| 中央アジア最深部へ |
スケッチと文/渡邉義孝
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ブラナ塔と対面した。首都ビシュケクとイシク湖との中間、トクマク駅の郊外約十キロの雪原の真ん中である。 きっかけは偶然買った切手の絵柄だった。 二枚組の記念切手にはそれぞれ、墓廟のような矩形の建物と、円柱形のレンガの塔が刷られていた。ぼくはすぐに思った。ここに行ってみよう、と。郵便局の窓口に戻って、これがどこにあるのかを問うた。職員が何人も出てきて相談し、円塔の方だけは判った。不完全な地図を何度も書き直し、トクマック駅への行き方を何通りも教えてくれたのだった。 ミブラナ塔の遺跡 |
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11世紀創建のミナレット、ブラナ塔の高さ25メートルの塔身は、焼きレンガの縦横の配置のみで、実に微妙な陰翳をかたちづくっていた。 かつてはもっと高かったのだ、と傍にいたキルギス人が教えてくれる。塔内のレンガの螺旋階段を昇って屋上に出ると、雪原の処々に羊の群れがあり、馬上の人とともにゆっくりと移動していくのが見えた。 ミブラナ塔の切手 |
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塔の周りには百基近い石像が立っていた。 こちらは六〜十世紀の頃の、キルギス遊牧民の墓標らしい。高さは一メートル前後、顔の表情も拙巧の度もさまざまだが、イスラム文化圏で「五百羅漢石仏」に出会ったような懐しさを感じるモニュメントたちだった。 案の定、これらの習慣は偶像崇拝を否定するイスラム教の浸入以降、急速に衰えていったらしい。今「彼ら」は、千年の風雪の中で傾き、てんでバラバラの方向を見やりながら、キルギス人のルーツのかすかな痕跡を物語っているようだった。 ミキルギスの「石仏」たち |
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白一色だった稜線に太陽が傾くと一気に寒さが増した。 トクマク駅までの帰りの足を何も考えていなかった。ここから十キロ、道の周りは莫たる雪の世界。かすかに不安を感じて歩を早める。やがて後方から車の音がした。軍人が乗ったポンコツの「ラダ」であった。ぼくは道の中央に出て大きく手を降る。ラダはスリップしないようにゆっくりと速度を落とした。 これで今夜はホテル・ビシュケクのホットシャワーにありつけるぞ――そう思いながら走り寄っていく。 ミノートより。 |
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