
|
1925(大正14)年献堂。木造、折上天井。入江ごしにスケッチしていたら信徒のおばさんが来て、「今は潮が引いとるばってん、潮が満(み)ったら水に写ってきれかと」と教えてくれた。 祭壇方向から入口と2階楽隊廊を望む。
ミ中ノ浦天主堂(中通島) |
||
|
五島の大工・鉄川与助、1916(大正5)年の作。 漁港を見下ろす高台に立つ、どっしりとした赤レンガの風格ある教会。 瓦葺きの重層屋根で、高さのあるリブ・ヴォールト天井。鐘楼に登ると、ドームを支えるぶっとい梁が八角形に交わっているのが見える。
ミ大曽天主堂(中通島) |
||
|
五島の大工・鉄川与助が28歳で初めて設計施工した。1908(明治40)年献堂。 木造・瓦の単層屋根だが、天井は(低いながら)リブ・ヴォールト。しっとりと落ち着いた堂内に差すステンドグラスの光が美しい。右に立っているのは鐘楼。 入江も島々も海の碧さも素晴らしいが、漁業は不振が続き、離島者が増えているという。
ミ冷水天主堂(中通島) |
||
|
1903(明治36)年竣工、木造。敗戦後、鉄川与助の手によって増築された。 1949年、赤レンガ造の塔・玄関(ポルチコ)が完成したが、これは全て、原爆で倒壊した長崎市の浦上天主堂の飛散したレンガを信者が拾い、海路持ち帰ったものだという。79年新聖堂献堂後は子どもの図書館兼学習室。今もシスターと一緒に飛び出してきた小学生が、スケッチを覗いていった。 上は、張り出しの始まり(インポスト)を右から見たところ。“迫持ち”に削り、半円アーチをつくっている。
ミ鯛之浦天主堂旧聖堂のポルチコ(中通島) |
||
|
1919(大正8)年竣工。西日本唯一の切石積の石造教会。 二重の持送りハンマービーム架構で折り上げられた天井は、大工・鉄川与助にとっても画期的なもので、教会建築の空間創造の記念碑的作品とされる。与助が晩年にいつも語っていた自慢の天主堂だったという。県指定有形文化財。 ミ頭ヶ島天主堂 天井部分(頭ヶ島) 04 Mar.1993 |
||
|
今でこそ立派な橋が架かり、中通島と陸続きとなって空港も出来ているが、昔は渡海船も無い離島だった。 1908(明治41)年以来11年という異例の工期の長さは、この全躯体を構成する石の切り出し・運搬に費やされた。集落の人びとは連日勤労奉仕をし、財政負担に破産する世帯もあったという。それでも一人のケガ人も無かったのだと老シスターが教えてくれた。
ミキリシタン墓地と頭ヶ島天主堂(頭ヶ島) |
||
|
現在使われている教会では県内最古、1882(明治15)年設立。寄棟の両端を切り落とした形の単層の瓦屋根。天井はリブ・ヴォールト。 町の中心からバスで1時間、約20kmの細長い半島の先端近い。崖にへばりつく家々。 「神さま、誘惑に陥らぬようお守り下さい」何十年前のものだろう、そう毛筆で書かれた色紙が柱に懸かっていた。
ミ江袋天主堂(中通島) |
||
[§4]シカの棲むひょうたん島
戻る