサトは黙ってって.アタシは今,シンジに訊いてるの!」

 「あら?アスカ,ヤキモチ?」

 「違うって,さっきから言ってるでしょうがぁぁーっ!!!」

 「ねえ,シンジ君.アスカとレイ,どっちがシンちゃんの好み?」

 「・・・・・・・」

 「人の話を聞きなさいよっ!ミサト!」

 ・・・その後は,もうさんざんだった.ミサトさんのペースにはめられて,僕とアスカは思いっきり振り回されたんだ.アスカもあんなにムキにならなければ,ここまで非道くならなかったのに・・・ミサトさん,根も葉も無いことだと分かっててわざと僕達をからかってるんだから.

 「はぁ・・・」

 食卓の上に転がっているビール缶と綺麗に平らげられた食器の山を見ながら,僕はため息を吐いていた.

 

− * −



 「・・・レポート,遅くなってすまんかったな」

 「え?・・・どうしたの?鈴原?」

 「何だってええやろ?とにかく,確かに渡したからな」

 「え,ええ・・・ありがと・・・」

 翌日,教室ではいつもとは少し異なった光景がハンディカメラのフレームに飛び込んでいた.昨日,一番に教室を飛び出したジャージの少年とそれを咎めたクラス委員の女の子の二人である.最前列にある彼女の席で,少年から未提出だった修学旅行のレポートを唐突に渡されて,その女の子は目を丸くして戸惑っているようだった.レポート用紙の束を押し付けるように渡すと,少年はカメラの方に歩み寄ってきた.

 「どういう風の吹き回しなんだ?」

 「いいんちょと同じこと,聞かんでくれ・・・」

 ビデオカメラでその光景を捉えていた少年・・・昨日,シンジに声掛けていた 顔にそばかすが見受けられる眼鏡の少年が,カメラを降ろしてジャージの少年に尋ねる.尋ねられた少年はその問いに対してまともに答えることなく,ちょっと疲れた・・・寝不足だろうか・・・様子で最後列の自分の席へと戻って行った.

 「?・・・(ま,いっか)」

 その様子に首を傾げた眼鏡の少年だったが,その原因を是非とも知りたいというわけでも無かったので,再びカメラを構えて別の被写体を求める.

 『・・・おや?』

 「・・・・・・・」

 カメラは,無言で一つの方向を見ている・・・そこにあるものを見ている・・・少女を捉えていた.いつもは窓の外に向いているその少女の顔が,教室の中の方を向いていた.

 『あの綾波が・・・珍しい・・・』

 フレームの中の少女は,数日振りに学校に出席したレイだった.カメラが捉えたその表情はいつもの無表情だったが,教室での彼女が窓の外や手持ちの本以外のものに視線を向けているというのは,彼の記憶の中でもあまり覚えが無かった.

 『どれ・・・』

 彼女の視線に関心を覚えた彼は,どこを見ているのか視線の先をカメラで辿ってみる.

 『これは・・・』

 次にカメラが捉えたのは,線が細くて気の弱そうな少年・・・シンジである.明朗快活とは縁遠い彼ではあったが,今日は一段と元気が無いように見えた.時折後方の席をチラチラと伺うようにしては,ため息を吐いている.

 『ふーん・・・』

 ふと思い立って,彼はカメラを後方に・・・レイの席とはまた別方向に向ける.赤茶褐色の長い髪が印象的な少女・・・アスカは,ちょっと険のある眼差しでシンジの方を見たり,横目でレイの方を見ていたりしていた.

 『・・・後で,碇に訊いてみるか・・・』

 クラスメート,それもEVAのパイロット三人の間に漂う微妙な・・・色恋沙汰と見るにはちょっと違和感のありそうな・・・雰囲気を感じ取った彼は,もう少し様子を見てみることにした.何があったのかは,後で当事者である彼の友人に訊ねるとして.

 「え〜来週より順次,二回目の進路相談を行います.連絡事項を渡しますので一番前の席の人は・・・・・」

 担任の老教師が教室に入ってホームルームを始めるまで,彼のその行動は続いた.  

