[§1]福江島の天主堂
スケッチと文/渡邉義孝
   
    「教会はあの小径の先にあったが、一昨年の台風でベッチャなっとるよ」
坂道の上の僅かに2軒の集落で、お婆さんが教えてくれた。
「行っても、もう何もなかたい……」

「1882年築。五島最古の教会の一つ。正面の十字架によってやっとそれと判る民家風の外観、
日本人棟梁が見よう見まねで造り上げた稚拙なリブ・ヴォールトの天井」、
その和洋折衷の不思議な木造天主堂は、築後百十年を経て、ついに重力に抗することを止めた。
明治初期、西洋建築との遭遇を契機とし、260年の弾圧に耐え抜いたキリシタンの信仰が
形となって結実したこの独特な宗教空間も、いま急速に自然に還りつつある。 

ミ福江島 立谷天主堂跡
 28 Feb.1993
 

   
    海からの風が音もなく吹いている。
不気味さとは無縁な、作為の無いナチュラルさがあたりを支配していた。
ここはもう確かに「人間の世界」ではなかった。すでに「あちら側」の領域なのか。
 今日、ことし最初のウグイスを聞いた。ヤブツバキの大木が“トンネル”を成す小径にも、人の姿は無い。 

ミ福江島 立谷天主堂跡
 28 Feb.1993
 

   
    立谷天主堂は数年前の台風で、原形を留めぬ程に崩壊していた。
黒瓦と、朽ち始めた大小の材木の上には匍匐する植物。
人間の祈りの形の痕跡を捜したが、目に留まったのは、こんな手摺りの残骸だけだった。
かつては、おそらく祭壇(聖域)と信徒席を隔てる柵であったのだろう。

ミ福江島 立谷天主堂跡
 28 Feb.1993
 

   
     すっくりと立ち上がる赤レンガの教会。幾条かのバットレスが垂直に伸びる美しい陰影を作っている。
日が傾いてきた。風が寒い。シスターに堂内の見学とスケッチを頼む。
シスターは神父に電話し訊ねるが不可とのこと。しかたなく道に座り込んでファサードのみスケッチ。しかし、寒さのため未完。

ミ福江島 楠原天主堂
 28 Feb.1993
 

   
    木造、1938年竣工、鉄川与助。リブ・ヴォールトが架構された内陣のアプスに、高窓からの白い光りが差し込んでいる。凍りついたような空気。静謐。
 身廊後部でスケッチをしていると、さきほどのシスターが入って来た。黙って近付いて来るので何だろうと思っていると、にっこり笑ってタオルに包んだ熱い缶コーヒーを差し出してくれた。ぼくが、鉄川の足跡を辿って旅をしていると話すと、何と彼女は鉄川与助を知っていると言った。娘時代に、この水ノ浦天主堂の工事を手伝ったことがあると言うのだ。
「鉄川与助はとにかく面白い人で、いつも職人や私たちを笑わせてくれたのよ」
 スケッチを終え、改めて挨拶に行った時、彼女はもう一本暖かい缶コーヒーをぼくに呉れた。脇の小さなキッチンでは、そのために沸かしていた鍋からまだ湯気が立ちのぼっているのが見えた。

ミ福江島 水之浦天主堂
 01 Mar.1993
  リブ・ヴォールトの天井。中通島の大工・鉄川与助が1938年に造った。
  白亜の木造教会は静かな入江を見下ろして立っている。
 

   
     ペール神父設計、鉄川与助も参加している。
 現在キリシタン資料館。「郷土出身司祭・赤尾孝信師、1985年8月12日人命救助後帰天。26歳、浦上の神父になって半年のことであった」

ミ堂崎天主堂内部列柱(福江島 1908年献堂)
 01 Mar.1993
 


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