[§7]カンボジアの今

Words,sketch and photo by Y.Watanabe(R)


人には名前がある

 バンコク・ドンムアン空港のロビーで写真集を取りだす。

 シェムリアップの地雷博物館で買った野老康宏『生と死と地雷と』。

 カンボジアの内戦と地雷で傷つきながらも逞しく生きていく人々を描いたモノクロの写真集である。

 あるページで手が止まった。そこには、アンコールトムの、バイヨンの食堂で見かけた盲目の物乞いの男が写っていたからだ。少年に棒で導かれて頼りなげに歩く姿、閉ざされた眼窩、二の腕の途中で切断された右手を思い出す。間違いない。
 ぼくは三日前のフィールドノートに、こう記している。

 子供に杖で先導させて、盲目、片腕の男が近づいてきた。見ると男の顔は片方が歪んでいる。爆風によるものなのか。屋上レストランのぼくの席の上でしばらく男はくぐもった声を発し、10才くらいの男の子は「マニー、マニー」と繰り返した。ぼくが「ノー」と二回言うと、彼らは離れて行った。

 あの時ぼくは視野の中に認めながら、彼とも少年とも目を合わすことをせず、すぐに自分の食事の皿に目を移したのだった。

 写真集によると、彼には「タバラー」という名があり、少年は彼の甥であるという。

 ぼくはあの時、彼も自分も同じ重みを持つ人間同士であると思わず、ましてや彼にも名前があるという、あたりまえのことすら頭に浮かばなかったのだ。 

 同じ風景、同じもの、同じ人をみても、見る者の魂と誠実さ、感受性、そして想像力によって、その意味は変わる。天と地ほどにも。
 もちろんお金をあげるか否かの問題ではない。人はいつかなる時も、アノニマス(無名)であってはならないのだ(本質的にはそう、死んだ後ですら)。キリングフィールドのガラスケースの中に並ぶ、無数の人骨が絶望的な哀しみを帯びているのは、死そのものによる以上に、その「無名性」によるのであろう。

 同じ時代を共有する者として、そして、圧倒的な格差の「上流」にいる者として、個人の能力の範囲内でたえず想起せよ、そして「洗骨」せよ、との叫びを聞く。旅の終わりに、改めてその思いを強くする。
 空港で荷物からこの写真集を取りだしたのも、偶然ではなかったかもしれない。パウロ・コエーリョの言ったとおりだった。「人は出会うべきモノに、しかるべき時にこそ出逢うものだ」と。

野老康宏氏のサイト
野老康宏 写真集「生と死と地雷と」の紹介ページ

(上)バイヨン
(下)遺跡を飲み込む榕樹


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