「ふぁああ」

 信号待ちの交差点で,寝不足気味の彼は大きなあくびを一つかましていた.右手には大きな紙袋.袋の中にはランドリーあるいはクリーニングの帰りなのか,綺麗に洗濯された衣類が入っていた.

 『ねむ・・・』

 ちょっとだるそうにしながら,彼は歩行者用信号をぼんやりと見ていた.点灯しているのは赤.通りに車の通る気配は無く(信号を無視して)さっさと渡ってしまっても良さそうだったが,彼は立ち止まっていた.

 『ん?』

 不意に,赤を示していた信号の灯りが消える.次に変わるべき青にも灯りが点いていない.突然起きたその異変に,彼は自動車用の信号に視線を向ける.

 『何や?停電かぁ?』

 自動車用の信号も,その灯りを消していた.眠たげな顔だった彼の表情が怪訝なものに変わる.それから彼は何か気が付いたかのように当面青になりそうも無い信号待ちを止め,横断歩道を渡る.

 『よー分からんが・・・早よ戻ろ』

 何が起きているのか良く分からなかったが何となく胸騒ぎを覚えた彼は,手に提げ持っていた紙袋を脇にしっかりと抱え直し,早足で道を急いだ.

 この日,第3新東京市を襲った事件の始まりはとても静かなものだった.

 
異聞 「静止した闇の中で」 D Part
Written by VISI.



 「・・・この第七ルートから下に入れるわ」

 淡々とした口調でレイはそう言うと,R−07と書かれた大きな金属製の扉の前につかつかと歩いて行き,傍らに備えられた手動の開閉ハンドルに手を掛けた.

 「・・・くっ」

 ハンドルを握る手に力が篭もり,レイは息を漏らす.箸より重いものを持ったことが無いと言う程までの非力でこそないが,その華奢な身体から力技が繰り出されると言うのも想像し難かった.実際,レイの握っているハンドルはピクリとも動いてなかった.

 「て,手伝うよっ」

 すーっと動いたレイの後ろで取り残された二人のうちの一人・・・シンジが,はっとしてハンドルと格闘中のレイに駆け寄る.二人がかりで扉を開けようとする姿を,最後に残された一人・・・アスカは,ちょっと面白くなさそうな,そしてまた何かのタイミングを失ってしまったような顔で見ていた.

 「・・・・・・・」

 バラバラに学校を出た三人だったが,本部へと繋がるゲートに辿り着くまでに合流していた.ただ,今シンジ達が居る扉はいつも使っている出入り口とは異なっているし,人の力でその重い扉を開けようとしていること自体,普通の光景では無かった.

 

− * −



 ・・・さかのぼること,数分前.

 「何で開かないのよっ!?壊れんじゃないの?」

 IDカードを何度通しても反応しないゲートに,アスカは装置に蹴りの一つでも入れそうな勢いで文句と苛立ちをぶつけていた.本部へのゲートに着いた三人はいつもの通りカードリーダにカードを通して中へ入ろうとしたのだが,今日に限って期待した反応が返って来なかったのである.

 「動かないよっ」

 「これも動かないわ」

 「・・・どの施設も動かない.おかしいわ」

 シンジ達は,別の出入り口のスイッチも操作する.が,ゲートと同じく反応は全くなかった.

 「下で何かあったってこと?」

 「・・・そう考えるのが自然ね」

 「とにかく,本部に連絡してみようよ・・・」

 うんともすんとも言わない施設に,レイとアスカは本部で何らかの事故が起きたのではないかと推測する.シンジはおっとり刀で本部に連絡を取ることを切り出した.

 「・・・だめ,連絡付かない」

 「こっちも駄目.有線の非常回線も切れちゃっている」

 「どうしよう?」

 手持ちの携帯で,あるいは備え付けられていた公衆電話で,本部に連絡を取ろうとした三人だったが,応答は全く帰ってこなかった.

 「・・・・・・・」

 それからのレイの行動は他の二人より一歩早かった.彼女は手持ちの鞄からカードらしきものを取り出してその内容を検め始める.一呼吸遅れて,アスカも同じような行動を始めた.

 「何してるの?」

 「アンタ,バカァ!?緊急時のマニュアルよ!そんなことも覚えてないの?」

 二人の突然の行動に,きょとんとしたシンジはアスカに問い掛ける.すると,アスカからEVAのパイロットとしてシンジの心構えの無さをなじるような答えが返ってくる.

 「・・・とにかく,本部に行きましょう」

 「そうね.じゃあ,行動開始の前にグループのリーダーを決めましょ」

 マニュアルに書かれた内容を確認したレイが次の行動を提案する.アスカもそれに同調するが,続きの言葉にレイとシンジは目をパチクリとした.

 「で,当然アタシがリーダー.異議無いわね?」

 シンジ達から反対の声は無く(賛成の声も無かったが),アスカが一行の“リーダー”に(強引に)就く.

 「じゃあ,行きましょうっ」

 それから張り切ってポーズを取ったアスカだったが,非常用入口は彼女の向いてる方向と正反対にあった.

