最後の晩、一人でスケッチを終えてカマコンボ宅に戻ると、「食事は男はつくるもんじゃない」と言っていた彼が面片(チベット式うどん)をつくっていた。それは最後の夕げへの彼の心尽くしの思いだったのだろう。 食事をしながら、「日本には物乞いはいないのか?」と彼が訊く。今日も玉樹の町中で汚れた服を着て手を差し出す子どもに出会った。「給料はいくらか?」「車は買えるか?」「中国の他にどんな国に行ったのか?」おいしいうどんを食べながらも、答えるにつれて彼我の間に越えがたい溝が照らし出されるようだった。 「今夜も沐浴に行きたい」とぼくが言った。 ミカマコンボと妻 月の明るい道を家に帰ると、きちんと片付けられたテーブルの上に一枚の手紙が置かれていた。意志的なタッチの漢字が、ぎっしりと書き込まれている。 ミカマコンボの家の見取り図
来年、あなたとあなたの妻そして子ども三人、みんなで玉樹に来てくれたら心から歓迎するでしょう。あなたは、一人の堅強な人であり、また幸福な人であり、どこへでも行くことができる人です。しかし私たちはどうでしょうか。 だけれども、私たちはこういう縁で結ばれていて、遠方の友を知る幸せができました。明日はお別れの日です。私の心は言い表せない気持ちです。なんと言っていいかわかりません。 ミ玉樹に近いシェウの集落 いつか彼女も自由に旅をする時がきて、僕も自由に話せる時が来るだろうか。 翌朝、大きなバックパックをカマコンボのバイクに載せて、彼らの家を出た。 10時に玉樹を発車した寝台バスは、完全舗装の吐蕃公路を走り出す。世界最大の青藏高原は、この先、長江と黄河源流を抱きつつ、省都西寧まで、まだ800キロも続いている。 ミカマコンボがぼくにくれたチョルテン(佛具)

家には風呂もシャワーもないから、町中まで15分ほど歩かねばならない。同行するよと言ってくれた彼と家を出た。
シャワーを出たのは22時を回っていた。ぼくのマグライトで道を照らしつつ、半月を見上げながら歩いた。玉樹の街は夜景も美しい。彼は「歩きが速いよ」と笑った。

ちらっと見たカマコンボは「妻が書いたんだ」と言った。ぼくらが留守の間に、これだけの文章を書いていたのか。
しかしカンドゥオユンツォは片づけをしていてしていてこちらを見ない。 コートを脱いでぼくはゆっくり読みはじめた。

経済的にはどうでしょう。とてもおよびもつかない。ただ玉樹の山を見ながら暮らすしかありません。私は、本当にあなたが羨ましい。天は、時としてこんな不公平なことをするのでしょうか。人と人の間に、こんな大きな差別があるものでしょうか……。
今はただ、黙々と祈ることしかできません。天があなたを守り平安に家に帰り着くことを、そして健康で一切が順利になりますことを。
そして待ち焦がれている二人の子供のことも……。彼女とはほとんど話をせず、カマコンボが筆談で文字につまった時にそっと教えるだけだったが……。
乾いた陽射しが少しまぶしかった。ぼくは妻に頭を下げる。彼女はゆで卵を10個ぼくに差し出し、朝の光の中で美しく笑った。
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