中央アジア最深部へ

さらばカラクル

スケッチと文/渡邉義孝


   
     居間のテレビから、アップテンポの激しい音色が流れている。彼の妻が、あの奏者たちもツガンだよ、と言った。バイオリニストが、汗を光らせて激しく弾いているところだった。サーシャはうなずきながら言った。
「彼はハンガリーのツガンなんだ」
 ロマ(ジプシー)たちが演奏するその舞踏曲は、深い哀愁を帯びていた。やがて曲は替わり、ギターをバックに合唱するスローな歌になった。サーシャは、真剣な表情でじっと画面を見つめている。彼は何を思って聴いているのだろう。流れてくる音楽には魂が引き込まれるような凄みがあった。この激しさは、他の民族音楽では聞くことのないものだった。

ミキルギスの切手  

   
     その夜は、柔らかく暖かな布団でぐっすりと眠った。昨夜バスの中で出会った時の警戒心が嘘のようだった。

 朝、サーシャと一緒にパンとチャイの食事を摂った後、ぼくらはまだ暗い道をカラクルのバス停まで歩いた。すぐ傍まで迫る岩山のゴツゴツした斜面に、少しづつ朝日が当たり始める。その光はやがてぼくらの吐く白い息をも照らした。
 この時間は直通のバスがないことを確かめたサーシャは一台の乗用車を止めると、170ソムでビシュケクまで同乗させる話をつけてぼくを手招いた。

ミパン売りの少年(ビシュケクの市場にて)  

   
    「雪の山道を一日走りつづけることになる。夜にはビシュケクに着くだろう」
彼は自分の役目が終わった途端に踵を返して帰ってしまいそうだった。
「ありがとう、サーシャ」
 ぼくはとっさに、五ドル紙幣を握らせようとした。彼は、頬の左側だけで少し笑って、手を押し返した。やはり出すべきではなかった――。彼は押し返したその手で、ぼくの掌を堅く握った。

 同じように首都まで同乗するというキルギス人を三人乗せて、車は走り出した。すぐに標高が上がり、車窓はやがてまばゆいばかりの雪原となった。

ミバス停の屋台(キオスク)  


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