東チベット再訪 Vol.2
ゾルゲから紅原への道
スケッチと文/渡邉義孝

   
   

 トレックの帰路、別のパーティの中国青年と出会う。馬上で揺られながらメールアドレスを交換。インターネットの普及を実感する。
 中国の自然に話題が及んだとき、彼は言った。
「日本が四川の木材を膨大に輸入したがために、急速に森林が消滅し、98年の大洪水をもたらし多くの人が死んだ。このことを中国人はとても怒っているんだよ」以後四川省アバ州や孜甘(ガンゼ)州では木材の伐採が全面禁止されている。
 そういえば今回の旅では「造林」「保護森林」「生態平衡」(生態系バランス)というスローガンや標識がやたらに目に付いた。山の道には木材検査帖が処々にあり、全ての車両をチェックしている。丹巴の公安の話ではφ5cm以上の木を切ると“お縄”だそうだ。
 建築現場で中国産木材を使っているのは、ほかならぬわれわれである。これだけ情報化社会と言われ、輸入材の問題を「知っていた」つもりだったが、、肉声の告発に触れた時に初めてぼくらはリアリティを持つことができるということなのだろうか。

 9月9日未明、まだ真っ暗な5時。宿の服務員の痩せたおじさんに開門してもらい、松藩のメインストリートへ歩き出す。ゴミを拾う人、馬を連れ出す人、シャッターの内側で朝食の火をおこす人……少しづつ動き始めるまち。おぼろげな星が少し見える。ややゴミのちらばった通りに、赤い横断幕で「牢固樹立扶貧開発長期作戦的思想」とある。重い荷物を背負いながら、ふとこのまちに来ることはもうないだろうな、という思いが頭をよぎった。次はゾルゲという不思議な響きの町をめざす。

ミ馬上トレックの野営の様子。九月初旬でも夜は寒く、シュラフの中で何度も目が覚めた。

   
   

 5時52分、バスは松播を発車。スロベニアの女学生二人も乗り込んできた。地方のバスは総じて古い。寒くても窓はきちんと閉まらず、スピードメータは作動しない。
 ところでどうして中国のバスはこんなに出発時間が早いのだろう。朝の便を逃すともう翌日までないのだ。
 旅人にとっては、門が閉ざされた宿を出るためにいちいち門番を起こさねばならず、ドミトリーでは目覚ましを掛けるのも同室の人に気兼ねする。全土で北京時間を採用しているため西部ではまだ「真夜中」の感覚だ。この問題は今回の旅で最後までつきまとった。……だがそのうち便があるだけいいと思うようになった。奥地では定期バスそのものがなくなるからだ。
 薄明となり、見渡す限りのなだらかな大草原を走っていた。谷筋には湿地が広がっている。紅軍が「立ちながら眠った。朝には息をしていない兵士もいた」というのはこの辺りなのか。朝食がわりに「おにぎりせんべい」を食す。極めて美味なり。

ミ西安で出会った兄弟  

   

   

 11時45分、ソルゲ着。海抜3470m。こんなに早く着くならなぜ未明に出なければならないのだ? しかも、ゾルゲから紅原行きのバスは「今天没有(今日はないよ)」。だったら、日の出後に出ても同じじゃないか!
 マリアとロマーナと一緒に昼食をとる。彼女らはここから北上して省境を越え、甘粛省のラモス・夏河(シャハ)を目指すという。夏河はアムドのチベット世界の中心地。だがそのバスも今日はない。
「ヒッチハイクをして前進しましょうよ」と女学生たちは元気に言う。

 澄みきった紺色の空の下、ぼくらは黒河橋T字路に立った。見渡す限りの草原が
 彼女らは北へ。ぼくは橋を渡ったところで南(紅原)への車を待つことににする。共に公路は未舗装の砂利道だ。
 ぼくはマリアとロマーナと握手した。
「また会おう。スロベニアで!」
「トウキョウでかもしれないわ!」
ミヤクとチベタンの少年。
 

   

   

 なかなか車は通らなかった。
 一人になると、西安で豪人女性から聞いた「中国西部でヒッチハイカーが襲われて殺された」という話を思い出す。胸をよぎるのは、事件に巻込まれても「ここでは誰もぼくを知らず、誰も探しに来ないだろう」という不安感なのだ。
 が、20分ほど待つと、ガソリンを積んだタンクローリーが近づいてきた。大きく手を振りつづける。ダメか、と砂ぼこりを巻き上げて通りすぎた直後、トラックはブレーキをかけた。
 あわてて重いザックを担ぎ上げて駆け寄る。二人の男が乗っていた。ドアを開けて「乗りな」と合図する。
 この男たちは善人なのか。悪人なのか? ぼくを運転台中央席に挟んで無言のドライブが始まった。なだらかな草原が続く、ジャリ道の悪路。やがて話しかけられたのでノートを見せる。そういえば、乗るときにカネの交渉をしなかったなぁ、とまた不安になる。
 ドライバーは二人とも成都の人で、このまま眠らずに走り続けるという。
「昔、この辺りを毛沢東が通ったのを知ってるかい?」と聞いてくる。
「勿論だよ。それでこの辺りを回ってるんだ」
「そうか。四川省には4つの民族がいる。漢、チベット、彜、羌だ。この辺は高寒地帯だ。中国には“山美、水美、火美”の言葉があるのを知っているか。大草原も四川の一大風景なんだ」とじゅんじゅんと説明が続く。
 前方を小動物が横切る。ナキウサギだろうか。やがてヤクと羊が点在する景色が広がる。
 いよいよ紅原(ホンユァン)が近づく。荒野のなかにつくられた人工の街だ。そろそろ費用の決着をつけねば……と思っていたら「日本のおカネを持ってるか?」と運転手が聞く。
 財布に残っていた1円玉と10円玉をプレゼントすると思いのほか喜んだ。草原の彼方の町並みがいよいよ近づく。ゾルゲから132kmを四時間かけて走ってきたのだ。
 悩んだ末、「相場としてはこのくらいだろう」と覚悟を決めてポケットの中で札を数えて、降りがけに30元をさしだした。すると、岳氏は「不要、不要!」と手を振ったのだった。

ミ青藏高原


山上のチベタン僧院にて
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