 

− * −



 『何なのよ・・・』

 リーダー宣言をしたアスカだったが,すっかり出鼻を挫かれてしまった.レイにはさっさと行かれてしまうし,シンジはレイと二人して扉を開けようとしている.

 「・・・・・・・」

 「んーっ」

 レイとシンジ,二人肩を並べてハンドルを回そうとしていたが,その動きは重たく遅々としていて人が通れるくらい開くまでもうしばらく掛かりそうだった.

 『なにボサッとしてんのよ!?アンタも手伝いなさいよっ』

 レイに先んじられた後,そうシンジに言うつもりだった.だがその前にシンジが動いてしまったので,アスカは言い出すタイミングを失っていた.

 『・・・何か,腹立つわ』

 一呼吸分,言うのが遅れてしまった.こんなはずでは無かったはず.今展開されている状況に,アスカは怒りの感情が腹の底から湧き上がってくるのを感じていた.

 「・・・ちょっと,アタシにも貸してみなさいよっ」

 「え?」

 「・・・・・・・」

 なかなか開こうとしない扉を前に焦れたのかあるいは手持ち無沙汰を嫌ったのかそれとも他にも何か理由があったのか,アスカはレイ達にずかずかと歩み寄るとハンドルに手を掛け扉を開ける作業に加勢し出す.

 「ふんっ・・・とぉりゃあぁぁーっ!!」

 (レイとの間に)シンジを挟む形でハンドルに手を掛けたアスカが,二人とは対照的に思いっきり気合の声を上げて力を込める.すると加勢の効果か,先程まで動きの鈍かった扉がハンドルの回転と共にずずいっと動き出して一気に開かれた.

 「(ぜーっ ぜーっ)」

 「・・・・・・・」

 「・・・・・・・」

 扉を開けるために持てる気力を一気に押し出したのか,ごく短い時間にも関わらずアスカは肩で息をしていた.一連のありさまにシンジはしばし呆然としていたが,ややあって次の言葉を紡ぎ出す.

 「あ,ありがとう・・・」

 「な・・・なーんで,アタシまでこんなことしてるわけ!?
 アンタ,こんなのもさっさと開けられないの!?男のくせにっ」

 シンジからの感謝に,アスカの顔色が変わる.不意を衝かれたのか,アスカは一瞬言葉に詰まるが,すぐに怒りの言葉が後に続く.

 「ご,ごめん・・・」

 「フン!さっさと出発するわよっ」

 とってもご機嫌斜めな様子で,アスカは一番前をずんずんと歩き出した.

 

− * −



 「ひゃぁっ.な,何よコレ!?何とかしなさいよっ.シンジ!」

 「な,何で僕がやらなきゃいけないのさっ!?」

 「こーゆーのは,アンタの役目でしょっ!」

 「ず,ずるいよっ.こんな時ばかり!」

 “リーダー”のアスカを先頭として薄闇に包まれた地下通路を通って本部を目指すことになった三人だったが,その前途は多難の様相を呈していた.

 右に行っては・・・

 「また,行き止まり!?」

 左に行っては・・・

 「何でこんな所で水が流れてくるのよっ!?」

 といった具合で.複雑な地下の構造に,アスカは悪戦苦闘・・・別の言い方をすれば,道を見失っていた.

 「・・・いつもなら2分で行けるのに.ここ,本当に通路なの?」

 「あそこまで行けば,きっとジオフロントに出られるわ」

 「さっきから4回も聞いたよ.その台詞・・・」

 「アンタって,本当に細かい男ねっ.つまんないことばっか,こだわってさ」

 道に迷うアスカと,そのとばっちりを主に受けてきたシンジとの間で口論が始まる.そんな二人をよそに,レイは少し前に歩み出てそれから間もなく立ち止まった.

 「・・・黙って」

 「何よっ,優等生」

 「・・・人の声よ」

 レイの言葉に,二人も口論を中断して耳を澄ます.すると,聞き覚えのある声が流れてくるのがはっきりとしてきた.オペレーター席の日向マコトのものである.彼はどこから借りてきたのか,選挙カーと思しきワゴンに乗ってシンジ達三人より上方数メートルで交差している通路を通って行こうとしていた.

 「「日向さんだ!おーい!!」」

 「・・・使徒接近中.繰り返す,現在使徒接近中・・・」

 「「使徒接近!?」」

 走行するワゴンに向かってシンジとアスカは大声で呼びかけるが,日向はスピーカーによるアナウンスに夢中で気づかない.だが,そのアナウンスでシンジ達は使徒が第3新東京市に迫っていることを知ることになった.

 「・・・時間が惜しいわ.近道しましょう」

 「リーダーはアタシよっ.勝手に仕切らないで.で・・・近道ってどこ?」

 使徒の接近を知ったレイは,近道することを提案する.さっさと行こうとするレイに,アスカは対抗心むき出しで待ったを掛けるが,それからすぐさま転じてレイに道を尋ねる・・・このあたりは,結構現金なアスカであった.

