Azerbaijan-04

[§4]バクー旧市街をゆく

・ラミル青年との出逢い

 アゼルバイジャン入国直後、国際空港から首都バクーへのバスの中で、ぼくは青年ラミルと出会った。

 荒涼とした沙漠のような平原、いたるところに目に付く原油採掘のデリック。これがアゼルバイジャンの第一印象だ。20世紀初頭にはオイルマネーを求めて世界中から人びとが集まったというこのカスピ海西岸の都市は、いまもその栄光の残り香を漂わせている。
 ラミルは、兄・シャヒンとともに、或る友人の出国を見送った帰りだという。ミニバスの後ろの席に座っていたラミルは、身を乗り出しながら英語で質問を浴びせてくる。
「アゼルバイジャンははじめてか?」
「ひとりなのか」
「どこに泊まるのか?」
そして「シェキには行くか? それならうちに泊まるといいよ」……
 シェキとはアゼルバイジャン東部の歴史的都市で、いくつかの遺跡が残っているまちだ。ラミルはシェキの出身で、いまは兄を頼ってバクーに二週間ほど滞在しているとのこと。来週にはふたたびシェキにもどるのだという。コーカサスでの民泊、心が動いてしまう。

 初めての地で出会った人を信頼するかどうか。これは一人旅では常につきまとう切実な問題だ。「安全だ」といわれている国や地域でも、いい人間もいれば悪い人間もいる。親しくなったあげくに日本人を狙った睡眠薬強盗、といった話も最近はよく耳にする。
 ぼくがひとつの基準のように感じていることは、「こちらのアクションによって生まれた邂逅はイノセントである」ということ。つまり相手の意志で近づいたのでなければ、必要以上に警戒することはしない、ということだ。今日の場合は、ぼくが乗り込んだミニバスに、すでに乗っていた彼らである以上、しくまれた悪意はないだろう、と判断したわけだ。(その誘いに甘えて、この一週間後、ぼくはシェキのラミルの家を訪ねることになる)


▲バクーで出会ったRamil氏


▲バクー旧市街で見た落書き

 彼らのアドバイスに従って、ぼくも途中のメシャディ・アジズベコフという地下鉄駅前で下車。ここからメトロで都心に行く方が早いのだ。暗い地下道をひたすらエスカレータで下ってゆく。トラブルはその先で起こった。ジェトン(きっぷがわりのコイン)売り場の前に座っていた二人の警官が、バックパック姿のぼくを呼び止めて、「荷物を見せろ」と言う。ザックの中身を床に並べろ、という身振りをする。うわさに聞く「旅行者はいじめられる」というやつか。その時、ラミルがさっと前に出て、兄シャヒンを指さしながら警官に話しかけた。すると警官の態度は突然かわり、「失礼した、行ってください」とばかりに豹変したのである。

▲バクーの地下鉄のエスカレータ


▲ラミルの兄・シャヒン氏

 ホームに進みながらぼくは訊ねた。
「ラミル、警官になんて言ったの」
「ああ、ぼくの兄は軍事法廷の官吏で、この日本人は友人だ、と伝えたのさ」
「お兄さんのことは本当?」
「ああ、本当さ。あとで兄のオフィスに遊びにいくかい?」……
 一貫して無口な兄シャヒンは、ぼくを見てニヤリとした。こういう「特権」に助けられるというのは複雑な気持ちだ。が、ここは素直に感謝しておこう。

 地下鉄のホームに、轟音とともに電車が入ってきた。ドアの開閉の音も大きい。車内は更に暗く、路線図を見るのは難しい。しかし女性や老人に席を譲る人が多いの驚かされる。このあたりもイスラム的というべきか……。

 

・歴史を示すまちなみ

 地下鉄「28マイ」駅で地上に出ると、そこはバクー・ヴォクザル(鉄道駅)となっている。
 バクーの町並みはちょっとした「ごった煮」状態だ。
 旧駅舎はモスク風というかメドレセ風の、「歴史的建造物“風”」である。しかしその斜向かいに建つ新駅舎は無装飾なモダニスムを思わせるそっけないコンクリートの高層ビル。更に通りの向かいには、全面金色ラミネートシールで覆われたキッチュな銀行ビルが建つ、といった具合。海に向かって歩いていくと、二〜三階建てのデコラティブ(装飾的)な欧風建築が並んでいるが、メンテナンス状態はあまりよくないようだ。
 カスピ海に出会うところに建つ政府庁舎は……なんと表現したらいいか……、黄土色のゴシックの巨塊、閲兵を意識した権威の象徴か。こういう建築の姿にも、この国の特殊な発展の事情が表現されているように思える。

▲政府庁舎と巨大な広場。左側(東)はカスピ海

▲バクー駅。旧駅舎

 


▲新しい駅ビル

 

 

 

 

 

 カフカス三国(南カフカス)の中で、アゼルバイジャンだけがイスラム国家といわれる。ちなみにグルジアはグルジア正教を、アルメニアはアルメニア正教が主流をなす。しかしソ連時代の世俗化の結果、アゼルバイジャンでは戒律の厳しさを感じることは少なく、お酒を飲む人々は珍しくない。旅の最中にもアザーン(礼拝を呼びかけるアナウンス)を聞くこともなかった。それでも「アッサラーム・アレイクム」というイスラム共通の挨拶は健在だ。
 こんなことがあった。
 アゼルバイジャン入国の際、バクーの国際空港でぼくを待っていたのは、ターミナル前での猛烈なタクシーの客引きであった。「市内まで20ドル!」「いや15ドルだ!」いやいやバスで行くからいいよ。「兄さん、バスは廃止されたよ。タクシーしかないよ」「どうだ10ドルで行かないか」。ならば駐車場の向こうに見えるのはバスじゃないのかい? 「うーん、あれは違うよ」……そんな調子で、15人ほどの男達がザックを背負ったぼくを取り囲み共に歩くのだ。振り切るのもしんどくていいかげん無視していても辛抱強く付いてくるドライバーが数人いる。果たしてバスは停まっていて無事に乗り込むことができたのだが、そこまで付いてきた男の一人に(いまさらだが)「アッサラーム・アレイクム」と声をかけてみると、それまでの猟犬のような、或いは媚びるようなまなざしが一瞬変貌し、「アー、アレイクム・アッサラム」と握手をしてくるのである。そして「バスがあってよかったな」と悪びれもせず、いや素直に喜んでくれるように言うのである。要するに、この言葉の前では「同胞」になるのであろう。世界のイスラム国で感じるこの旅人へのこの良き習慣はここアゼルバイジャンでも健在であった。

 ネイマンはひとしきり話をすると、ヒゲをしごきながら黙ってしまった。もう日は高くのぼっている。昨夜頼んでおいたタクシーの運転手が、そろそろホテルまで迎えに来るはずだ。(2002/5/16)

 

右は昨夜のホテルレストランでの夕食。軽い褐色のパン「チョーラヒ」とピロシキ「ピチョンカ」と「ピライ」という肉と豆のシチュー。羊の骨付き肉「ブグラマ」も添えられている。硬めのヨーグルト「スズマン」、多孔質のチーズ「ペンディ」もある。

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