 

− * −



 「・・・そんな,気にしなくていいってば.元々,明日は私がやるって,昨日言ったんだし」

 「うん・・・でも,ごめんね.迷惑掛けちゃって」

 「それはお互い様でしょ?そんな謝らなくていいよ」

 「うん・・・ごめん」

 ホームルームが終わって,クラスの各々が帰宅あるいは部活動へと急ぐ頃,昨日と似たような会話が同じ二人で,しかしながら昨日とは逆の立場で交わされていた.

 「(くす)」

 「・・・そ,それじゃ,後はお願いするね」

 「うん.まかせてっ」

 謝らなくていいと言われたそばで謝ってしまうシンジに,もう一人の週番の女の子は思わず笑みをこぼす.今日はEVAパイロット三人全員,実験でネルフ本部に行くことになっていた.他のパイロット・・・レイとアスカの二人は,既に先に教室を出ている.

 「・・・碇,ちょっといいか?」

 「え?何?」

 週番の仕事を相方に頼んで二人の後を追おうとしたシンジだったが,不意に後ろから声を掛けられる.声の主は,先程まで彼ら三人を観察していた彼の友人だった.

 

− * −



 『綾波とアスカ,もう本部に入っちゃったかな・・・』

 晴れ渡った青空の下,シンジは一人最寄りの駅を降りて本部への道程を歩いていた.前方の視界に,彼女達の姿は無い.あれから直ぐに教室を出ていれば追いつけたかもしれなかったが,クラスメートに捕まり,結果として先を行く二人から大きく後れを取っていた.

 『何かあったのか?って言われても・・・』

 答えようがなかった.思い当たることは・・・昨日,色々とごたまぜにあったけど・・・友達相手でも,ちょっと話せるような内容ではなかった.彼個人に関わること・・・特に父親とのことは,人からはあまり触れて欲しくないことの一つであったから.その友人には適当な答えを何とか返して,シンジは教室を出ていた.

 「・・・・・・・」

 道の途中でシンジは立ち止まり,何を思ったのか自分の携帯を取り出す.それから親指を使って,幾つかの・・・利用者本人であることの認証も含まれる・・・操作を経てメモリからある番号を呼び出す.液晶のディスプレイに,馴染みの無い・・・と言うか,一度も掛けたことの無い・・・番号が表示される.

 「・・・・・・・」

 あと一回,親指で発信ボタンをプッシュすればその番号へダイアルされる.その番号へダイアルしようと,シンジは親指をボタンの上にスライドさせるが,直前で押すのを止める.携帯を発信画面から待ち受け状態に戻すと,シンジは辺りを見回し始めた.

 

 「・・・はい.しばらくお待ちください」

 慣れた感じの女性の声が伝わって,それから間もなく待機音に切り替わる.シンジの左手に握られているのは,握りのしっかりした緑の受話器.日本の公衆電話のそれである.

 「・・・・・・・」

 相手が出るのを待つ間,空いた右手が落ち着き無く動く.何故だかシンジは,携帯ではなくシャッターの閉まった商店の前に置かれた公衆電話を見つけてそれで・・・何度か番号を押し直した末に・・・電話していた.

 「・・・なんだ」

 「・・・あ,あのっ,父さん」

 「どうした,早く言えっ」

 「あのっ,実は,今日・・・学校で進路相談の面接があることを・・・
 父兄に,報告しておけって言われたんだけど・・・」

 受話器から聞こえてきたのは,苛立ちを露骨に顕わにした声.その声に,シンジは他愛の無いことを話すのにも途中で詰まって声が上ずる.

 「そういうことは葛城君に一任してある.くだらんことで電話をするな.
 ・・・こんな電話をいちいち取り次ぐんじゃ・・・・・」

 仕事中の人間にわざわざ電話して伝える程でもない内容に,相手の苛立ちがますます募る.ノイズに混じりながら電話を受けた女性を叱責する声が,シンジの耳に入ってくる.

 「―――――」

 それから,音も無く電話が切れる.シンジは,力の無いのろのろとした動きで受話器を元の位置に戻した.

 
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2000.11.11 Ver.1.00

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