スケッチと文/渡邉義孝

「近代建築史への旅」というテーマを前に真先に頭に浮かんだのは五島の天主堂の数々でした。
明治初期、三百年の禁教政策から解放された西海キリシタンの情熱的な教会建築の軌跡は、
即ち仏人神父を通してのプリミティヴな〈西洋・近代建築との出逢い・融合・定着〉
の歴史でもあったのです。今回の旅では、急速に過疎化の進む離島にあって、
今なお献身と愛情によって天主堂を守りつづける人びとの姿と息づかいに
触れることができました。それこそが、もしかしたら建築そのものよりも、
より大きな旅の収穫であったような気もします。
尚、今回、所在地・歴史等のデータは雜賀雄二著『天主堂写真集・物語』に依拠し、
また各町教委編纂の『町史』等郷土資料を参考にさせていただきました。


 五島−長崎の教会堂を訪ねる旅は、建築家鉄川与助の足跡をたどる旅でもある。
五島の棟梁の子に生まれた与助は、明治中期に出会ったフランス人神父から、
リブ・ヴォールト(肋骨)天井やレンガ技術、力学などの西洋建築学を精力的に吸収し、
木造〔冷水など〕、レンガ造〔野首、大曽など〕、石造〔頭ヶ島〕更にはRC造も手がけ、
独自の天主堂建築様式を確立した。日本の近代建築の黎明期にあって、
それは中央の潮流から見れば異質のものであっただろうが、そこには確かな土臭さがあり、
各々の島の制約(財政・材料・耐久性)に縛られ乍らも、
島に生きる人びとのカトリック復活の息吹と敬虔なる祈りとを、
神聖な宗教空間として具現する、工夫と懸命の努力があった。
 そしてそれらの教会の多くは、今も静かに、人びとに守られている。


[§1]福江島の天主堂
[§2]久賀・奈留島/受難の刻印
[§3]上五島の信仰と建築
[§4]シカの棲むひょうたん島

鉄川与助のお孫さんのサイトおじいちゃんが建てた教会もご覧下さい。
各教会の1986年撮影の写真が
鳥龍さんのサイトにあります。

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