「あ,あの,昇進おめでとうございます」
そう言ってシンジがミサトに昇進のことを話し掛けたのは,ハーモニクスのテストが終わってネルフから帰る車中でのことだった.夜の山道を運転するミサトの隣・・・助手席にシンジは座っている.アスカは一足先に帰っていて車内は二人きりになっていた.
「ありがと.でも正直,あまり嬉しくないのよね」
「・・・・・・・」
昇進のことをあまり喜んでいないミサトの反応に,シンジはケンスケ達から頼まれたことを切り出しづらくなる.そして次に彼の口から出た言葉は,ミサトの顔色を伺うようなものだった.
「・・・そう言うのって,ありますよね.僕もさっきみたいに褒められても,あまり嬉しくないし」
本部で行われたハーモニクステストが終了した後の出来事を,シンジは思い返す.
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『三人とも,お疲れさま.シンジ君,良くやったわ』
『何がですか?』
『ハーモニクスが前回より8も伸びているわ.大した数字よ』
モニタールームで,リツコは本日のテストについてパイロット三人の労をねぎらい,良い結果を残したシンジを褒めていた.褒められたシンジの方は,それがどんなに凄いことなのか今一つピンと来ていなかったようだが.
『でも,私より50も少ないじゃん』
『10日で8よ.大したものだわ』
『大したこと無いわよ!』
何をそんなに苛立ってるのだろうか,リツコのシンジを褒め言葉にアスカが噛み付く.ことEVAに乗ることに関して,アスカは人一倍尋常ならぬこだわりを持っていた.
『良かったわね?お褒めの言葉を戴いて』
アスカはシンジの方を向き,嫌味半分な口調で話し掛ける.褒められた内容が実感の持てないものだった上にそのことでアスカの機嫌が悪くなったので,シンジは複雑な表情をしていた.アスカと目が合って,シンジは気まずげに愛想笑いする.だが,その行動は却ってアスカの苛立ちを増幅させるものにしかなりえなかった.
『先に帰るわっ.バカッ!』
吐き捨てるようにアスカは言うと,ツカツカとモニタールームから立ち去って行く.その後,アスカはシンジやミサトを待つこと無く一人でさっさと先に帰ってしまったのである.
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「・・・・・・・」
「逆にアスカを怒らせるだけだし・・・どうして怒ったんだろ・・・」
「・・・・・・・」
「何が悪かったんだろ?」
切り出すべき本題に入らないまま,シンジは呟き続ける.どうしたら良かったのか本当に分からない・・・そんな顔をしていた.
「さっきの気になる?」
「え?は,はい・・・」
「そうやって人の顔色ばかり気にしてるからよ」
「・・・・・・・」
黙っていたミサトが口を開く.視線を前方に向けたまま語るミサトの声は,突き放すように冷たかった.シンジは一瞬ビクッと肩を震わせると,視線を下に向けそのまま押し黙ってしまった.
異聞 「奇跡の価値は」 B Part
Written by VISI.
「・・・・・・・」
「・・・ゴメン.ちょっち言い過ぎたわ」
しばらくの沈黙の後,最初に口を開いたのはミサトの方だった.普段は至って軽くお気楽な喋りをする彼女だが,それだけに厳しい口調になった時との落差は大きい.そのことを抜きにしても,今のシンジの頭の中では,ミサトの顔色を伺うことばかりで,彼女の言いたかったことは彼には伝わってないことだろう.
「でも,少しは自信を持って欲しいの.自分のことに」
普段の柔らかい口調に戻って,ミサトは続ける.言葉に力強さは無かった.EVAを上手く操縦することが,シンジにとってどれ程のものだというのだろうか.
「・・・ま,シンジ君にとってはあんまり嬉しいことじゃないんだろうけど・・・
それならそれで,中途半端にアスカの機嫌に合わせたりすることは無いわね」
「・・・・・・・」
あまり効用の無さそうな,取り繕うようなミサトの言葉を最後に,再び二人は黙り込む.普段から生きた心地のしないスリリングな運転を結構したりするミサトだったが,今日は普通に会話が交わせる位の大人しい走りだ.
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・あのっ」
「ん?」
「やっぱり・・・嬉しく・・・ないんですか? 認められたから・・・昇進したんですよね?」
今度は,シンジの方が沈黙を破った.もう一度確認するかのように,再び昇進のことにシンジは触れる.
「・・・そうねえ・・・ま,全然嬉しくないってわけじゃないんだけどね.お給料もちょっと上がったしぃ.
それは嬉しいわ.でも,それが目的でこの仕事してるわけじゃないから」
「じゃあ,どうしてミサトさんはネルフにいるんですか?」
「さぁ・・・どうしてかしらねぇ?ま,成り行きってやつかしらね・・・」
「そう,ですか・・・」
シンジの問いに,ミサトは軽くお茶らけを交えながら答える.はぐらかすようなミサトの答えに,シンジはあまり納得してない様子で聞いていた.
