シルクロードの西の果て

サマルカンドの優しい雪
スケッチと文/渡邉義孝


   

   

 タシケントのバスターミナルでコーカンドゆき切符を求めるが、窓口の婦人が首を振る。
「まず、ポリスへゆけ。バスポートにパーミット。チケットはその後だ」
ターミナル二階の暗い廊下の奥、公安詰所に行けという。
 詰所で待っていたのは、やけに愛想の良い制服姿の男だった。ぼくをテーブルの前に座らせて旅券を取り上げると、ゆっくりと足を組んで話しだした。
 ……東京は美しいか、日本語で「兄弟姉妹」は何というか、日本人の給料はいくらか……。目つきがどうも怪しいと感じはじめた頃、ぼくの警戒心に気づいたのか、男は「VISA」なるゴムスタンプを捺した五センチほどの紙片を渡した。それで切符は買える、買ったらまたここの詰所に戻って来い、と。

ミフヤドルハーンの宮殿/コーカンド  

   

   

 一階で確かに切符は手に入った。戻った時、制服男は強い調子で言った。
「五ドルだ。ダバイ(よこせ)」
 そういうことだった。だが5ドルといえばこの国での一週間の収入と聞く。だがぼくは3ドルに値切るのがやっとだった。パスポートを取られていることと、「ウズベクではポリスに最も気をつけろ」という旅人の言葉を思い出したからだった。
 一応礼を告げて警官詰所を出たぼくは、廊下でノートに「ポリスへ賄賂・3ドル」と記入する。すると、いつのまにか制服男がぼくの後ろに、音もなく立っていた! そして目ざとくノートの「$3」の文字を見つけると慇懃に言ったのだ。

ミ路上のビール売り、シャシリク、市場の男  

   

   

「君、あれはジェニギ(お金)じゃないだろう、プレゼントだったよね。ここに書くのはよくない」
彼はノートをしっかり掴んでいた。「$3」の記述を消さなければ帰さない、という雰囲気だ。
「もう一度、詰所に来るかい?」
そう言われてぼくはやむなくペンで数字を塗りつぶした。
「ハラショー」
と男はやっとにっこり笑った。そして別れ際、
「俺は悪い男かい?」
と訊くので、ぼくは顔の半分で笑って応えた。
「いいーや、とってもいい人間だよ。スパシーバ、そしてさよなら」

ミカファル・シャシ廟/タシケント  

   

   

 12月14日夕方、サマルカンドは、すでに街路樹も道も建物も白い雪に覆われていた。
 これがあのオアシス城邑サマルカンドなのか。訪れる季節によってその街の印象はまったく異なる。ぼくのイメージといえば、沙漠の真ん中に忽然と浮かび、燦々と照る陽光に輝く青いドーム、そして路上に並ぶベッド状の台(チャイハナ)にウズベク男たちが腰を下ろし、茶を手に時間を忘れて語り合う風景だったのだが……。

ミティラ・カーリのメドレセ/サマルカンド  

   

   

 謎の商業民・ソグド人の故郷であり、シルクロードの要衝として栄えながら、モンゴルの大軍によって灰燼と帰したオアシス。そしてチムールによって青の街として再生し世界の文化・学術の最先端として栄華を誇ったサマルカンドは、今はただ、降りしきる雪の中に音もなく眠り続ける灰色の世界なのだった。寒くて疲れていたからだろうか、ぼくは次第に中央アジアに冬に来てしまったことを後悔しはじめていた。
 ザラフシャン・ホテルの宿代20ドルを16に値切って部屋を取ると、マフラーを巻き直して街に出てみることにした。部屋は蛇口からちゃんとお湯が出ることを確かめておいた。いずれにせよ今夜は暖かい湯につかれるのだから少し頑張って歩いてみよう、と自分に言い聞かせたのだった。

ミブハラの市場で出逢った男  

   

   

 凍りついた歩道に時折り足を取られながら道を横切る。雪が肩に乗った。ナトリウムランプに照らされて落ちてくる雪は、どれも大きな六角形を成し、ひとつひとつがキラキラと輝いていた。荷物を橇に乗せた家族連れが通りを渡っていった。身を寄せ合って、若い男女がぼくを追い抜いてゆく。
 レギスタン広場には三つのメドレセが向かい合って建っていた。15世紀から17世紀にかけてつくられたこれらイスラムの壮大な建築は、それぞれ二本のミナレットを備え、中央の噴水に面したファサードにくり抜かれた壁龕がくっきりとした陰翳を乳白色の淡い大気に落としていた。人影の途絶えた広場は少しずつ雪に覆われていく。

ミレギスタン広場/サマルカンド  

   

   

 ぼくはコートのフードをはずした。もう寒くはなかった。
 中央アジアにはルールがない――あれほど旅人に言われていながら、自分の思う通りに旅が進まぬことに苛立っていたのだろうか。トルクメンでのヴィザ騒ぎ、切符一枚買えぬこと、公然と賄賂を求める警官たち、法外な代金を請求する人びと……、それらの憤懣や憤りを抱えたまま、ぼくはただ八つ当たりをしていたのだろうか。予想外の寒さの中で、旅を続ける気力をなくしかけていたのは事実だった。
 雪は、照明灯のかすかな光の中を舞うように降りてくる。広場を、メドレセを、そしてぼく自身をも包み込むように降り続けた。ぼくは癒されていくのを感じていた。ヒヴァやブハラの厳寒に比べれば雪の日の方が暖かいじゃないか。どこからか羊肉を串で焼くシャシリクの匂いがする。よし、帰りは屋台で一杯やって帰ろう。 旅を続けられそうだな――そう思ってプラスペクトを振り返った。あのいい匂いはどこから流れてくるのだろう、と探しながら。

ミビビ・ハーニムのモスク(サマルカンド)  


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