 

− * −



 「うーん・・・右ね」

 「・・・私は左だと思うわ」

 「うっさいわねっ.シンジはどうなのよ?」

 「え?」

 レイが示した近道・・・ダクト(通気口)を抜けて通路を下って行った三人は,またしても分岐点に差し掛かっていた.右と言うアスカに対して,レイは左と呟く.そんなレイにカチンと来たアスカは,シンジに話を振った.

 「『え?』,じゃないわよっ.どっちなの?」

 「あ,あ・・・・・」

 「あ?」

 「・・・・・・・」

 アスカに突然問い掛けられて,シンジはどう答えたら良いのやらといった顔になる.険呑な眼差しのアスカに,淡々とした視線のレイ.ここで“綾波”なのか,“アスカ”なのか,答えを返すことにシンジは妙な圧力を感じていた.今までの“実績”で判断するのならば,答えは“綾波”になるのだが・・・

 「・・・あの・・・どっちかな?」

 「もうっ.アタシがリーダーなんだから,黙ってついてくればいいのよっ」

 どっちつかずの答えに,アスカは怒りを表わす.どうやらアスカの問い掛けは判断を求めるものではなく,賛同を求めるためのものだったらしい.賛成1.反対1.棄権1.リーダー権限で一行はアスカを先頭に右の通路へと進んで行くことになった.

 「やっぱり変だよ.ここ,上り坂だよ?」

 「やっぱりとは,何よ?いちいちうるさい男ね!?」

 右の通路を選んだ一行だったが,本部のある地下とは反対に上へと向かっている通路にシンジが危惧の声を上げる.「やっぱり」という単語から,どうやらシンジはレイの方が正しいと思っていたらしい.

 「ほら,今度こそ間違いないわ」

 ただ,今回行き着いた先はいかにもそれらしい扉でありアスカは勝ち誇った顔になっていた.気合十分でアスカは思いっきり扉を蹴り開ける.

 「でやぁぁーっ!!」

 アスカの気合に呼応するかのように扉は勢い良く外に開いた.外から大量の自然の光が通路内に射し込む.それから間もなく,空から巨大な柱が降って来るという光景がアスカの目の前十数メートル先で展開された.降ってきた柱によって道路の舗装がめり込む.

 「ひっ」

 柱の正体は,第3新東京市に侵攻していた使徒の脚だった.楕円レンズ形状の巨大な胴体に蜘蛛の出来損ないのような4本脚.使徒の胴体に沢山付いた目のようなものの一つと目が合ってしまったアスカは,脱兎のごとく先程蹴り開けた扉を慌てて閉める.

 「はぁーっ」

 閉じた扉を背にして一息つくアスカ.思いっきり,心臓に悪いものを見てしまった.EVAに乗っているのならともかく,生身一つではどうしようもない.三十六計逃げるに如かず・・・である.

 「(はっ!?)」

 人心地ついた所で,アスカは自分を見るシンジとレイに気が付く.アスカの頭の中で,この(無様な)状況をどうやって取り繕うかが高速で演算される.

 「・・・使徒を肉眼で確認!これで,急がなきゃいけないことが分かったでしょ?」

 「・・・・・・・」

 「・・・・・・・」

 かなり苦しい言い訳だったが,シンジもレイもその事に突っ込みを入れることは無かった.

 

− * −



 「まただ・・・」

 「・・・こっちよ」

 再び元行った通路に戻って歩き直した三人だったが,またしても分岐点に出くわす.まるで道を知っているかのように,レイがすっと前に出る.アスカとシンジがその後に続く.

 「アンタ,碇司令のお気に入りなんですってね」

 「・・・・・・・」

 「やっぱ,可愛がられてる優等生は違うわよね」

 「・・・・・・・」

 「こんな時に,やめようよ」

 「いっつも澄まし顔でいられるしさ」

 「・・・・・・・」

 すっかり主導権をレイに奪われた形になったアスカは挑発の形で不満をぶつけるが,レイはそれらに全く反応することなく先に進む.あまりに刺々しい言葉の数々に,シンジが止めに入る.だが,アスカはそれを無視して挑発を続けた.

 「アンタっ,ちょっとひいきにされてるからってなめないでよっ」

 完全無視のレイに,アスカは彼女の前に立ちはだかってその態度をなじる.どう見ても理不尽な八つ当たり以外の何ものでも無いのだが,とにかくアスカは面白くなかった.

 「・・・なめてなんかいないわ」

 アスカに前を塞がれて初めて,レイは一連の挑発に対して口を開く.

 「・・・それに,ひいきもされてない」

 レイの口調は,淡々としていていつもと変わらない.だが,そんなレイに対してアスカは何故だか一言も言い返せないでいた.

 「・・・自分で分かるもの」

 「・・・・・・・」

 気圧されてしまった・・・とでも言うのだろうか.黙ってしまったアスカをよそにレイは先に進もうとする.だがその時,別の声がレイの背後から飛んできてその行動は中断された.

 「・・・どうして・・・」

 何か絞り出すようなその声は,最後尾を歩いていたシンジからのものだった.

 
To E Part

2001.01.07 Ver.1.00

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