Azerbaijan-01

[§1]アラブの末裔 〜グバのホテルでの出来事

・知識人ネイマンの回想


▲ホテル・ショーダグ

 寒い夜が明けた。
 グバのホテル・ショーダグ74号室。細長い四畳ほどの個室が廊下を挟んで30室ほど並ぶこの宿の昨夜の客はぼくだけであった。
 ガラス窓からはすきま風が入り、毛布2枚に体を硬くして眠りについた。部屋を照らす電球は、夜半に何度も停電していた。
 通りに面した一階にあるレストランにおりてゆくと、昨夜と同じようにネイマンが待っていた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
 そういって彼は窓際の席のテーブルクロスを軽く払ってぼくを促した。ネイマンはこのレストランの主人なのか、そもそものこのホテルのスタッフなのか。彼はぼくに食事を運んでくると、夕べと同じように対面の椅子に腰掛けた。
「君は私の歴史を知りたいか?」
 パンをほおばったままぼくが頷くと、彼は低い声で語り始めた。

 アゼルバイジャンの首都バクーの北部の中央バスターミナルよりQuba(グバ)ゆきのバスが一時間おき程度で発車。2002年現在、バスターミナルは『旅行人ノート6シルクロード』1999年版の283頁の地図にある場所から更に北に移転している。

 グバは人口27000人、アゼルバイジャン北部の中心的都市。バスターミナルは町の東約1キロにある。近距離をゆくタクシーを拾ってホテルのある中心街に行く。バスターミナルのそば、警察署の並びにハマミ(公衆浴場)あり。

▲ホテルの男・ネイマン(ノートより)

 ネイマノフ・ネイマン・ムハンマドアミン・オグル(56歳)の回想は、650年前から始まった。
 19代前の先祖はイエメン人で、あのイスラムの祖・ムハンマドに従って布教の旅に出たのだという。11代前になって彼の一族はダマスカスに移住、7代前のおじいさんが伝道のためにシリアからアゼルバイジャンにやってきた。そしてこのグバに住むようになったのは5代前からだという。彼の名のネイマンとは「赤い血」を意味するとも言った。
 「ここグバの失業率はいま80%だ。私はふたつの大学で生物学を学んだが、ここでは職がなく、こうしてホテルの食堂で働いている。一ヶ月の給料は5万マナトがいいところだ。ここでも、またフナリュクでも、人々は更に貧しくなっている。これは大きなプロブレムだろう」。
 肩をすくめて天井を見上げた彼に、ぼくはソ連崩壊の評価を尋ねた。

「今はたしかに苦しいが、ソ連時代に戻りたいとは思わないね。あのコミュニズムはロシア人が押さえつける世の中だったんだからね」
 そういって二つの拳をどんどんと重ねる仕草をした。「それに私はムスリムだ。ソ連時代には自由に信仰を語ることもできなかったんだから。だからもう戻ることはできない。少しずつでもよくなってくれればいいんだがね」


▲ホテル・ショーダグの外観

 砂糖たっぷりのミルクティーを注いでくれながら彼は言った。
「日本人がここに泊まったことはあるが、一人で来た日本人は珍しい。今日はフナリュクへ行くんだったな。荷物には気をつけろ。夜また戻ったら、話を聞かせてくれ」。

1ドル=4820マナト(2002年5月15日 バクー国際空港両替所)

 

かれの言う失業率はオーバーかもしれない。公式の統計で80%の失業という数字は目にしない。また、都市と地方とでは同じ失業でも共同体の形態が違うからその深刻さは同一ではないだろう。

 カフカス三国(南カフカス)の中で、アゼルバイジャンだけがイスラム国家といわれる。ちなみにグルジアはグルジア正教が、アルメニアではアルメニア正教が主流をなす。しかしソ連時代の世俗化の結果、アゼルバイジャンではイスラムの戒律の厳しさを感じることは少なく、お酒を飲む人々は珍しくない。旅の最中にもアザーン(礼拝を呼びかけるアナウンス)を聞くこともなかった。それでも「アッサラーム・アレイクム」というイスラム共通の挨拶は健在だ。
 こんなことがあった。
 アゼルバイジャン入国の際、バクーの国際空港でぼくを待っていたのは、ターミナル前での猛烈なタクシーの客引きであった。
「市内まで20ドル!」
「いや15ドルだ!」
いやいやバスで行くからいいよ。
「兄さん、バスは廃止されたよ。タクシーしかないよ」
「どうだ10ドルで行かないか」。
ならば駐車場の向こうに見えるのはバスじゃないのかい? 
「うーん、あれは違うよ」
……そんな調子で、15人ほどの男達がザックを背負ったぼくを取り囲み共に歩くのだ。振り切るのもしんどくていいかげん無視していても、辛抱強く付いてくるドライバーが数人いる。果たしてバスは停まっていて無事に乗り込むことができたのだが、そこまで付いてきた男の一人に、(いまさらだが)「アッサラーム・アレイクム」と声をかけてみると、それまでの猟犬のような、或いは媚びるようなまなざしが一瞬変貌し、「アー、アレイクム・アッサラム」と握手をしてくるのである。そして「バスがあってよかったな」と悪びれもせず、いや素直に喜んでくれるように言うのである。要するに、この言葉の前では一瞬「同胞」になるのであろうか。世界のイスラム国で感じるこの旅人への、この良き習慣はここアゼルバイジャンでも健在であった。

 ネイマンはひとしきり話をすると、ヒゲをしごきながら黙ってしまった。もう日は高くのぼっている。昨夜頼んでおいたタクシーの運転手が、そろそろホテルまで迎えに来るはずだ。(2002/5/16)

 

右は昨夜のホテルレストランでの夕食。軽い褐色のパン「チョーラヒ」とピロシキ「ピチョンカ」と「ピライ」という肉と豆のシチュー。羊の骨付き肉「ブグラマ」も添えられている。硬めのヨーグルト「スズマン」、多孔質のチーズ「ペンディ」もある。

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