「・・・・・・・」
ハンドルを握りながら,ミサトはちらっとシンジの方を見る.釈然としないままのシンジに,ミサトはちょっと思案げな様相の後,ハンドルを切ってブレーキを踏み込んだ.車は帰り道のコースを外れ,ゆっくりとスピードを落として停車した.
「・・・昔話,なんだけどね」
ミサトがシンジにこの話を切り出したのは,きまぐれか,成り行きか,それともシンジに対して何か思うところがあったからなのだろうか.
− * −
「15年前,セカンドインパクトのあったあの日,14歳だった私は研究者だった父と一緒に南極に居たの」
停止した車内でハンドルにもたれ掛かりながら,ミサトは15年前に自分の周りで起きた出来事を語り始めた.
「・・・酷いものだった・・・地獄だったわ.あの時南極に居た人間で生き残ったのは,私だけだった・・・」
淡々と語りながら,ミサトは過去を思い返す.酷寒の地での惨事.無残に破壊された施設.朦朧とした意識の中で救命カプセルに入れられた自分.全てを吹き飛ばした爆風.天空を貫く二本の光の柱.ミサトの胸に残っている大きな傷は,この時に負ったものだった.
「私の父はね,自分の研究,夢の中に生きる人だったの.そんな父を許せなかった.憎んでさえいたわ」
自分の父親のことを,ミサトは語る.ミサトにとって彼女の父親は,家庭人として決して良いものではなかったようだ.家族のことを省みなかったという点では,シンジの父ゲンドウと共通していた.
「母や私,家族のことなどかまってくれなかった.回りの人は繊細な人だと言ってたわ.
でもホントは,心の弱い,現実から,私達家族という現実から逃げてばかりいた人だったの.
子供みたいな人だったわ.母が父と別れた時も,直ぐに賛成した.
母はいつも泣いてばかりだったもの.父はショックだったみたいだけど,その時は,自業自得だと笑ったわ」
心の中で,ミサトは当時のことを振り返る.あの頃,父親に対して良い感情など抱いてなかった自分.嫌いなはずだった・・・あの時までは.
「けどね,最後は私の身代わりになって死んだの.あの時にね.
私には分からなくなったわ.父を憎んでいたのか,好きだったのか.
ただ一つはっきりとしているのは,セカンドインパクトを起こした使徒を倒す.
そのためにネルフに入ったわ.結局,私はただ復讐がしたいだけなのかもしれない.
父の呪縛から逃れるために」
自分の頬に滴り落ちた血の感触で目を覚ました時,ミサトは父親の手で救命カプセルの中に入れられていた.あの時,父はどんな顔をしていたのだろうか.何か自分に言っていたのだろうか.ぼやけた意識の中,それは結局分からずじまいになってしまった.
「・・・父とのこと,私は後悔してるのかもしれない」
それから一呼吸置いて,ミサトは言葉を付け足す.それは,自分自身のことだけでなくシンジに対しても語っていることなのだろうか.自分と同じ道を踏ませたくなくて.だが,シンジとゲンドウが向き合うことなど果たしてありうるのだろうか.
「・・・僕には,父さんが分からないです」
ミサトの語りを受けて,シンジは呟く.小さい時の記憶.“先生”に預けられた時のこと.身の回りのものが詰められた旅行鞄とその脇で泣いている自分.3年前,母の墓前でのこと.そして,本部の格納庫で初号機に乗れと言われた時のこと.父親のことでいい思い出は,彼の記憶には無かった.
『碇司令は,あなた達が来るのを信じて準備していたのよ』
本部が停電に見舞われた時,EVAを発進させるために他の作業員に混じってワイヤーを引いていた父.あの時だけは,父に対する印象がこれまで抱いていたものと少しだけ違っていた.
「逃げてばかりいちゃだめよ.分かろうとしなければ,変わらないわ.一歩も進めない」
視線をシンジに向けて,諭すようにミサトは言う.正論・・・ではあるが,それはシンジ一人ばかりに語られるべきことなのであろうか.背を向けているのは彼だけなのであろうか.
「分かることなんて,できるんですか?あの父さんを?」
「・・・それでも,何もしなければ,何も変わらないわ」
「・・・・・・・」
不安,不信を表わすシンジに,ミサトは言葉を続ける.ネルフの作戦部長であり,シンジ達の保護者,そして使徒を憎む復讐者.果たして,彼女はどこまで彼らの保護者としてあり続けられるのだろうか.
『逃げちゃ,駄目なのかな・・・父さんから』
声に出さず,シンジは思う.この時に抱いた思いは,シンジをどこへ導くのだろうか.残酷な真実を知った時,彼は何を感じ何を思うのだろうか.
ケンスケ達から頼まれていた祝賀パーティーの件について,シンジは切り出せずじまいになっていた.
2001.09.06 Ver.1.00
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