Azerbaijan-03

[§3]トモコへの伝言 〜フナリュク村への道

・待ち続けた男

 アゼルバイジャンの首都バクーの北部の中央バスターミナルよりQuba(グバ)ゆきのバスが一時間おき程度で発車。2002年現在、バスターミナルは『旅行人ノート6シルクロード』1999年版の283頁の地図にある場所から更に北に移転している。

 

 

 

 

 

1ドル=4820マナト(2002年5月15日 バクー国際空港両替所)

 

かれの言う失業率はややオーバーかもしれない。公式の統計で80%の失業という数字は目にしない。また、都市と地方とでは同じ失業でも共同体の形態が違うからその深刻さは同一ではないだろう。

 その男が突然、車の行く手を遮るように飛び出してきたのは、石がゴロゴロする河原を遡ろうとしていた時だった。

 チェチェンと国境を接する大カフカス(コーカサス)山脈。バスもない、雨が降ると道もなくなる険しいルートである。


▲ホテル・ショーダグ

 彼は、ぼくの顔を見るなり、叫ぶように言った。
「おまえは日本人か。日本人ならトモコを知っているか。トモコはフジサンのそばに住んでいるんだ。うちに寄ってお茶を飲んでいってくれ」。

 その時ぼくは、チャーターしたジープで、フナリュク村を目指していた。しかしいつになったらたどり着くのかもわからない。朝9時に出発したが、途中泥にはまって立ち往生したり、崩れたがけの道を石を積んで補修したりしながらの悪戦苦闘の連続。それなのにもう午後2時を過ぎている。

「どうするんだ。フナリュク村はもうすぐだぞ」運転手が急かすように訊く。
 トモコのことは気になったが、今日中に町に戻るためには、少しの時間の余裕もなかった。
「ならば、待つ。帰りには必ず寄ってくれ。渡したいものがあるんだ」 
彼の言葉を振り切るように、ぼくらは再びジープに乗り込んだ。

 やがて道はなくなり、石がゴロゴロした河原を走る。浅瀬を選んで進んでゆくが、時には濁流が容赦なく車の腹を洗っていく。2度目のパンクでスペアタイヤが底を突いた。
「もうあきらめて戻ろう」といいかけた時、運転手は山上を指さして言った
「みろ、あれがフナリュク村だ」

 そこは、まさに映画『コーカサスの虜』の情景そのままであった。

 四千メートル級の嶺々を背にし、はげしく波打つように重なる山々には一本の樹木もない。氷河期を思わせる巨大なカール(U字谷)のはるか底には、雪解けの水が細い筋を伸ばしている。

振り返ると、斜面にへばりつくように重なる石積みの家たち。家の平らな屋根は上の家の床になり、その屋根はまたその上の家の床になる。

 ぼくは「カフカス、カフカス」と何度も声に出していた。男たちが集まってくる。家の屋根のひとつに腰を下ろしてスケッチブックを開くと、彼らはぐっと輪を縮めてくる。家々のドアから、子供たちも飛び出してきた。

運転手の案内で一軒の家に入り、チャイやヨーグルト、パンでのもてなしを受けた。ここには店はない。バターもチーズも乳製品はすべて手作りだという。


▲フナリュク村の男たち

 

 

 

・シルクロードからの電子メール

 

 

 

 

 

 

 

最近の旅人はウェブメールのアドレスを持ってることが多い。インターネットカフェさえあれば、世界中どこからでもメールを受信しまた返信するとができる。hotmailなどがメジャーである。

 五時、フナリュク村を後にする。もう日没が近い。

 下山の途上、例の男は待っていた。胸ポケットから丁寧に折り畳んだトモコからの手紙を取りだした。写真と英文の礼状が入っている。半年前、長い旅の途上ここを訪ねた彼女が、次の訪問地トルコから投函したものらしい。幸い、ローマ字で日本の住所が書かれている。ぼくはそれをノートに書き取った。
 男は「これをトモコに届けてほしい」と、小さな紙にロシア語でメッセージを記した。

▲フナリュク村の家族

帰国後、その言葉の意味がわかった。

「こんにちは、トモコ。私はあなたにあえてうれしい。大きな大きな挨拶を送ります。写真をありがとう。私たちはずっとトモコのことを忘れなかった。ヨセフ」

 トモコは東京の女性で、二年以上世界の旅を続けているという。一ヶ月月後、パキスタン北部にいるトモコから電子メールが届いた。
 「驚きました。たしかに私は去年10月にフナリュク村に行きました。ヨセフは私を家に泊めてくれて、馬に乗せて村々を案内してくれました。10年ほど前に渋谷でダゲスタンに関する展覧会を見てから私は『コーカサスのとりこ』になってしまったのです」
「とにかく、私が送った写真と手紙が無事にヨセフに届いていることがわかってほっとしました。私はフナリュクに至るいくつかの集落を訪ねたのですが、人々は誰もが親切で、どこでもだれかが私を家に招待してくれるのです。その経験はきっと貴方もされたことでしょう。いつか必ずもう一度訪ねたいと思っています」

 トモコは、これからキルギスやカザフを目指すという。
 かつてまだ観光旅行をする人も稀だったころ、 何度もぼくを家に泊め、面倒を見てくれた中央アジアの人々を思い出す。
 ぼくの足跡が残る村を今度は彼女が訪ねるとき、どんな印象を持つのだろう。そう思うと、うれしくもあり、また少しだけ不安な気持ちにもなるのである。